ビッグミリオン
十五分後、あずさがひょっこり何事も無かったようにドアを開けた。俺はあずさに駆け寄ると、頭のてっぺんから足元までケガが無いか確認する。
「大丈夫か!? ケガは?」
無事を確かめると、全身から力が抜けた。
「平気よ。何か仲間同士でモメたみたいで、解放されたわ」
にこっと笑ったが、その顔にはどこかいつもの“あずさらしさ”が無かった。
「無事で本当に良かった。ところで犯人は誰なんだ?」
俺は優しく言ったつもりだが、眼は怒りに燃えていたはずだ。
「うん。心配かけてごめんなさい。犯人はね……知らない人たち。どこかのホテルに監禁されたけど、一切手を出してこなかったわ。あの人たち新ワクチンを狙っていたみたいけど、あきらめた様子だった」
巻き込みたくないためか、彼女はとっさに嘘をついた。本当の事を言えば、きっとこの二人はすぐに殴り込みに行くだろう。ちらっとリーマンの腰から見えた拳銃の存在も、あずさの口を閉ざすことに貢献していた。
「……なるほど。あずさがそう言うんならそれでいい。謙介さん、これからは目の届くところに全員一緒に居た方がいいよ。新ワクチンを狙うヤツが他にもいるかもしれないからさ」
俺と目が合った紫苑も、あずさが何かを隠している事に気付いたようだが、やはり黙っていた。
「そうだな。なるべく一緒に行動しよう。そうだ、そろそろアーノルドたちが来る時間だぞ」
「え? 明日じゃなかったっけ?」
妙に驚いた様子で、あずさが聞き返す。
「いや、急に前倒しになったんだと。だけど……紫苑のカンだと何かが引っ掛かるみたいだから、警戒しないとな」
「そう……。分かった。私ちょっと爪が剥がれちゃったから、直してくるね」
彼女が自分の部屋に帰ると、俺たちは首を傾げながら顔を見合わせた。
「何かあずさの様子がヘンだよな。おまえも気づいたか?」
「うん。何かを言えないっていうか、言ったらダメだって言われているような」
この言葉通りの印象を、俺も受けていた。
「あいつ頑固だから、聞いても絶対に話さないだろうね。アーノルドたちが来たら監禁されていたホテルの場所を聞いてみよう」
「ああ。そろそろ来るはずだ」
言い終わらないうちにノックの音が聞こえた。ドアを開けると、アーノルドとDOLLがにこにこしながら入って来る。
「お待たせしました。彼女はまだ見つからないんですか?」
「いや、帰って来たよ。だが、彼女が監禁されていたホテルが知りたい。何か分かったか?」
俺の問いかけに目をそらしながら椅子に座ると、アーノルドはゆっくりと話し始めた。
「場所は分かりませんでした。太陽の黒点の影響か知らないけれど、電波が弱くなる時間があるんですよ。たぶんそれのせいだと思います」
「そうか。――それは残念だな。で、新ワクチンは?」
二人に椅子を勧めふと紫苑を見ると、壁を背中につけて腕を組みながらこのやりとりを見守っている。何か動きがあれば即座に動くつもりなんだろう。
のろのろとした動作で、DOLLはハンドバッグからガラス製のアンプルを三つ取り出した。丁寧にハンカチを敷いてからテーブルに置くと、説明を始める。
「これはベイブの件の報酬よ。彼はあの後すぐ発症して、寝たきりになってしまったわ。これからはもう余計なことを話すこともないでしょう。あと、エリックの死体はうまく処理したわ。こちらも心配ない」
アンプルを軽くかちっかちっと指先でいじりながら話を続ける。
「じゃあ、これの使用方法を説明するわね。この中身を注射器で吸い取って、自分の血管に打つのよ。簡単でしょ? それでシーズン2にも対応できる身体になれるわ。ちなみにこれは、ホワイトハウスに提供したものと同じ中身だから安心して」
アンプルの首を折って、注射器で吸う仕草をした。
「じゃあ、早速俺が試してみようかな。けど……その前にそれをあんたが打ってみろよ」
紫苑がつかつかと近づくと、彼女の前にどかっと座った。今の会話から何かを確信したのだろうか。
「え? わ、私たちには自分用のアンプルがあるし」
「いいからさ、打ってみなよ。その後あんたたち用のアンプルをもらうよ。中身は同じモノなんだろ? それとも……何か問題でもあるのかな?」
その瞬間!
アーノルドが急に立ち上がり、ホルスターから拳銃を抜いて紫苑の頭に狙いをつけた。同時にDOLLも太ももの内側のホルスターに手を持っていく。
俺はとっさにテーブルを蹴り、アーノルドにぶつけた。ちょうどいい感じに彼の股間にしたたかにヒットする。すぐにカン高い声を出しながら、股間を押さえ足をばたばたさせたあと悶絶する。
同じ時を共有するように、猛獣のような素早さで紫苑も動く!
ゴッ!
目にも止まらぬ速さで、アーノルドの落とした拳銃を部屋の隅に蹴ると、蹲っているアーノルドのこめかみに渾身の右フックを叩きこんだ。彼はそのまま昏倒し、泡を吹きながら絨毯に倒れ込む。
テーブルが前から消えた瞬間、もう俺は次の行動に移っていた。DOLLのセクシーな太ももに拳銃を見てとると、立ち上がる動作と一緒に“少し無様な格好だったが”彼女の手をがっちりと掴み後ろにまわった。こんな時でも、女性を殴るわけにはいかない。
「少し落ち着こう。さてと、ここでなぜ拳銃が出てくるのかな? ジョークとかが出るならまだ分かるけどさ」
静かな声で俺が話し出すと、DOLLはあきらめたのか抵抗を止めて手の力を抜いた。太ももから拳銃を取り、弾倉を抜いてソファに投げる。倒れたテーブルを元に戻すと、彼女と俺は向かい合って座り直した。紫苑はアーノルドを後ろ手に縛りあげ、軽々と担いで浴室に引きずって行く。
「では、ちゃんと話してもらおう。じゃないとこれをあなたに打つしかない」
俺が本気だと分かると、彼女はふて腐れながらもやっと目を合わせた。
「分かったわよ、話すわ。兄さんと私、二人だけが助かればCIAなんて本当はどうでもいいのよ」
渋々ながらも、ブライアンのことや偽ワクチンのことなどを詳しく話し始めた。
「元はと言えば、全ては『万能ワクチン』のためよ。これは“人間に保管されている”の。いい? 驚かないでね。その人間とはそこにいる……」
浴室から帰ってきた紫苑を、彼女が一瞬見たような気がした。
だが、最終的にその目線が止まった先には――鈍く光る拳銃を持ったブライアンと、サングラスをかけた黒服の男がまるで最初からそこにいたように立っていた。気配をまるで感じなかったのか、紫苑も驚いたように眼を丸くしている。
「兄さん!」
兄を見つめる目からは大粒の涙がボロボロとこぼれ、すぐに椅子を蹴って立ち上がる。
「少し遅くなった。しかし、形勢逆転だ。二人とも壁に手をついて足を広げろ!」
DOLLは勝ち誇ったような微笑みを浮かべて俺を見ると、ブライアンの胸に駆け込もうと一歩前に踏み出した。
ぱんっぱんっ!!
ブライアンの放った弾丸が、駆け寄よろうとする彼女の胸と腹に二つの赤い花を咲かせた。やがて白いブラウスは赤く赤く染まっていく。
「兄さん……どうして?」
腹を押さえ、信じられないような眼をして、兄ブライアンを見つめる。