ビッグミリオン
「篠崎紫苑と言います。ビッグミリオン? どこかで聞いたような……」
「しばらくお待ちください。――篠崎様ですね。おめでとうございます! あなたは、この度申し込まれたビッグミリオンチャレンジに当選致しました!」
深夜にもかかわらずテンションの高い女性の声でそう告げられ、とっさに受話器を耳から遠ざける。
「ちょっとゴメン。いま酔っ払ってて頭が回ってないんだ。また明日かけ直してくれる?」
「承知しました。詳細は追って連絡します」と聞いたと同時に彼は途中で電話を切ってしまった。
「おはよー、あい。昨夜さあ、なんか当選しましたよ的な電話があったんだけど、ひょっとしてこないだのアレかな」
いつものように昼過ぎに起きると、化粧をしているあいに向かってあくびをした。
「アレってなによ。それよりもあなた、昨夜パンツが裏返しだった理由を説明してよね」
「ばーか。レース後にシャワー浴びたんだよ。そんなん普通だろ?」
「普通ねえ。今度からパンツにあたしの名前をマジックで書いてやるから」
「なにふくれてんだよ。小学生でもしねーよそんなこと!」
しばらくして言い争いは収まった。そしてやっと二人は、どうやら百万ドルチャレンジの権利を得たらしいという結論に達した。
「あたしのおかげなんだから、連れてって!」
まだクリアした訳じゃないのに、あいは飛び上がってはしゃいでいる。しまいには着ていく服をごそごそとクローゼットから引っ張りだし始めた。だが、行けるのは一人きりだ。
紫苑はハイハイという風に手を振り派手なシャツに袖を通すと、無言で部屋を出て行った。そしてどこかへ電話をかけ始めた。
俺は、目黒の公園のベンチで牛乳とパンをかじりながら、ボール遊びをしている親子をぼーっと眺めていた。まだまだ寒くて上着が無ければ外出できないが、公園には日差しが降り注ぎ、春の気配がそこはかとなく漂って来ている。
三月初めに退院し、早速会社に退職願を出しに行った時の事をぼんやりと思い出していた。
「上条くうん。今辞めることは無いよう。人居ないんだから、そのへん分かってよう」
普段は直接的な暴力までふるって来るのに、使えそうなヤツが辞める時は猫なで声の上司の態度を見ると、吐き気さえ覚えた。だが、さすがブラック企業だけあって、すぐには受理してはもらえなかった。結局押し切られ、しばらくは自宅待機扱いにされ現在に至っている。
「もっとはっきり意見の言える男になれたらなあ」
一人きりの寂しい昼食を食べ終わり、公園の池までとぼとぼ歩く。自分の姿を水面に映してみると、疲れた顔をした男がこちらを見返している。まさに〈生ける屍〉という表現がぴったりだ。
(自分のやりたい事する――か。俺には一体何ができるんだろう)
若い看護士の、あの言葉が頭から離れない。
大学のときの俺はスポーツもできたし、人を笑わすのが得意でまだ社交的なほうだったと思う。社会人になると同時に休日返上で働き、人とまともに話すのもおっくうになってしまった。ついには当時付き合っていた遠距離恋愛の彼女にも別れを告げられた。
今はこうして昼間から公園をぶらぶらと散歩している。まるで人生に疲れ切ったおじいちゃんみたいだ。
首をぶんぶんと振ってから、ふと雲ひとつない空を見上げた時、こうなったらキャリアを生かして自分でIT会社を立ち上げてみようかと、心の中に炎がめらめらと燃えてきた。
「でも、何を始めるにしてもまずは資金を作らないとなあ」
結局、いつもそこで考えは行き詰まってしまう。
ため息をつきながら歩き出そうとした時、携帯電話が鳴った。どうせ上司からの電話だろうと期待もしないで出る。
「はい、上条です」
受話器から紡ぎだされる女性の話が最初は全く理解できなかった。だが、少し興奮したオペレーターの声につられ、今まで沈んでいた気持ちがみるみる興奮に変わって行くのが分かる。確かにこの時は自分は最高にツイている男だと思っていた。
だが……この電話をきっかけに俺の運命は思ってもいない方向に激しく動いて行くことになる。