ビッグミリオン
前夜
『新宿・パークハイアットホテル』 二〇一九年 三月三十一日
ホテル内のドローイングルームに三十名の当選者が集まっていた。
ゆったりと四十名以上がくつろげるスペースに、柔らかい照明と、木の質感を大切にしたテーブル、高級感のある椅子が置かれている。今夜のパーティーの主旨は食事をしながらの歓迎会と、ルール説明らしい。
「では当選者の皆様、まずはグラスを持ってご起立下さい」
主催者側の代表が、日本語と英語で乾杯の音頭をとる。ハンサムな外国人の男で、胸のプレートには〈ブライアン・フォール〉と書いてあった。男らしい笑顔がとても魅力的だ。
「では乾杯! ルール説明は、食事が終わりましたら始めたいと思います。それまでごゆっくりと料理をお楽しみ下さい」
乾杯も終わり全員が拍手をした後、それぞれが指定された席に座った。食前酒の後、豪華な料理が次々に運ばれてくる。
テーブルに並ぶ料理はどれも手が込んでいて美味しそうだったが、とりわけ鴨料理の味に参加者は驚いた顔をしたあと賞賛の声をあげていた。ここでやっと会場を見回す余裕ができた俺は、ワインを飲みながら他の人々の観察を始める。
まず日本人を含めアジア系が七割、アメリカ人が二割、ロシア系が一割と言ったところか。これを見ると、アジアを中心としたマーケットがある会社ではないかと思う。まあひとつ言えることは、参加者はかなり『濃い』メンツだった。
ただ意外な事に、初めて顔を合わせた当選者たちは酒も手伝ってかぴりぴりした雰囲気は一切なく、和気あいあいとしゃべっていた。確かにこれから誰とチームになり、どのようにゲームを展開していくのかは、この時点ではまだ考えなくてもいい。さて、俺は一体この中の誰と組むことになるのだろうか。
「おーい、ワインのお代わりをくれ!」
斜め向かいに座っている若い日本人の男が手を上げた。ハンサムな顔と今どきのトークで、既にまわりの女性たちと打ち解けている。
(タイプ的にこの男とだけは組みたくないな)と考えながら、俺は思い切って隣の日本人の女性に声を掛けてみた。
「はじめまして、東京から参加の上条謙介と申します。どちらからですか?」
「渋谷あずさと言います、はじめまして。あたしも東京からですよ」と笑顔で答えてくれた。
横顔ではちょっと冷たい雰囲気の女性に見えたけれど、話してみるとまだ少しあどけなさの残る花の咲くような素敵な笑顔を持った女性だった。俺の仕事の失敗談を話すと、ころころと口に手を当ててよく笑う。
この時――もうこの笑顔にやられてしまっていたのかもしれない。
「この中の誰と組むかによってクリアできるかどうかが決まると思うと、ドキドキしますよね。あたし、ちょっと緊張してきた!」
会話中も物怖じしないまっすぐな視線を送ってくる。違う意味でドキドキしたが、それを顔には出さず、彼女の少し茶色がかかった長いまつ毛のあたりを俺はぼーっと見つめていた。
「そ、そうですね。できれば日本人同士で組めたら、色んな意味で有利かなって思います」
「言葉が通じる方がやりやすいですからね。サイトでちらっと見たルールだと、チーム同士で争う必要が無さそうだし……殺伐とはしないでしょうね。主催者側だけとの勝負ですから」
「確かに。とにかく元金を二倍に増やせばクリアでしょ? お互い頑張りましょう」
俺の言葉に頷くと、持っていたグラスをすっと差し出してきた。ちんっとワイングラスの乾いた音が説明開始のアナウンスに重なる。
「さて、皆さま。そろそろデザートも終わったようですので、ルール説明に入らせて頂きます。まずこちらをご覧ください」
会場の照明が暗くなり、プロジェクターが持ち込まれた。
映像の最初に『ビッグミリオン』の文字が映り、次に大きな字で日本語と英語、ロシア語や中国語でルールが表示される。
一 資本金を持っての逃走は禁止。
二 増やす手段は一切問わないが、自己資金を足してのクリアは禁止。(クレジットカード等は一時没収)
三 条件をクリアしても、チーム全員が期間終了の四月十日の正午までにスタート地点に戻らないと失格。
※なお、上記一、二項に該当した場合は、当社が定めるペナルティを課します。
「たったこれだけの単純なルールです。ただ、一についてのみ補足があります。逃亡防止と、位置把握の為、この後別室で『マイクロチップ』を身体に埋めてもらいます。首筋に近い頭皮の下に入れますが、小さなものですので後で痛みもなく取り出せます。これを踏まえ、もしキャンセルをする方がいらっしゃいましたら、全ての質問が終わった後に受け付けます。その場合は繰り上げ当選で、別室に待機している方たちに代わりに入ってもらう事になります」
ブライアンは一気にここまで言うと、会場をぐるりと見廻した。
「スタート時間は明日の正午になりますが、公平を期すため飛行機のチケット等の予約はスタートしてからになります。早速あなた方の『運』が試されるわけですね。それではこれより質問を受け付けます」
純白のスーツに身を包んだブライアンは、プロジェクターの横に椅子を置き、長い足を優雅に組んだ。どうしたんだろう。いきなり態度が横柄になったような気が。
「あのう、先ほどマイクロチップとおっしゃいましたが、もしそれを自分で取り外しちゃったらどうなるんですか?」
メガネをかけたおばあさんが、通訳を通して中国語で質問した。
「はい、一に違反すると判断し失格になります。無理に取り外そうとしたら……死にます」
この言葉を聞いたおばあさんは固まって口をぽかーんと開けている。同時に、会場がざ
わめきだす。今までしゃべりまくっていた先ほどの青年までもが、グラスをテーブルに置いたと同時に急に黙ってしまった。ただ、NYPDから来たと言う二人組だけは、肩を組みながら歌を歌い、浴びるようにビールを飲んでいて全く聞いていなかった。
「死ぬってどういうことだ? まさか、爆発でもするのか?」
突然、日本人の若者が緊張に耐えかねたかのように立ち上がり強い口調で詰問する。
「さあ、どうでしょう。私も詳しくは聞いていませんが、故意に取り外そうとしない限りは絶対安心という話です。ただ、その行為以外でマイクロチップによる不慮の事故があった場合、ご家族に無条件で〈五百万ドル〉お支払い致します」
この答えを聞いたとたんその若者は息を深く吸い込んだが、結局そのまま黙ってしまった。
「やっぱり爆発するんだろ?」と俺は誰にも聞こえないようにそっとつぶやいた。その後もぽつぽつと質問は続いたが、なかでも一番質問が多かったのはやはりペナルティの事だ。
「ペナルティにつきましては、ルール違反を確認後、当人のみに告知し実行します。申し訳ないのですが、ルールを厳格に守ってチャレンジして頂ければ知る必要もないでしょう」
確かにルール違反をしなければ大丈夫だろうが、大金がかかると人間はどんな行動をとるのか予測できない。俺はこの最後の答えに何か高慢なニュアンスを感じ、少しイヤな気分になった。
「では質問を締め切ります。最後に、キャンセルされる方がもしいらっしゃいましたら挙手願います」