ビッグミリオン
『ラスベガス・チームセブン』 四月七日
「やっぱり、みんなに話した方がいいだろうな」
アーノルドから聞いた話が頭をぐるぐると回り、自分の部屋に戻っても俺は全く眠くならなかった。あずさと紫苑は待ち疲れて先に寝てしまったようだ。一人で悩みぬいた結果、とりあえず話す準備だけはしておこうという結論に達した。
早速アーノルドからジャミング装置を二時間だけという約束で借りてきた。まだ日が昇っていないが、二人を起こしてミーティングルームに集める。本当は逃げ出したいぐらいに気が重かった。
「寝ていたところを申し訳ない。アーノルドと話したことについて二人の意見を聞かせて欲しいんだ。どこから話していいか分からないけど順番に話すよ。まず、今回のビッグミリオンチャレンジの目的はみんなの思っているものとは全く違っていた。賞金がどうの、ペナルティがどうのとかいう話じゃない」
紫苑はソファにもたれ、驚いた目で俺の次の言葉を待っている。あずさは少し眠そうに目をこすっていたが、キッチンで人数分の珈琲を入れてきてくれた。香ばしい香りが部屋を包む。
「驚かないで聞いて欲しい。このゲームの目的は、『未知のウイルスをばらまくため』だったんだ。主催者が資本金の紙幣に仕込んだらしい。このウイルスは接触感染、つまり、口や粘膜から侵入して人間を死に至らしめる。そう、俺たちが日々接触している紙幣を介してだ。ただし、俺たち挑戦者が発症することはない。少なくとも今はね」
心なしか舌を湿らす珈琲も苦く感じた。
「なるほどな……首のチップか。おかしいと思った。追跡だけが目的なら、時計でも何でもいいんだからね」
眉をしかめながらも、今の話を二人は受け入れているみたいだ。
「そうだ。この首に埋まっているチップにはワクチンが装填されている。今は発症することは無いが、どうやらこのワクチンには期限があるらしい。この期限が過ぎたら俺たちは……死ぬだろう」
あずさと目を合わせるのが怖くて、つい下を向いてしまった。
「ねえ、死ぬって一体どんな病気なの?」
「詳しくは分からないが、聞いた話では急に脳がスポンジ状になってしまうみたいだ。似たような病気に『変異型クロイツフェルト・ヤコブ病』というのがあるらしい。さらに恐ろしい事に、このウイルスは進化する特性を持ち、やがて空気感染を始めるって話だ。その場合、このチップ内のワクチンは全く効かない。つまり……新しいワクチンを手に入れなければ、同じ結果が待っている」
勇気を出して顔をあげ答えた。
「そのクロイツフェルト・ヤコブ病ってやつ? どこかで聞いたぞ。そうだ! 昨日ニュースでやってたよ。いま世界中で急激に発生し始めて、交通機関が乱れたり事故が多発しているらしいね」
手元のテレビのリモコンを手に取ると、チャンネルを回し始めた。ちょうど地元のニュースでは、【謎の交通事故が、ここラスベガスでも多発】とテロップが流れている。
「謙介さんが何か元気なかったのはこの話のせいなのね」
心配そうな目で俺を見つめている。
「それもある。でも、もう一つ話さなければいけない事があるんだ。実は、アーノルドからある取り引きを持ちかけられた。『今夜までにある男のチップを首から取り出して欲しい』と。その報酬は、三百万ドルと新しいワクチンの優先提供だ。もしこの話に乗れば、生き残ることができると共に確実に金持ちになれるだろう。でもな……。俺たちがベガスにウイルスを撒き散らした事は間違いないんだ。知らなかった事とはいえ人を殺してしまうウイルスを!」
拳を握りしめて俺はまた下を向いた。
「自分たちだけ助かればいいのかってことね」
いつの間にか立ち上がったあずさが、背中から腕をまわしてきて俺を柔らかく抱きしめてくる。
「謙介さんさあ、そういう事は一人で悩んでないで、どんどんに叩き起こしてくれれば良かったのに。チームなんだぜ? 俺たちは」
窓からは朝日が差し、それに照らされてテーマパークのような巨大な建物が浮かび上がってくる。紫苑の眼は光の加減か分からないが、心なしか潤んでいるように見えた。
「で、手遅れなのかい?」
「ああ、もう遅い。ワクチンが無い人々は感染していくだろう」
「そっか。じゃあさ、俺たちが今できることをひとつずつ考えようよ。まず、その男の事を詳しく聞かせてくれ」
詳しい説明をしながらあずさの腕をそっと引き離し、ありがとうと目で答えると写真をポケットから取り出してテーブルに置く。
「この男のチップを取り出すということは……結果的には彼は感染して死ぬってことになる」
俺のこのつぶやきに部屋の空気が凍りつく。席に戻ったあずさは悲しそうな顔をして目を伏せている。
「でもさ、あと二日しかないんだよね。カジノでこれから勝ちまくって例え百万ドル突破したとしても、いずれは発症して俺たちも死んじゃうのか。ただし――この取り引きさえこなせば、新しいワクチンも大金も手に入ると」
コイツの言いたいことは良く分かる。要は『綺麗ごとを並べていたらチームセブンは全滅する』ってことだ。俺はともかく、あずさを死なせるわけにはいかない。
そう。生きるか、死ぬかの選択をこれからするんだ。
「ね、謙介さんの考えを聞かせて」
「俺もぜひ聞きたいね」
二人とも期待を込めた眼で、俺の口から出る言葉を待っている。
「決めたよ。――取り引きに乗ろうと思う。でも、これは俺一人でやる。二人は手を出さないでくれ」
「だめよ! 謙介さんの手が汚れるなら、あたしも同じように汚すわ!」
大粒の涙を撒き散らしながら叫ぶ。小さなこぶしをぎゅっと握りしめながら。
「ちょっと待ってくれ。今考えたんだけど……。わずかだけどまだ選択肢はあるんじゃない? 俺たちにはいま七十五万ドルある。これでカジノを責めてみようよ。今からセブンの力を結集して大勝負するんだ。百万ドル目標なんてケチくさいことを考えずに、持っている金を全てぶつけてみよう。もしかしたら大金を積めば、ワクチンをヤツから買えるかもしれないじゃん」
あずさも紫苑のこの案を聞いて頷いている。
「うーん。三百万ドルを自由に動かせるヤツらが金で売ってくれるとは考えにくいけど、それなら少なくとも人を傷つけることは無いよな。よし、ワクチンは後で何とかするとして、まずは勝負して大金を作ろう。でも望みが無いって途中で判断したら、俺は取り引きに乗るよ。もし間に合えばだけどな。これはリーダーの最後の頼みだ」
ずるい考えかもしれないが、チームが生き残るためには保険も必要だった。
「了解。じゃあ俺はそろそろ出国の手配をしとくよ。まあ、ワクチンを手にいれなきゃ帰国しても意味ないけどさ。あ、逃亡プラン用の飛行機の段取りはそのままにしてある。最悪の場合、取り引きの後に使えるだろ」
「ありがとう紫苑。じゃあ大勝負に備えて各自少し休んでくれ。それとあずさ……さっきはありがとな。気持ちがすーっと楽になったよ」
感謝の気持ちを込めて少し照れているあずさを見つめる。
「充電できた? 良かった。これでチームセブンは無敵! だよね」
まだ目は真っ赤だったが、両手でVサインを作って白い歯を出しにかっと笑った。