ビッグミリオン
一分間ほど沈黙が続く。だが――誰も手を挙げるものはいなかった。ブライアンは満足そうな笑顔で頷く。まるで、キャンセルする人がいないという事を分かっているような表情だ。
「やはり皆さん、やる気まんまんですね。では、これよりチームを発表します。こちらをご覧ください」
正面のスクリーンに組み合わせ表が映し出される。
『チーム1』から『チーム10』まであり、俺はチーム『セブン』だった。他に日本人二名の名前がそこに書かれている。
「『チーム1』の方からお名前をお呼びしますので、マイクロチップの処理が終わった後、ミーティングルームに移動して下さい。そこからは自由時間ですが、明日の正午までにここに集合していただけないと失格になります。では、楽しい夜をお過ごしください」
彼は一礼すると他のスタッフに後をまかせ、素早い身のこなしで部屋を出て行った。
三名チームで五十万ドルを百万ドルにか。なるほど。という事は……。
早々とこのルールの〈穴〉、言い換えれば〈攻略法〉に気付いた者は、頭の中で既に作戦を立てているだろう。ほぼリスクゼロで大金を手にする方法があるのだ。俺もその一人だった。
しかし――それにはクリアしなければならない問題がある事に、この時は全然気づいていなかった。
『イラク・BAGHDAD』 二〇一九年 二月(スタートの約一カ月半前)
ブライアンの乗る飛行機は、イラクのバグダード国際空港に着陸した。
空港を出るとおなじみの硫黄の匂いが鼻を突く。今は臨戦状態ではないが、またいつ情勢が不安定になるかわからない。しつこい程の手荷物検査をパスして空港を出ると、ジープが迎えに来ていた。
現地スタッフのハサンがハンドルを握り、後部座席には自動小銃を抱えた若者二名が鋭い目で辺りを警戒している。ブライアンはイラクの猛暑に顔をしかめながら助手席に乗り込んだ。
「ハサン! 研究報告は受け取ったよ。今日私が本社から派遣されたということは、計画が最終段階まで来たということになる!」
片手でクリーム色の帽子を押さえながら、目を細めて隣にいるハサンに叫んだ。車の速度もそうだが、砂嵐が迫っているのか、大声を出さなければ強風で声が聞こえない。
「分かっています! 人間を使った実験を……」
白いクルド服を風になびかせてハサンも大声で叫んだ。
ここまで話した瞬間、ブライアンは手で言葉を遮り、後ろの席を気にしてハサンに目配せする。
「大丈夫ですよ。こいつらに英語は分かりません」
日焼けした精悍な顔に皺を寄せて、彼は笑っていた。
バグダード市内から郊外に抜ける道は舗装されているが、ところどころに穴が開いていて車が跳ねる。だがある程度速度を出して通過しないと、どこからともなく銃弾が襲って来るので一瞬も気が抜けない。更にこのあたりは路肩に爆弾がよく仕掛けられるため、重武装の兵士が常時警戒していた。
街を出ると瓦礫と化した建物が減り、荒涼とした砂漠が我が物顔で世界を覆い始める。ついさっき聞こえた爆撃の跡だろうか、ところどころに黒い煙が上がっていた。
しばらく凸凹道を走ると、海外企業が集まっている一画にそれは急に現れた。ブライアンたちは車を降りると、がれきに囲まれた巨大なボロボロの建物に入って行った。
頑丈な外壁に囲まれた研究所の中は程よく空調が効き、常時ドライヤーの風を浴びているような外の熱風を完全に遮断している。外見とは違い建物の中は近代的で、最新医療装置や無菌室などが広い空間に点在していた。
「それでは、実験映像を見ていただきましょう。短い映像ですが、効果ははっきりと分かるはずです」
映写室の分厚い扉を開け巨大スクリーンの前に二人が座ると、ハサンが慎重に再生ボタンを押す。
「うむ。――これは凄いな。本部には成功と報告しておこう」
ブライアンの顔には驚きと、少しだが憐みの表情が浮かんでいる。
「研究結果などは、すべてここに入っています」
ハサンから銀色のスーツケースを受け取るとすぐにブライアンは立ち上がった。そして外側をぱんっと叩くと満足そう微笑む。
「確かに受け取った。では、もうこの施設は必要ない。ハサン、君はこのあと何をすべきか分かっているな? 後はこちらで全て引き継ぐ」
そう言うとスーツケースと自分の手首を手錠で結んだ。その後、ブライアンは移民に紛れ陸路でイランを脱出した。
その夜、この研究所は原因不明の大爆発により衛星写真から消えることになる。現地の報道では過激派によるテロ攻撃と発表されていた。建物からはハサンと思われる遺体の他に、五十名程の身元不明の遺体が発見された。
のちにイラクを出たハサンの家族が、豪華なプール付きの一軒家を買った事は一部の者しか知らない。もちろん、その家の中にはハサンの姿は無かった。
『新宿・パークハイアットホテル』 二〇一九年 三月三十一日
俺の名前が呼ばれ別室に入ると、医師が一名と看護士が二名待機していた。治療台にうつぶせに寝かされ、後頭部に麻酔を打たれる。その後ほんの三十秒ぐらいでチップ埋め込みが終わった。
ドローイングルームに戻り、『セブン』と書いたあるプレートのあるテーブルに歩いた。ここでちょっとした奇跡が二つ起こる。一つ目はなんと、先ほど隣にいた女性がちょこんとそこに座っているではないか。
二つ目は……あのおちゃらけハンサム男も一緒だった。
「あー! 上条さんと同じチームですね。良かった!」
渋谷あずさは名前を憶えてくれていたようだ。
「謙介でいいですよ、よろしく。えーと、もう一人の……?」
「篠崎紫苑です。これからよろしくお願いします!」
元気良く答えると、気さくに手を差し出してきた。
(あれ? この男、意外と礼儀正しいかも)
外見からチャラいと思っていたが、少しだけ見直した。
席に着き、自己紹介をしているうちに、俺がこのチームで一番年上なのが分かった。チームとしてやっていくならば、誰かが指揮をとったほうがまとまりやすいのは明白だ。
「えーと、年上だからリーダーシップを取るわけじゃないけど、明日の昼までにこれからの作戦を練らないといけないと思う。あとで俺の部屋に集まって打ち合わせをしようか」
この意見に二人は素直に賛成したが、立ち上がったのは何故かあずさだけだった。
「あ、これ飲み終わったら行くから先に行ってて」
紫苑は俺の部屋番号を聞くと、くるりと背を向けた。
俺の部屋は、落ち着いた内装のジャグジー付きの部屋だった。ミニバーからミネラルウォーターを二本取り出すと、あずさにも勧める。
「あの紫苑って人、あんなにチャラくて大丈夫かしら……」
眉根を寄せて心配そうに言うと、ソファにすとんと座った。
「まあ日本人同士で組めただけでもラッキーだと思うよ。組み合わせ表を見たら、別々の国同士の組み合わせもあったし」
英語だけは単語を組み合わせて何とかしゃべれる程度だ。
しばらくして固い音でノックの音が聞こえた。ドアを開けると、紫苑がワインを両手に持ちながら入ってきた。
「お邪魔しまあす! あ、これちょっと拝借して来ちゃった」といたずらっ子のように無邪気に笑う。これは男の俺でもぐっときてしまった。なんとも憎めない笑顔だ。