ビッグミリオン
The die is cast
『ラスベガス・チームセブン』 四月七日 夜
「さあ、行こうか!」
「いよいよだね」
「負けないわよ!」
俺は顔をぱんっと両手で叩くと黒いタキシードを肩に掛けドアを開ける。白いスーツでキメている紫苑に目をやると、それが似合いすぎて全く嫌味を感じさせない。その後ろには赤いシルク生地にスパンコールを散りばめたドレスを着たあずさが続く。対照的にざっくりと開いた背中は雪のように白く艶めかしい。
少し前まで俺たちは、まだ今夜の勝負の舞台を決めかねていた。その時、部屋のドアを控え目にノックしたのはゴールドマンの使いであった。彼は獲物を釣り上げる時の漁師のような眼をしながら次のような伝言を持って来ていた。
「失礼します。では、ゴールドマンからの伝言を伝えます。『君たちは逃げても一向に構わないが、日本のサムライなら私が待つ運命のドアを開けたまえ。もし君たち勝てば、今までの君たちの不正は不問とする』――以上です」
「なあんだ。とっくにバレてたのね」
あっけらかんとした顔をしながらあずさはころころと笑った。
「サムライって言葉を出されたら、勝負しないわけにはいかないよな?」
紫苑の言葉に俺たちは同意して頷いた。まさか、さかのぼって勝ち金を没収される事は無いと思うが、出入り禁止を言い渡されたらアウトだ。どっちにしろもうこの話に乗るしかチャンスはない。
ゴールドマンにまんまと乗せられたような気がするが、結局、今夜MGMグランドのVIPルームで勝負を行うことに決まった。
俺たちが到着するとすぐに、伝説の勝負を一目見ようと集まって来たギャラリーが一斉に好奇の混ざった視線を向けてきた。部屋の中は熱気にあふれ、皆これから起こる何かに期待しているようだ。
向こうの準備も万端で、この部屋は貸し切りになっているようだ。その証拠に整然と並んだルーレットやバカラテーブル、ブラックジャックテーブルの周りにはロープが張られ、誰も近づけないようになっていた。
取り囲んでいる人々の中には、顔見知りの私服のディーラーも混ざっていて「がんばれよ!」と次々に声を掛けてくる。手を挙げてそれに答え、『セブン』が用意された椅子に座ると、後はゴールドマンの登場を待つだけとなった。
「レディース&ジェントルメン! 今宵素晴らしいサプライズがあると聞いて来てみたら、いきなり司会兼ジャッジメントを任されました、このホテルの支配人のトッド・アクスチャーです。先に言っておきますが、VIPルーム貸し切りなど言語道断の大きな損失です。しかし……悔しいですが私はこのような勝負は嫌いではありません。皆さまと同じでこの勝負を見届けたいのです。――では〈ミスターパーフェクト〉ゴールドマンの登場です!」
会場が揺れるほどのほどの拍手が起こった。何故かロッキーのテーマが会場中に鳴り響く
両手を上げてスポットライトを浴びながら登場したのは、ショーン・コネリーそっくりの大柄な男だった。白い髭を蓄えたその風格は見る者を圧倒させる。優雅なしぐさで、支配人から渡されたマイクを握ると低く男らしい声で話し出した。
「みなさん、こんばんは。〈ミスターパーフェクト〉ことゴールドマンです。風の噂によると彼らはクールで“いたずら好きな”ギャンブラーと聞いております。実は私も今日の勝負を非常に楽しみにしていました。ところで、皆さまは今まで私と勝負した人の末路を知っていますか? そう、彼らは例外なく無一文になり、裸同然でベガスを去って行きました。おっと! そこのお嬢ちゃん、厚着はしてきたかな?」
あずさを指さすと、慣れた様子でウインクをぶつける。それを見て会場がどっと笑い出す。そう、覚悟はしていたが、ここは完全なアウェイなのだ。
視線が集まった事による恥ずかしさからか顔を赤らめていたあずさだったが、その両手の拳は固く握りしめられていた。
「ところで勝負の種目ですが、私はどれでも受けて立ちます。何がよろしいですか?」
自信満々な表情を浮かべて近づいて来ると、俺に金色のマイクをぐっと突き付けた。
「あんたが選べばいい。だがいいか? 後でこの子を侮辱したことを絶対に後悔させてやる!」
俺が睨むと、困ったような笑顔を作りながらも握手の手を伸ばしてきた。当然『セブン』は誰も握手などしなかった。あずさに至っては今にも殴りかかりそうだ。
「ほう、勇気ある発言をありがとう。懐かしいな。私も若いころはそのような眼をしていたものです。さて、どうしたものか。そうだな――では不正が入る余地の無いルーレットで勝負と行きましょうか」
くるりと背を向けると支配人にマイクを返し、彼の耳元で何かをささやくと自分の席に戻る。
「皆様、勝負はルーレットに決まりました。彼の提案により、ロシアンルーレット方式を使います。勝負は四回。御存じの通り、アメリカンスタイルのルーレットには 38個のポケットがあります。1から36、そして『0と00』です。ゴールドマンは基本的に2か所しかない緑色の『0・00』を狙います。会場の皆さんには信じられないかもしれませんが、彼は恐ろしく“肩が強い”のでまず外しません。しかし四回のうち一回だけわざと外します。その一回を当てたら挑戦者の勝ちとなります!」
ざわざわとどよめきが起こった。
トップレベルのディーラーは、狙った場所に自由に玉を入れる事ができるというのは本当なのか。そして、ここまで信頼されるこの男の腕前とはどんなものなのだろうかと。
「では、質問がありましたらどうぞ」
スタッフが期待を込めた目をして俺にマイクを渡した。
「ふたつ聞きたい。まず配当についてだ。手持ちの全財産七十五万ドルを全額勝負するつもりだが、俺たちが勝ったらどうするんだ?」
当然の質問だ。この金を賭ける以上、明確な答えを聞いておきたい。
「おっと! それは大事なことですよね。申し訳ありませんでした。彼が勝つつもりでいたのですっかり忘れていて」
ギャラリーがまたゲラゲラと笑い出す。
「そうですね。では七十五万ドルを四倍にしてお支払いします。それに私からのボーナスを十万ドル加えましょう。えーと、あ! 彼も指を一本出していますね。計二十万ドル足して三百二十万ドルが配当になります!」
笑っていたギャラリーが金額を聞いたとたん水を打ったようにしーんとなる。支配人とゴールドマンのポケットマネーだけでも日本円で二千万円が動くのだから無理もない。
「もうひとつ。そのルールだと、例えば一投目をわざと彼が外して、それを俺たちが当てられなかったら負けってことだよな? だが、そのあとも彼は強制的に三回投げる訳だ。もしそれが全て『0・00』に入らなかったら?」
その質問を聞いたとたん、支配人の顔からすっとニヤニヤ笑いが消える。
「……その場合は、ルール上こちらの負けと言う事になりますね。彼のプレッシャーは計り知れないでしょう」
ゴールドマンをちらっと横目で見たが、彼がすでにプロフェッショナルの顔になっているのを見て安心したのか表情がいくらか緩んだ。
「OK、じゃあそれで行こう。今の約束をすぐに文書にしてくれ」