ビッグミリオン
選ばれし者たち
『ニューヨーク市警・NYPD』 二〇一九年 三月
「ジェフ、これ見てくれよ。イカレてやがるぜ」
昨日二十八歳になったばかりのマイケルは、バースデーパーティ明けの今日も出勤だった。ただ、彼にとって幸いなことに今の時間には珍しく通報も少なく、Shake Shackのバーガーを口いっぱいに頬張りながらパソコンを見ているだけで良かった。
その声を聞いて、少し離れた席に居る相棒ジェファーソンは、自分の机に乗せていた足を面倒くさそうにどかっと下ろすと、巨体を揺らしながら彼に近づき画面を覗き込む。同い年の彼らは、警察学校の時からの友人であり良くも悪くもお互いを認め合っていた。
【あなたにピッタリなお相手が必ず見つかります。お問い合わせ先は……】
「何だこれ。お見合いパーティー〈スカートを履いた男性限定〉だと? 近頃へんなサイトが増えているなあ。そう言えばマイク、確かおまえ恋人が欲しいって言ってたよな?」
ジェファーソンはくっくと笑うと、マイケルの机にあったポテトをわしづかみにして口に放り込んだ。
「バカ、そう言うおまえが行けよ。でもまて、ちょっとだけ想像してみるから――くそ! ヤメとけば良かった。食欲無くしたから、もうそれ全部食っていいぞ」
「なんか悪いな」
「なあ、そういえば先週一緒に百万ドルが稼げるサイトに応募したのを覚えているか?」
「あれか……どうせあんなの当たるわけないよ」
ポテトをくわえたまま、太い首を振って両手を広げた。
「いや、何か凄い事が起こる予感がする。実は今朝、どこかに向かう飛行機に乗っている夢を見たんだよ。もし当たってたらそろそろ電話がある頃だ。なんてったって俺は『預言者マイク』って呼ばれてるんだぜ」
その顔はいつになく真剣だ。
「ああ。良く分かったよ、マイク。そうだな、医者に一回ココをよく診てもらえ」
ジェフは笑いながら自分の頭をとんとんと指で叩くと、また巨体を揺すりながら席に戻っていった。
その時突然、二人ほぼ同時に携帯電話が鳴った。マイクが出てみるとなんと! それは『ビッグミリオン』からの電話であった。
何か予感がしたのか、マイクは電話を耳に当てているジェフの背中を見る。彼は巨体に似合わないステップを踏みながらマイクを振り返り、満面の笑みを浮かべて親指をぴっと立てた。彼の体重に耐え切れず、どすんっどすんっと遅れて床が低い悲鳴をあげた。
『東京・池袋』 二〇一九年 三月
あずさのネイルサロンは、あれからも変わらず客足が鈍ったままだった。ネイルコンペティションで上位入賞する程の腕なのに、客が思ったよりも来ない。まだ宣伝が足りないのだろうか。
(嫌だけど、料金を下げて他の店と足並みをそろえるしかないか)と彼女が弱気になっていたその時だった。
その考えを断ち切るように、携帯電話が鳴る。鉛筆を上唇に乗せながら、綺麗な指先で電話を持ち上げ通話ボタンを押す。
「突然のお電話失礼致します。渋谷あずさ様ですか?」
また怪しい融資の電話かと思い、眉をひそめる。
「はい、そうですが」
「おめでとうございます! こちらは『ビッグミリオン事務局』です。あなたはこの度申し込まれたビッグミリオンチャレンジに当選致しましたので、ご報告の電話を差し上げました」
「えっ! 本当ですか?」
よほど驚いたのか、電話を落としそうになる。
「はい。つきましてはルール説明などがございますので、三月三十一日に新宿までお越し下さい。パーティーも兼ねてパークハイアットホテルにお部屋を用意しております。チャレンジスタートは翌日の昼十二時から十日間になりますが、ご予定はいかがでしょうか?」
(パークハイアットと言えば、東京でも屈指の超高級ホテルよね。このサイトを運営している会社は一体どんな会社なんだろう)と彼女は首を捻った。だが、ここでまさかの当選を逃す訳には行かないのだろう。
「はい! 大丈夫です。でもあの、ひとつだけ質問があるんですが」
「どうぞ。何でもお聞きください」
「チームを組んで条件をクリアするとホームページに書いてあったのですが、クリアした場合は均等に賞金をもらえるんですよね。貢献した割合とかじゃなくて……」
あずさにとって、そこはぜひ確認しておきたいようだった。
「もちろんです。クリアしたチームには〈それぞれ均等に一人ずつ〉百万ドルが渡されます。お望みでしたら当日に日本の紙幣で一億円の現金をお渡し致します。詳しい集合時間と場所はまたお電話さしあげますので」
「分かりました! ありがとうございます」
電話を切っても、しばらく彼女の震えは止まらなかった。
『富士スピードウェイ』 二〇一九年 三月
この日は絶好のレース日和だった。良く晴れた日で路面温度も二十五℃と理想的だ。
紫苑が乗る赤いマシンは、ピットアウトすると猛スピードでコースに戻って行った。甲高いエキゾーストノートと白煙を撒き散らしながら、コーナーに果敢に突っ込んで行く。
現在、紫苑のチーム『かたつむり小僧』は順調に二位をキープしていた。今日はアマチュア250CCのバイクレースがあり、上位八チームが決勝に残れる大事な日だ。
「紫苑くーん! がんばってー!」
スタンドからは女性たちの黄色い声援が上がる。派手な服装の女性が多く見受けられるのは、夜の仕事の関係からだろうか。その中にはあいの顔もあった。手には何故か『安全運転』と書いたボードを持っている。
一方、レースは危なげなく進行しているように見えた。このままだと優勝もありそうな勢いだ。しかし――チームの仲間もピットから声を枯らして応援するなか、突然、最終ストレートで紫苑のマシンから黒煙と炎が上がった。
そしてみるみるマシンは失速して行き、ゆっくりと止まる。彼はマシンを降りると、悔しそうにチームカラーの紫色のヘルメットを地面に叩きつけ、何か叫びながら両手を広げ空を仰いだ。
その夜の残念パーティーには十名のクルーが集まり、反省会が始まった。ここに居る面々は元不良たちだが、レースとマシンに対する真剣さは誰にも負けていなかった。
「紫苑おまえ、ひそかにシフトタイミング間違えたんじゃないのか?」
メカニックの堂本が、ニヤニヤ笑いながら紫苑をからかう。
「ばあか、俺が間違えるワケねーだろ。おまえらメカニックがどっかのネジを締め忘れたんじゃねえのか?」
ツナギからラフな服に着替えた紫苑も親指を下に向けて爽やかに笑うと、ぐいっとビールを喉に流し込んだ。
反省会の割には和やかな雰囲気の中、六本木のバーでの反省会は深夜まで続いた。一番最後に店を出た紫苑の頬を、三月の冷たい夜の空気がすうっと撫でていく。
「ううう、さみい! なんだ? この番号。横浜か」
今夜も適当な女の子の家に電話して迎えを頼もうと、電話の画面を見た時だ。見覚えの無い不在着信が表示されている。すぐにかけ直してみると、深夜にも関わらずすぐに相手が出たようだ。
「もしもし? なんか着信があったんですけど」
「お電話ありがとうございます。こちらはビッグミリオン事務局です。お名前をどうぞ」
留守電ではなくちゃんとしたオペレーターの声だった。