ビッグミリオン
一時間前
街外れのインターネットカフェに、品のいいスーツに身を包んだ『チーム4』のリーマンがいた。
「友人が来るので」と受付で隣のボックスもキープする。
このビッグミリオンチャレンジに当選したことはリーマンにとって偶然では無かった。彼は筋金入りのハッカーだったが、二年前にアメリカ疾病予防管理センター(CDC)のサーバーに侵入した罪で有罪になっていた。
しかし、謎の司法取引によりCDCにスカウトされ、サーバーのセキュリティ強化チームに配属された。もし同じようにハッキングされてウイルス等の情報が悪用されたら、世界は未曽有の脅威にさらされてしまうと考えたのだろうか。
サーバー強化が一通り終わると、次は危険な民間会社を監視する任務につく。筆頭に挙がっていたのは『ビッグミリオン』という会社であった。
ある日、ついに彼はその会社のサーバーに侵入することに成功した。
「なんだ、これは」
極秘ファイルを開いた瞬間、その内容に愕然とする。そこには第二次世界大戦時代の『神の鉄槌』作戦の詳細が保管されていたのだ。すぐに、上司であるエドワード博士に報告した。
ファイルの最近の更新に【ワクチンをチップへ封入する方法】も記されている。詳しく調べるためには自分が潜り込むしかなかった。アメリカ政府の許可のもと、彼は自分の名前を当選者欄に強引にねじこんだ。
しばらくすると、脇に赤いタオルをはさんだキムが店に入ってきて隣のボックスに座った。注意して見る人がいたら、それは赤いタオルではなくもともと白いタオルが赤く血で染まったものと気づいただろう。彼は痛そうに顔をしかめていたが、重いアルミケースはしっかりと握りしめていた。
「うまくいったようだな」
ネットカフェのモニター画面をまっすぐ見つめ、端末を叩きながらリーマンがささやく。
「ああ、彼女が生きているうちに取り出して、自分の脇に切れ目を入れてぶちこんだ。しかし爆発まで十秒ってのは本当なのか? 焦って入れたから大出血したよ」
縫った傷口が開かないように更にきつく脇をしめる。
「それは悪かった。実は正確な秒数は分かっていなかったんだ。十秒以内なら大丈夫だろうと」
謝りながらも指先は高速でキーボードを操り、どこかの伝言板に意味不明な文字の羅列を書き込んでいる。そして送信ボタンを押すとすっと立ち上がり、二人で店を出て用意したレンタカーに乗り込んだ。
キムがもう少しだけ注意深かったなら、キーボードの指紋をすばやく拭いたリーマンの行動に気づいたかもしれない。
「金はどうした? こちらはひと束もあれば十分だが」
運転しながらキムを鋭い眼でにらむ。
「だ、大丈夫だ。ここにある。俺はアーノルドを裏切ってあんたについたんだ。約束どおり、あとの金は全部もらうよ」
問いかける口調に何か不吉なものを感じたのか、キムの目には脅えの色が走っている。
「ああ、約束した報酬だからな。全部持っていけ。そのチップを脇に入れとけばこの先きっといい事があるだろう。あと君は、今日以降しばらく身を隠してくれ」
タイヤをきしませ交差点を曲がると、空港方面に進路をとった。
「あ、そうそう」
次の信号に止まった瞬間、自然な動作で注射器を内ポケットから出すとキムの太ももに突き立てた。その注射の効果はたちまち現われた。まだ意識はあるようだが身体はぴくりとも動かせないようだ。
「大事な事を言い忘れていたよ。実は君は貴重な実験体だから手放せないんだ。この札束に塗布されているウイルスの分析と同時に、発症初期段階の者にもワクチンが効くのかを調べなくてはならない。君は恐らく『感染済み』だから、いいモルモットになるはずだよ。協力は本当に感謝するが、残りの金は持ち主に返しておくよ。彼らに嗅ぎ回られると今はまずいからね」
まずキムがアーノルドとの通信に使っていた時計を、手首から外す。中身はナンシーのペンダントと同じタイプだと思われた。この時計からの電波を傍受することができたからこそ、キムを裏切らせる事ができたのだ。
次にアルミケースを手から引きはがし後部座席に放り投げると、待ち合わせの教会へ急いだ。
「あつしさん! 部屋の外にこれが置いてありました!」
さんざんキムを探し回って収穫が無かったゴリラが、肩を落としながら部屋に戻ろうとするとドアの下に懐かしのアルミケースを見つけた。
「中身を数えてみろ」
あつしはゴリラが出て行った時のままの姿で座っている。しかし、彼は遺体を得意の方法ですでに『処理』していた。ベガスを出て少し走れば、おあつらえ向きの砂漠がたっぷりとある。扱い慣れた人に使われたスコップは、レンタカーのトランクにそっと仕舞われていた。
「はい。……えーと、一束足りません。千ドルだけ無くなってます」
あつしに叱られるのが恐ろしいのか、もう一度数えだした。
「たった千ドルのために殺されたのか。――いや、違うな。チップもそうだが、札束にも何か秘密があるんじゃねえか? 巧妙な偽札だったりしてよ」
ゴリラの数えている札束をテーブルから乱暴にどけると、ノートパソコンを広げる。次に検索条件の欄に『ラスベガス 研究所 分析』と打ち込むと、四件がヒットした。
「金はかかるかもしれないが、明日にでも紙幣を分析してもらうか。最初から何か匂うんだよな、このゲームは」とそっと呟いた。