ビッグミリオン
命の値段
『ワシントン・ビッグミリオン本部』 四月九日
「紫苑は! 孫はまだ見つからんのか!」
鬼頭小次郎は、額に血管を浮かせながらエリザベートを怒鳴りつけた。車椅子にふんぞり返り、杖で机をばんばんと叩く。日付が変わった深夜早々に呼び出された理由を、彼女は完全に理解している様子だった。
「はい。その件で非常に残念なお知らせがあります。私の部下のブライアンはCIAのスパイでした。今はビッグミリオングループを離れ、勝手にお孫さんを拘束しようとしています」
さっき以上の厳しい叱責が来ると覚悟しているのか、首をすくめながら代表のどなり声を待つ。
「ふん、CIAだと? あいつらに一体何ができるんだ。いいか? わしが孫を探しているのは『万能ワクチン』が欲しいからじゃない」
「え? 代表はワクチンを作るために、シーズン3の実験をご指示されたんじゃ?」
心底驚いた顔で彼女は聞き返した。
「わしは、ワクチンを作れとは一言も言ってないぞ。だが実験はしなければならない。実際に戦争で使われてはいないのだから、効果の確認は必要じゃろ? そしておまえは一つ大きな勘違いをしておる。わしの身体には八十年前からすでに“万能ワクチンが流れている”のじゃよ。わしの尊敬する父が……まあいい。見るか?」
電動車椅子の手元にあるスイッチを押すと、だだっ広い部屋の奥の隠し扉が音もなく開いた。エリザベートもこの仕掛けを知らない様子だった。
奥の隠し部屋の壁にはモニターが埋め込まれ、最新のハイテク機械がうなりをあげていた。部屋の中にはまだ十代と思われる青年が、ヘッドフォンをして黙々とパソコンのキーを叩いている。
ヘッドフォンを外し振り向いたその眼と顔は“誰かにそっくり”だったが、エリザベートには知る由もなかった。
「A-1002の映像を出せ」
「はい」
抑揚の無い声で答えると、青年は細くしなやかな指でパソコンのキーを叩く。やがて正面のモニターに驚くべき映像が流れ出した。
「これが、万能ワクチンの『入れ物』じゃ」
まず映像には四歳ぐらいの子供が、病院で泣きながら注射されている様子が映る。カメラが横を向くと、少し若い鬼頭小次郎が笑顔で少年を見守っている様子が見える。たぶんこの少年が紫苑なのだろう。
次に場面が変わると、個別に水槽に入った赤ん坊が十人ほど映りこんだ。カメラの位置をずらせば、まだまだいるような部屋の広さだ。
「この子たちには、私の孫の遺伝子が使われている。つまり、《クローン》じゃ」
古い画像なのであまり鮮明ではないが、赤ちゃんが少年まで成長する様子がダイジェストで記録されていた。
「あの、ではこの子たちは全員お孫さんの弟ということですか?」
目を丸く開き、映像に魅入りながらも彼女は質問する。
「そうじゃ。いま紫苑が二十二歳じゃから、こいつらは十七歳ぐらいか。現在、総勢二十四人の若者が『万能ワクチン』の入れ物になっておる。数年前までは、さびれたデトロイトの地下施設で育てていたが、“ある条件を満たす者たち”に、そこにいる子以外を全員譲った」
代表の目線の先には、きょとんとした顔をしている紫苑そっくりの青年がいた。まつ毛が長く、整った目鼻立ちをしている。
「ある条件? ですか」
「ああ。――一人だけ教えよう。ドイツ連邦共和国の連邦大統領じゃ。ちょうど血液型も一致したし、太平洋戦争の時に、ぎりぎりまで日本と共に戦ってくれた国じゃからな」
映像はとっくに終わっていたが、鬼頭小次郎の演説はまるで自分の歴史を語るかのように滑らかな口調で延々と続いていた。
「申し訳ありませんが、一つだけ質問よろしいでしょうか。そのような手間をかけて育てたということは、まさか『万能ワクチン』の複製は……」
彼女にとってこの質問は大事だった。複製できなければ、別の方法をとるしかない。
演説の途中で声を掛けられ急に興が冷めた様子で、彼はくるっと車椅子を回転させた。
「どうかな。わしの父は“複製されないように鍵をかけた”とだけ言っていた。さっき言ったようにワクチンは何とかする。そんなことより、わしは早く孫に会わねばならん。どうしても……跡継ぎが必要なんじゃ」
その様子はさっきと打って変って元気がなく、急にしょぼくれた老人の後姿になっている。反対にエリザベートの口元は、かすかに笑っていた。
(こんな身近なところにあったんじゃないの。もう探す必要ないわね)
夜の摩天楼を窓からぼーっと見つめる代表に、今度は感謝の気持ちを込めたように頭を下げた。