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かざぐるま
かざぐるま
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ビッグミリオン

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『ラスベガス・チームセブン』 四月五日


「謙介さん、例のモノ用意したよ」
 ホテルのロビーを出た俺は、ロータリーの脇から紫苑に声をかけられた。彼の後には大型バイクが二台並び、エントランスの光に照らされて長い影を落としている。
「さすが紫苑くん、仕事が早いね」
 カワサキのエンジンをかけると、久し振りの心地いい振動が俺の全身を震わせる。それと共に十代の頃の素晴らしい仲間たちの顔が瞬時に蘇ってきた。
「バイクに乗るの久しぶりなんだろ? しっかし謙介さんがバイクに乗れるとは知らなかったなあ。頼むから無理して事故らないでくれよ」
 エンジン音に負けない大声で心配してくれているが、ヘルメットの中の目はこれから始まるツーリングを楽しみにしているように見える。
「ミード湖のラスベガス湾まで約三十キロだっけ? 楽勝だよ。もしお前が負けたらビールおごれよ」
 バイザーを開け、負けずに俺も大声で声で叫んだ。こんなにわくわくするのは本当に久しぶりだ。
 昨日のミーティングでさんざん話し合った結果、万が一の為の逃走ルートをまず確保することにした。幸運と不運が同居するここラスベガスでは、この先何が起こってもおかしくないからだ。わずかに金額が足りずにチャレンジ失敗、もしくは奇跡的に五百万ドル以上稼いだら『逃亡』を選ぶことに決定した。もちろんこれはあずさも承諾している。
 逃亡計画はこうだ。
 ラスベガス湾までバイクで走りぬけ、チャーターした水上飛行機に乗り込む。そこからパナマまで飛び、輸送船に潜り込む計画であった。金はそれなりにかかるが、ナンシーのつてを使ってパイロットは手配することができた。
 病院で検査を受けた結果、やはりチップはもともとそこにあったかの様に存在していた。もしこのチップから追跡シグナルが出ていた場合に備えて、それを妨害する対策も一応考えてある。
 もっともこれらの計画は『金を持っていなければ意味が無い』ので、まずは勝ち続けることが前提となるのだが。
 紫苑は後輪から煙を出してスタートした。タイヤの焦げる匂いが辺りに漂う。さすがと言うべきか、マシンを自分の手足の様に扱っている。
 これは後から聞いたのだが、彼は昼間に下見を兼ねてラスベガス湾まで往復していたらしい。もうこの時点で紫苑が有利だったことは間違いない。
 紫苑のバイクが国道に飛び出すと同時に、俺もクラッチをすぱっと離した。前輪が高く持ち上がり、カワサキは身をよじるように暴れだす。
――が、すでに信号ひとつ紫苑は先を走っていた。
「ズルいよなあ……。あいつ現役のライダーじゃんか」
 ヘルメットの中で苦笑いしながらつぶやいた。二台のカワサキはストリップ通りを瞬く間に抜け、弾丸のように東を目指して疾走していく。

 このレースのゴールはラスベガス湾のボート乗り場だった。そこには白く塗装された豪華なボートが何隻も係留されていたが、夜の暗い湖面はその白ささえも飲み込んでしまっているように見える。
「そろそろかな」
 俺は五分ほど先に着き、地面に置いたヘルメットに腰掛けて紫苑の到着を待っていた。バイクの後輪タイヤを指で触ってみると、少し溶けているのが分かる。
 澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで夜空を見上げた時、何故かあずさの顔が頭に浮かんだ。それと同時に遠くから排気音が近づいてくる。
「速っええええ! 謙介さんの走りはクレイジーだよ! うちのチームでも、そんな速いヤツいないよ」
 俺の横に後輪を滑らせながら乱暴にカワサキを停める。そのままヘルメットを脱ぎ、本当に悔しそうに俺を睨み付けるとミラーに掛けた。コイツは相当な負けず嫌いなのだろう。
「昔は暇さえあれば峠を走り回ったからなあ。バイクで走るのだけは誰にも負けた事がないよ。金かかるからレースには出なかったけど」
「本当にまいった! でも帰りも勝負してよ。もしまた負けたら、引退して謙介さんを俺のチームにスカウトする」
 今度は爽やかに笑いながら、俺の肩に軽くコブシをぶつけた。
「ナンシーが紹介してくれた水上飛行機のパイロットは、彼女の兄貴だってさ。空軍にもいたことがあるらしいよ」
 朽ちたボートに腰掛け湖面につま先を遊ばせながら、紫苑が手のひらで隣を指した。
「じゃあ、腕は確かだな。問題はパナマまで無事に着けるかだ。場合によってはロサンゼルスまで陸路で行くことになるかもしれないな」
 ぽんぽんと腰を叩きながら隣に座る。久し振りのバイクはかなり腰にきた。
「……あのさ、ひとつ聞いてもいい? 謙介さんはあずさのことをどう思ってるの?」
 不意を突かれた質問に戸惑いながら隣を見ると、真剣なまなざしが突き刺さってきた。こいつのこんな真面目な顔は今まで見たことが無い。
「そうだなあ。最初はおしゃれで今時の娘だと思ったてたけど、話してみると凄くいい娘だよな。責任感はあるし、意外と古風なところもある。もし今回何か危ない事があったら、命がけで守ってやりたいっておい、彼女に言うなよ」
 最後は冗談っぽく言ったのだが、紫苑の固い表情はみじんも変わらなかった。
「命がけでも、ね」
「何だよ。俺はおまえのことだって命がけで守るよ。リーダーってそういうもんだろ」
「そういうことを聞いたんじゃないんだけどな。――よし! 帰ろう。ホテルまでもう一度勝負だ! はい、スタート」
 紫苑はぱっと立ち上がり、自分のカワサキまで走っていく。
「おい、またフライングかよ! 次も負けたらおまえを俺のメカニックにしてやるからな」
 立ち上がって叫んだが、紫苑のテールランプは排気音と共に闇に消えていった。
 あいつはどんな答えを期待していたのか。また、あの真剣な顔は何なのか。この事が俺の心のどこかに引っかかり、急に漠然とした不安が芽生えてくる。
 だが――それを振り払うように頭を振ると、時計のストップウォッチのボタンを押す。そして赤いヘルメットを被りエンジンをかけた。
 ここに来た時よりもなぜかその音色は、とても寂しげに感じた。
作品名:ビッグミリオン 作家名:かざぐるま