ビッグミリオン
謙介たちがフロントを駆け抜けている頃、あずさはばたばたと暴れていた。
「んむ……ぷはあ! ちょっと、痛いじゃない!」
フォーシーズンズ・ラスベガスのスイートに監禁されているあずさの口から、べりっとガムテープがはぎ取られる。椅子に座ったまま後ろ手に縛りつけられているが、衣服は全く乱れていない。部屋の中にはJACKPOTの五人が顔を揃え、悪態を着く娘の姿を思い思いの場所に座りながら眺めていた。
つけっぱなしのテレビのニュースからは、病院の映像と共に深刻な顔をした女性キャスターの声が流れている。
「この、世界規模で起こっている『変異型クロイツフェルト・ヤコブ病』に似た感染症は今も広がりつつあります。政府筋からの発表によりますと、患者の体液や唾液などから感染すると思われますので、患者には極力触れないようにとのことです。手洗いやうがいはもちろんの事、なるべく外出を控えることも重要です。この病気により、レスリング、ジュード―などの接触が多いと思われるプロスポーツは既に活動を休止しました」
映像が病院からショッピングセンターに切り替わる。
「ごらんの通り、昨夜から食料や日曜生活品を買い求める長い行列ができています。未確認情報ですが、一部の高官は、自宅からクリーンルームのある自宅シェルターに避難し始めた模様です。しかし、ご安心下さい。合衆国大統領は、この事態を収拾すべくいつもどおり執務を行っています。後ほど大統領の記者会見がホワイトハウスで行われる模様です」
昨日からこのようなニュースが、どのチャンネルからも流れるようになっていた。あつしから目で合図を受けると、リンダは椅子から立ち上がりテレビを消した。
「申し訳ないが、少し乱暴な手段をとらせてもらった。生き残るためには必要な手順なんでね」
リーマンが本当に申し訳なさそうに謝った。
「ふーん。どうやらあなたたち、かなり煮詰まっているようね。そこのあなた、立派な『ヒゲ』ができて良かったじゃん」
にやっと笑いながらあずさが挑発する。
「うるせえよ。思いっきり引っ掻きやがって。おまえはネコか」
ソファには、頬っぺたにヒゲのような三本の傷跡をつけたゴリラが、ぶすっとした顔をして座っていた。あずさのよく手入れされた尖った爪で引っかかれたら、痛くてたまらなかったであろう。
「さあて、お嬢ちゃん初めまして、じゃないよな。スタートの時の騒動を見物していただろ? しかし、チーム『セブン』さんはまったく良くやってるよな。できれば俺も、お前らのチームに入りたかったぜ」
煙草に火をつけながら、あつしはあずさが縛られている椅子の前まで行き挑発的に見下ろす。
「で? 私を拉致してどうするつもり? こんなことして、謙介さんと紫苑が黙ってないわよ。あの人たちは絶対に助けに来てくれるわ。あんたたちなんて、ぼっこぼこプラス全員猫ヒゲよ」
この時誰にも見えていなかったが、ぷんぷん怒る彼女の後ろ手に縛られた指先は、ひっかく形に曲げられていた。
「それはどうかな? 案外新ワクチンを自分たちだけゲットして、逃げちゃうかもしれないぜ」
ニヤニヤ笑いながらあずさの顎を手で持ち上げた。
「触らないでよ! あんたたちへっぽこチームと違って、私たちのチームはねえ……」
「ストップ! 分かった、もういい。そのへっぽこチームからのお願いなんだが、聞いてくれるか? 話はとても簡単だ。新ワクチンと引き換えに君を返す。迷惑料として二百万ドルも付けよう。悪い話じゃないだろ?」
リーマンはあずさの後ろにまわり、締め付けすぎている手首の縄を少し緩めながら言った。細い指先に血の気が戻る様子が伺える。
「何が“悪い話じゃない”よ。『セブン』は今の状況をきちんと把握してるわ。お金がいくらあったって、新ワクチンが無ければもうすぐ全員死んじゃうって事も知ってる」
キリっとした目でリーマンを見上げる。
「そうだよな。……じゃなきゃ、あんな取り引きはしないはずだ。気絶させてチップを取り出すなんて、ひどいことをする」
顔をしかめながらリーマンは大げさに手を広げる。妙に引っ掛かる言い方だ。
その言葉を聞いて、あずさは急に悲しそうに黙り込んだ。そして何かを考えたのか口を開く。
「そうね。――じゃあこうしましょう。私に配給されるはずの新ワクチンを、あなたたちにあげる。その代わりあの人たちのは見逃してあげて。このまま、私は何事も無かったかのように帰るから。そして受け取ったらすぐにあなたたちに渡す」
何かを決心したような眼だった。
「なあ、やっぱりやめようよ。この娘がかわいそうだよ」
奥の椅子に一人ぼっちで座っていたモヒカンが、今の話に感動したのか涙目で訴える。
「バカ言ってんじゃねえ! 生きるか死ぬかの瀬戸際に俺たちはいるんだぞ。新ワクチンを持っているヤツは生き残り、持ってないヤツは死ぬ。なんでそれが分からねえんだ!」
テーブルをどんっ! とコブシで殴りつけながらあつしが睨む。
「だけどさ……」
その邪悪な視線をまともに受けたモヒカンは、ぶつぶつ言いながらも眼を伏せ下を向いてしまった。
「じゃあ、こうしようか。新ワクチンは、とりあえず一つだけ手に入れよう。さっきCDCと連絡をとったところ、『もしそれが本物なら、五日もあればサンプルができるかもしれない』と言っていた。感染リミットギリギリだが、何とか間に合うだろ。大金をばら撒いたが、こうなったらしかたがない」
モヒカンの気持ちが通じたのか分からないが、妥協策を提案する。
「てめえ、話が違うじゃねえか! もし五日間でできなかったらどうするんだ? 新ワクチンのオリジナルを接種できる可能性があるから、この作戦を立てたんじゃねえのか? 俺は納得できねえよ」
手を広げあつしは熱弁をふるうが、他の四人はあずさをちらちら見ながら何かを考えていた。
「ねえ……ギリギリ間に合うんならそれでいいじゃない。その娘の心意気を酌んでやりましょうよ」
自分より年下の娘の話が心に刺さったのか、リンダも助け舟を出す。
「あつしさん、俺もそう思います。自分の命が危ねえのに、こんな小娘がカッコつけてるんですよ」
四人の瞳に見つめられ、とうとう折れたようだ。
「分かったよ、この偽善者どもが! まあ、使ったのはそこのトサカ野郎の金だから、俺は別に痛くねえけどな!」
モヒカンに近づき肩を激しくぶつけると、首を振りながら部屋を出て行く。その後姿が見えなくなると、リーマンはやれやれという風に肩をすくめた。
「どうか許して欲しい。言わばCIA側の君たちから新ワクチンを奪おうと言うんだから、並大抵の作戦では失敗すると思ったんだ。私たちが“数億円を使って時間を買った”のは、CIAだけには絶対にバレる訳にはいかなかったからだ。CDCのエージェントが表立って『横取り』するのはどう考えてもまずい。万が一バレたら後で大問題になるだろう。アーノルドたちは私と協力を約束して見せたが、あんなのはしょせんポーズだけで、本当に協力する気は毛頭無いはずだ」