ビッグミリオン
「悪いな。『万能ワクチン』は非常に貴重なものなんだ。エリザベートにも、CIAにも渡す訳にはいかなくてね。君は知りすぎた。さようなら――可愛い妹よ」
その眼は悲しげだったが、使命を果たした人間特有の満足感が垣間見える。
「バカね……兄さんだって……きっと裏切られるわよ……心から……愛し」
毛足の長い絨毯を二、三歩踏みしめながら、彼をその手に抱きしめるかのような仕草をする。だが、その細い腕は空を切った。そしてそのまま崩れ落ちるように倒れると、DOLLという女性の魂はこの世から永遠に消えてしまった。
「――さて、『鬼頭紫苑』くん。一緒に来てもらうよ。あ、そこの君には用は無いから、彼に楽にしてもらいたまえ。万能ワクチンの秘密を知った者は、誰も生かしてはおかない」
目をつぶり頭を左右に振って何かを振り払う動作をしたあと、黒服の男に顎をしゃくった。
「鬼頭だって? 紫苑、おまえ確か篠崎って」
俺は壁に手をついたまま、横にいる鬼頭と呼ばれている男を見た。絶体絶命のピンチなのに、何故か紫苑の口元は笑っているようにひきつっていた。
「鬼頭は俺の親父の名字だよ。離婚して母親の姓になったんだ。俺のおじいさんは、〈ビッグミリオンの代表〉だって母さんから昨日初めて聞いた。そうか、そうだったのか。今、はっきり思い出したよ。子供のころおじいさんが見守る中で打たれた注射は……『万能ワクチン』だったんだね」
「そうか……。おまえ、俺たちに言いだせなかったんだろ? この狂ったチャレンジの黒幕の孫なんて簡単には言えないよな。でもな、一人で悩んでないで何でも話して欲しかった。もしこのピンチを切り抜けられたら、あとでワクチンの話も詳しく聞かせてもらうぞ」
「ああ、でもどうする?」
「コイツらがあずさに気づかず立ち去ってくれるなら、俺はこのまま処刑されてもいい。だがそれは甘い考えだろうな。一か八か、これを使ってみる」
弾倉を抜いてしまったが、DOLLの拳銃を腹に差して隠してあった。これでなんとか二人を逃がさなければならない。
一世一代のハッタリをかましてやる!
「さて、別れのあいさつはすんだかな? じゃあ君はそのまま壁から離れてひざまずいてくれ」
ここは言われるがままに、素直に床にひざまずいた。あとはタイミングだ。
「悪いな。鬼頭くん意外は始末しろという命令なんでね。やれっ」
黒服がごりっと俺の後頭部に銃口をめり込ませる。
「ちょっと待ってくれ!」
突然、紫苑が腹の底から絞り出すような大声をあげる。
黒服が気をとられた隙に、俺は横っ飛びしつつ素早く腹から拳銃を取りだし、ブライアンの頭に突き付けた!