ビッグミリオン
『ラスベガス・チーム4』 四月七日
「さあて、次はどれで遊ぼうかな」
リンダに百ドルチップ五枚をもらったモヒカンは、部屋にも帰らずにカジノを徘徊していた。
たまにリンダと短い会話をしていたが、彼女は肩をすくめるだけだ。リーマンは他のカジノに行っているのか、全く姿を見かけなっていた。
「はあ……。このままじゃ明日あたりには帰国かな」
手元のチップは順調に減っていた。金髪のバニーガールから受け取ったアイスティーをすする顔にも疲労の色が浮かんでいる。一方、少し離れたバカラテーブルでは大歓声が起こり、髭の男が女性たちの腰に手を回しながら喜びの雄叫びを上げていた。きっとかなりの額の勝負に勝ったに違いない。
「いいよなあ、運がいいヤツは」
横目でそれを見ながら、ベガスに来てから一番長いため息を吐き出す。あれからかなり増えた時期もあったが、もうクレジットにわずか五十ドルしか残っていない。
ふいに、嗅ぎ慣れたコロンの香りがモヒカンの鼻をくすぐった。
「香織さん、今日も来たんだ? また勝てるといいね。そうそう実はさ、俺そろそろ日本に帰るかもしれないんだ。彼女が帰ってこいってうるさくてさ」
もちろん彼女などいない。
彼が声をかけたのは、ビデオポーカー好きで最近仲良くなった、少しふっくらした未亡人だった。二人は何故か意気投合して、数日前から時々隣同士で楽しそうにプレーしていた。
しっとりとした和服を着た美人といるモヒカンをみて、きっと周りには異色のカップルに映っていたことだろう。
「本当? それは残念ねえ。あなた目元が死んだ夫と似ているし、見かけによらず優しいから私すごく楽しかったのに」
寂しい表情を隠すように高級なハンドバッグから名刺を取り出すと、裏にサラサラと何か書いて渡した。
「帰国したらここに連絡してみてね。もしあなたが音楽を本当にやりたかったら、何か手助けができるかもしれないから」
にこっと笑うと、高そうな指輪をはめた綺麗な指を差しだし、モヒカンと握手を交わす。
「ありがとう。俺も楽しかったよ。香織さんにポーカーのルールを教えながら遊んだ毎日は、俺にとっていい思い出になるよ。帰ったら必ず連絡するから。じゃあまた!」
名刺をポケットに入れ五十ドル分のクレジットを落とすと、少し寂しそうな背中を見せながら立ち去った。
「残ったのはこれだけか。こりゃもうダメだな。よし! じゃあ負け犬は退散するか」
オケラになれば、後は部屋に戻り黙って帰り支度をするだけだ。ポケットに手を突っ込み歩き出したが、何故か一台のスロットマシーンの前で足を止める。そのマシンの上部にはジャックポットの数字が表示され、なんと現在の額は約十四億円を突破している。
「ふうん。どうせダメなら一発勝負してみよ。当たるわけないけど」
そこから遠目にブラックジャックテーブルに座るリンダの姿が見える。
(これが終わったら彼女を誘ってメシでも行こうかな)と、よそ見をしながら一ゲーム回した時だった。
ティロリン、ポンッ! ティロリン、ポンッ! ティロリン……ポンッ!
いつものようにリールが止まったはずだった。しかしポンッという聞きなれない音に何か違和感を感じたらしくモヒカンはマシンをまじまじと見つめる。
タカが羽を広げたような〈MEGA BUCKS絵柄〉が大当たりラインに三つ並んでいるが、特に何も起こらない。残金のメーターを見てもクレジットは上がらず、マシンはただの置物になってしまったかのように沈黙している。
機械上部の配当表を確認してみると、最高配当の所に『MEGA BUCKS』と書いてあった。
「これってまさか……。壊れちゃったのかな」
クレジットボタンや精算ボタンを連打したが、相変わらず何も起こらない。だが、彼はまだ気づいていなかった。
画面に表示された『CALL ATTENDANT』という文字に。
「あれ? ジャックポットの数字のカウントが止まってるじゃん」
本当に壊したと思ったのか、腰を浮かせ逃げる寸前に彼はとうとう気づいた。
まず動いたのは当事者ではなく、二つ隣に座っていた恰幅のいい紳士だ。興奮した様子で上部のジャックポット表示『14,146,854.24』を指すと、つばを飛ばしながらモヒカンに何かをまくし立て始める。そして勝手に手を伸ばし係員を呼ぶボタンを押す。
「オーマイガッ!」
次に、三つ隣に座っていたドレスを着た婦人が頬に手を当てて駆け寄って来ると、バンバンとモヒカンの肩を思いっきり叩く。
「いってーよ! おまえら何を興奮してんだよ!」
次第に周りには続々と観衆が集まってきた。彼らは一様に驚いた様子を見せると、次に携帯をとりだして写真を撮り始める。後から来た人々はジャックポットの数字を見ると、ほぼ全員が先ほどの婦人の言葉を口にしていた。
そう、彼は最後に『メガバックス』というとんでもないマシンに座っていたのだ。特筆すべきはジャックポットの確率である。
このプログレッシブ型マシンの代表でもあるIGT社のマシンは、ネバダ州のメガバックスに投入される金額の何パーセントかを積み立てて、莫大な額のジャックポットを実現していた。正確な数字は公表されていないが、ジャックポットの確率は約 3,350万分の1と噂されている。
「コングラチュレーションズ! ミスター」
騒ぎを聞きつけたのか、係員を呼ぶボタンで来たのかは分からないが、支配人クラスと思われる人物が人ごみをかき分けてニコニコしながらモヒカンに近づいて来た。後ろにはガッシリした体格の、ボディガードらしき黒人を引き連れている。
それを見て――突然トサカをなびかせモヒカンは逃げだした! 彼は自分が何かとんでもないことに巻き込まれてしまったのだと勘違いしたのかもしれない。だが、すぐに笑顔のボディガードに手を広げられブロックされる。
「俺なんにもしてねーよ! 勝手に電源が切れたんだってば!」
抗議も空しく結局席まで戻されると、丁寧に椅子を引かれ座らされる。
次に登場したのは機械のメーカーの偉い人だった。こちらは日本人の通訳を同行していた。ヤマザキと名乗るこの通訳の説明により、やっとモヒカンの顔が笑顔に変わり始める。どうやらこの偉い人がジャックポットの正式な認定から当選金の支払いまでを管理するらしい。
「あんた! 今度は何やらかしたのよ!」
その大声に振り向くと、リンダ姉さんが真っ赤な顔でまた怒っていた。きっと騒ぎを聞きつけ見物に来たのだろう。だが次の瞬間モヒカンの前に背中を見せて立ち、彼を守ろうと観衆を睨み付けた。
「俺、ひょっとして何か凄いことやっちゃったかも」
ようやく『いい意味で』とんでもない事をやらかしたことに気付いたらしく、リンダの手を引っ張ると隣の席に座らせた。ヤマザキが満面の笑みを浮かべながら二人に詳しい説明を始める。