ビッグミリオン
『ラスベガス・チームセブン』 四月六日
夜の一時を回ったが、ホテルのラウンジはにぎやかだった。俺は隅のテーブルに座りナンシーの携帯からさっきの番号をリダイヤルした。
同時に真後ろで携帯の呼び出し音が鳴り、黒いスーツを着た痩せた男が〈まるでこちらの顔を知っていたかように〉対面の席に座る。
「チームセブンの上条謙介です。そうか、あなたは俺の顔を知っているんですよね。スタートの時は人数が多かったので、残念ながらそちらの顔は思い出せませんが」
当然、握手をするつもりは無い。
「いえいえ、かまいませんよ。僕はアーノルドといいます。どうやら順調に資金を増やしているようですね」
まっすぐ俺を見る目は、知的な光を帯びている。先ほどの電話の時と違って口調も紳士的だ。
「今のところは。ところで、ナンシーを紫苑に接触させたのは、あなた達ですか?」
ここに来るまでに疑問に思っていたことを直球でぶつけてみた。
「いえ、接触があったからこそ後から買収したんです。彼女に悪気はないのでどうか許してやって下さい。ここだけの話ですが、他のチームにも監視をつけてあります。ただし、これはライバルチームを蹴落とすための作戦ではありません。目的は“映像で経過を記録すること”でした」
「経過を記録? チャレンジの記録でも残すんですか? もしくは逃亡の方法を真似るとか」
最後は冗談っぽく言ったつもりだったが、手のひらにうっすら汗をかき始めていた。
「いえ、両方とも違います。記録は別の事に使いますが、今は話せません。実は私たち『チーム8』は主催者側の人間なんですよ。〈チャレンジでお金を一定以上増やせばクリア〉というのは建前で、本当の目的は別にあるんです。しかし、これを聞いたらあなた達はもう後戻りできません。どうしますか?」
少し意地悪そうな顔で俺の答えを待っている。
「……待って下さい。それを俺に話したら、あなた方の立場も危うくなるのでは?」
「もちろんです。本当に主催者側の人間だったらこんな話は絶対にしません。僕はビッグミリオン本部からの命令を遂行するフリをして、別のある任務に就いています。その証拠にあなたの首のチップから出ている電波に、今この場で強力なジャミングをかけています。長く浴びると健康に害が出る程の電波です」
ポケットから小型のトランシーバーのようなものを出してテーブルに乗せた。
「都合のいい事に、あなた方は〈逃亡〉も視野に入れているようですから、この話に興味を持つかもしれません」
彼は何かを恐れているのだろうか。さっきからラウンジにいる人の顔を、眼の隅で素早く確認している見える。
「話ですか? もう知っているようなので話しますが、もし賞金をはるかに超えるような大勝ちになった場合『チームセブン』は逃亡を選択します。ペナルティが何であっても、俺が彼らを守ります」
いつから盗聴されていたのかは知らないが、こいつらはもう全てを把握しているようだった。【敵の敵は味方である】という言葉が頭に浮かぶ。
「なるほどね。でももっと楽な方法もありますよ。もし僕たちと取り引きしてくれたら、三百万ドルを現金で差し上げます。確かあなた方が稼いだお金は現在六十万ドルを超えていますよね。それを足せば確実にひとり一億二千万円以上が手に入ります。よく考えてみて下さい。まず期日までにあなた方が、あと四十万ドルを確実に稼げる保障はどこにもないですよね」
俺はすばやく頭で計算した。確かにそろそろカードカウンティングは使えなくなるかもしれない。もし稼げない場合はチャレンジ失敗でゼロであるが、この話に乗れば確実に一億円以上が手に入る。
悪くない。が、簡単な条件ではないことは容易に想像がついた。
「一応聞きますが――取り引きの条件とは?」
ごくりと唾を飲み込んだ。
「いや、簡単な事ですよ。七日の夜までに、ある男のチップを取り出してもらいたい。ただそれだけです。多少痛みはあるでしょうが、出血もすぐに止まるはずです。僕はその後あなた達に三百万ドルを渡し、本来の任務に戻ります。簡単でしょ?」
「いったいその男って誰なんですか?」
「同じチームの〈童顔〉ベイブと呼ばれている男で、彼は僕ともう一人の女性を疑い始めているようなんです。その証拠に、彼の報告次第で殺し屋が派遣されるという情報が、僕ら本来の組織から入ってきています。どうやらビッグミリオンの幹部は裏切り者を絞ってきたようですね」
なるほど。さっきからこの男が、周りを見廻す鋭い視線の正体はこれだったのか。
「ひとつ質問よろしいですか? あなた方はチップからの信号をジャミングする方法を持ってますよね。殺し屋が来る前にさっさと逃げた方がいいのでは?」
当然思いつく質問をしてみた。
「逃げれるものならとっくに逃げてますよ。でも、今は任務があります。では先ほどの本当の目的の話に戻りますが、ビッグミリオンはただのイベント会社ではありません。極端な言い方をすると『カルト集団』なんです。アルミケースに札束がびっしり入っていましたよね? その札束全てに、あるウイルスが散布されています」
「ウイルスだって? じゃあ俺達は感染しているじゃないですか。だってその札束には毎日のように触っているんですよ」
頭が真っ白になった。あずさも感染している? だがもう――手後れかもしれない。
「落ち着いて聞いて下さい。参加者の首のチップにはそのウイルスを無効にするワクチンが注入されています。札束には触っても大丈夫ですが、ひとつ問題があります」
アーノルドは身を乗り出して、テーブルをとんとんと叩いた。
「残念なことに首のチップの効果には『期限』があります。つまり……何か対策を打たない限り、いつかは必ず感染してしまう。もしそうなってしまったら、結果的には百パーセントの確率で死亡します」
「待って下さい。じゃあ俺たちは、ウイルスをばら撒く手伝いをしているってことじゃないですか! しかも命にかかわるウイルスを!」
俺はどんっと机を拳で叩いた。その音に周りの紳士たちが驚いて一斉に振り返る。
「……声を落として。確かにウイルスをばら撒くことには加担していますが、知らなかった訳ですから責任はありません。実は別の手口でもすでに広範囲にばら撒かれているんです。遅かれ早かれ、世界中でパンデミックが起きてしまう。つまり、もう手遅れなのです」
椅子に深く座り直しながら、あきらめたよう両手を広げた。
「責任は無いって言われても、カジノのディーラーやキャッシャーの人などは特に危ないじゃないですか。あ! ナンシーにも警告しないと」
部屋に戻ろうと、あわてて腰を浮かせかける。
「ちょっと待って下さい。彼女はたぶん大丈夫ですよ。もし手で触っても口や粘膜に触らなければ〈今は〉感染しません。僕も彼女にそれとなく警告しましたから。それからもうひとつ。やっかいな事にこのウイルスは『進化』するという特徴を持っています。今はシーズン1ですが、シーズン2になると……空気感染に移行するのです。この場合は今のチップのワクチンは効かないでしょう」
「その進化は――どのくらいで起こるんですか?」