ビッグミリオン
『ジョージワシントン・現在地特定不能』 四月七日
「母親は?」
艦長のいるブリッジからブライアンは医務室に艦内電話をかけた。
「今は眠っています。出血は止まりましたので搬出可能です」
角刈りの軍医はペンをくるくる回しながら、後ろのベッドに横たわるまどかを振り返った。今は呼吸も落ち着き、胸にかけた毛布は上下にゆっくりと動いている。
「よし、十五分後にデッキで。ラボに運ぶまで君が付き添ってくれ」
「分かりました。ところで報告書には何と?」
「遭難者を救助し手当てをしたとでも書けばいい。分かっていると思うが、任務を終えたら今日の事は全て忘れるんだ」
一方的に電話を切り、少し驚いた顔の艦長に向けて少しくずれた敬礼をすると、デッキで待機しているヘリに向かった。
「CIAがデカいツラしやがって」
副艦長がそっと呟いたが、エアコンと雑多な機械類の音でその声はかき消されてしまった。
デッキではCH‐53 (シースタリオン)がスタンバイしている。このヘリの航続距離から計算すると、千キロ以内に海軍基地かCIAの支部があるに違いない。
ブライアンはデッキの先端に立ち衛星電話を取りだすと電話をかけ始めた。ブロンドの髪は風に激しくかき乱されているが、バランスのいい体格は少しも揺らいではいない。一羽のカモメが、鋭利な刃物のような戦闘機の上で羽を休めながら、珍しそうに彼の姿を見つめている。
「カエラか。いいニュースと悪いニュースがある。手短に? ああ、上手く行ったさ。あの金は私たちの例の口座に振り込んでおく。ところで、『監視チーム』に動きはないか? もしバレそうになっているなら、DOLLとアーノルドには急げと伝えろ。それで分かるはずだ。そして悪いニュースは……〈賢者〉エリックがベガスまで出向くという情報をつかんだ」
背を丸め、苦労してラッキーストライクに火を点けた。
「心配するな。一応胎児は生きて引き渡したからな。家族? 彼女の家族は“まどかって名前の子供がいた事さえ”今ごろ忘れているよ。そろそろ日本もエクスプロージョンに、まて。また連絡する」
視線を移すと、スタンバイ状態のシースタリオンにまどかが運ばれていく所だった。彼女には軍医が付き添い、ストレッチャーは透明なテントの様な物で厳重に封印されている。
「申し訳ないが、五百万ドルは有効に使わせてもらうよ」
独り言を言うと、身体が飛ばされる程のローターの風に逆らいながら颯爽とヘリに乗り込んだ。
同時刻
ラスベガスではアーノルドのハッキングにより、リーマンの身分が解明されようとしていた。
面白いことに、リーマンもアーノルドの情報を同じ時間に分析していた。さながらハッキング対決といったところか。
まず先手を取ったのはリーマンだった。CIAの秘密主義には手こずらされたが、CDCの人脈を使って下院議員の口利きを得たのが大きかったようだ。そして、ついに待望の機密コードを手に入れる。彼は数分の差でDOLLとアーノルドの本当の身分を突き止めた。
「CIAか。まあ予想はついていたが」
漆黒のスーツに袖を通すと、リーマンは早速行動に出た。アーノルドたちの泊まっているホテルなら把握している。フロントを影のようにすり抜け、スイートルームのドアをノックする。だがちょうどその時、アーノルドもリーマンの身分を特定していた。
「どうぞ」
この訪問を知っていたという表情で、DOLLがドアをゆっくりと開く。
そしてリーマンが反射的に懐に手を入れた瞬間!
彼女の手には魔法のように銀色の拳銃が現れた。そして瞬きをするほどの速さで銃口をリーマンの額に擦りつける。
だがリーマンも負けてはいない。その美しく整った彼女の眉に、鈍く光る銃口を同時に突き付けた。
そう、ボクシングで言うクロスカウンターの様に、いま二人の腕は交差していた。その姿は生と死を表す彫刻のように美しくもあった。
ぱんっ! ぱんっ! ぱんっ!