ビッグミリオン
『イギリス・チーム9』 四月七日
マイクとジェフ、そして将太はリバプール空港に向かうタクシーの中にいた。
「まあ、こうなると思ってたよ。最終レースはマジで惜しかったけどな」
マイクは前の席に座っている将太の肩をぽんぽんと叩いた。ジェフは後部座席の八割近くを占領して高らかにいびきをかいている。
「最終コーナーではトップだったんだけどね。あのままゴールすれば、今頃チャレンジクリア&プラスアルファで贅沢三昧だったよね」
だがその表情は明るく、後悔の色はみじんも無かった。将太にとってここで過ごした数日間は、きっと金銭にも代えがたい大事なものだったのだろう。
「お客さんも負けちゃったんですか? 私なんて小遣いの二百ポンド全部やられましたよ。ちなみにどれくらい負けたんです?」
運転手は、斜め後ろのマイクを振り返って聞いた。
「なあに、大したことない。たったの『三十万ポンド』だよ。はっはっは! まあ、人の金だけどな」
マイクの言葉をジョークだと思ったのか、運転手も一緒になって笑う。
その笑い声がうるさかったのか、ジェフが一瞬目を覚まし「ここどこ?」みたいな顔をした。だが、またすぐに雷のようないびきをかき始める。
「ところでショータはいくら懐に入れたんだ? 俺たちは四束ずつ隠してるけど」
助手席の将太の耳元に口を近づけてささやく。
「え、何のことだい?」
本当に驚いた様子だ。ここ数日の付き合いからマイクは将太が嘘を言っていないことを知っていた。
「相変わらず真面目だよな。でもショータのそういう所がキュートだぜ。ほら、黙ってこれポケットにいれとけ。俺とこの騒音野郎は、日本観光でもして帰るよ。まだ、スシやゲイシャを食べてないからな」
札束を二つ取り出すと、ドアと座席の間から将太のポケットに強引にねじ込んだ。
「ありがとう。良かったら日本を案内するよ。でもゲイシャは食べちゃダメだよ」
ほのぼのとした空気の中、タクシーはリバプール空港に到着した。ジェフを叩き起こした後、将太がどうしても見たかったという〈リバプール大聖堂〉を見学して帰ることにした。
リバプール自体がユネスコの世界遺産に登録されていることはもちろんだが、この大聖堂は欧州最大のイギリス国教会であり、ゴシック様式で作られた貴重な建造物である。聖堂内のイギリス最大の巨大なベルや、一万本近くのパイプを使用したパイプオルガンなどが有名だ。
三人はまるで子供のようにはしゃぎ、帰国前の最後の日を心ゆくまで楽しんだ。
「ふう、もう歩き疲れたよ。でもあれにも登ってみたいな」
身体を揺らしながら先頭を陽気に歩くジェフは、いつもよりも元気に見えた。
だが――今〈巨漢〉ジェフの身体の中では、深刻なエラーが起ころうとしていた。普通の成人男性の三倍はある体重と体格のせいで、チップ内のワクチンは異常な消費を身体から強いられていたのだ。
スタート時、各チームには平均で十五日程度有効なワクチン量が設定されていた。これは十日間のチャレンジには十分な量だ。ただし、主催者側の『チーム8』だけは例外だったが。
そう、彼のような巨漢の場合は消費が激しく、ワクチンが五日程度しか持たない可能性があった。もちろんこれは主催者側のミスであるが、彼らにとっては“とるに足らない些細な問題”だったのだろう。金をばら撒いた後の『チームの生死など関知しない』という姿勢は、このワクチンの量がはっきり示していた。
いつもニコニコしながら美味しそうに食事をしているジェフが、いつウイルスに感染してもおかしくない状態になっているのを、誰も、いや本人でさえもまるで気づいていなかった。