ビッグミリオン
DEAD OR ALIVE
『アメリカ合衆国・疾病予防管理センター(CDC)』 四月六日
「大変です! ニューメキシコ州、カリフォルニア州、ニューヨーク州でも確認されました!」
会議室に飛び込んできたスタッフが、顔に汗を浮かべメモを片手に叫んだ。
アトランタにあるCDC本部では、既に六時間に及ぶ対策会議が行われていた。内容は、世界各地で発生している今までにない謎の病気の件だ。
続々と届く検死報告をまとめた結果、人種を問わず遺体の脳は例外なくすべて『スポンジ化』していた。現時点では伝染病と断定されていないが、この様子だと確実に検死報告書の数は増え続けるだろう。
「かなりのスピードじゃな。というより潜伏していたものが一気に発症したという事か」
会議の中心人物にエドワード博士がいた。彼は『変異型クロイツフェルト・ヤコブ病』の権威と言われていたが、スタッフの新たな報告を聞くたびに落ち着かない様子で髭をなでる。老若男女人種を問わず、発症してから数日間で命を落としてしまうこの病気にかなり戸惑っているようだ。
通常、この病気は急速な認知症を起こし自分の思うように身体が動かなくなり、長くて三年以内に死亡する。それに比べ今回の病気の進行はあまりにも早すぎるのだ。
遺族からの聞き取り調査によると、判を押したように同じ答えが返って来ていた。生前に異常な行動(食事をとった事を忘れたり、自分の名前を忘れる事)が確認された。
「では家族が病気と認知する前に、致命的な進行をしているのじゃな?」
博士は資料を見ながら質問した。
「はい。周期性同期性放電(PSD)検査をする時間もありません。なにせ病院に運ばれた時は手遅れなのですから。ですが……今朝高速道路で事故を起こして病院に運ばれたある女性は、幸運にも生きていました。頭を打った衝撃で記憶が混乱している可能性も否定できませんが、彼女の言った言葉が先ほど私に届いています」
咳ばらいをひとつしてそれを読み上げる。
「いつのまにか椅子に座っていました。凄い速さで景色が後ろに流れて行きます。私は何か丸い物を両手で掴んでいたのに気付くと、急に怖くなり手を離してしまいました」
「この女性の掴んでいた物とは、『車のハンドル』だと思われます。この事から、記憶の断裂がいきなり起こっている事が推測できます。残念なことに彼女はこの直後に意識不明となり、現在脳死状態です」
スタッフに浮かんでいる表情には、はっきりとした恐怖の色が現れていた。
「そうか。まあ運転中に記憶を無くす事例は他にも考えられるが、例の航空機の機長と本質的に同じ症状じゃな。ところで、彼はまだ生きとるのか?」
丸いレトロなメガネを外しながら質問する。長時間の会議の産物なのか、彼の白髪は思い思いの方向に流れて乱れていた。
「はい。しかし家族が面会したところ、彼は誰一人家族の顔を認識できなかったそうです。すぐに意識混濁に陥り、現在はワシントン州立病院に隔離されています」
「――うむ。ではCDCの権限でその機長に面会を申し込んでくれ。マスコミが動き出しているそうだが、感づかれてはいかんぞ。わしも研究室に寄って必要な機材を揃えたらすぐに向かう」
「しかし博士、パンデミックになってからでは遅いのでは。今のうちマスコミを使って警戒を呼び掛けた方が」
別の若いスタッフが立ちあがり、全員の注目が集まるなか慎重に発言した。
「いや、まだ早い。何より恐ろしいのはパンデミックでは無く、パニックなんじゃ。いいか? もしこれが新しいタイプの伝染病だとしたら『今世紀最悪の恐ろしい病気』であることは間違いない。一分一秒を争う事態じゃ。各自細心の注意を払って動いてくれ」
会議室から数人のスタッフが走り出た。しかし、一番急がなければならないはずのエドワード博士は机に肘を着き、何かに怯えているように頭を抱えていた。
「まさかとは思うが……あの旧日本軍の『神の鉄槌』作戦が絡んでいるのか?」
自分が独り言を言っている事さえ気づいていない様子だ。今のこの状況は、ある情報を元に博士が数十年前に予想したものとそっくりだった。
彼はゆっくりと立ち上がると頭を振り、重い足取りで会議室を後にした。
『神の鉄槌』とは第二次世界大戦時の極秘任務であり、日本軍部の謎のひとつとされている。その任務のひとつは特殊なウイルスを敵国にばらまくというものであった。しかも、ウイルスに感染させた兵士に対し「わざと捕虜になるように」とも教育していた。
これがもし戦争に使われていたら歴史が変わったのか、今となっては誰にも分からない。しかし、たぶん使われてはいないだろう。
なぜなら……。その戦争があったことを覚えている人たちがいるからだ。