ビッグミリオン
「かまわんよ。チップが取り外された時点で遅かれ早かれ彼女は感染して死ぬ。だがそれまでは生きていてもらわないといかんらしい。これは私の個人的な意見だが、赤ん坊からのワクチンがもしできたとしても『シーズン2』に対応できるとは思えない。おそらく、政府の期待通りの結果は出ないだろう。だが、万が一母親がどこかでこの計画をしゃべったら大変なことになる。嘘も方便さ。この病気は“君が思っているよりも恐ろしい”のだよ」
まどかはブライアンが病室を出て行くと、痛みをこらえるように顔をしかめるとベッドから起き上がった。はだしのままそっと部屋を抜け出し、妙に狭い廊下をよろよろと歩きだす。壁で身体を支えつつ右に曲がると、廊下に反響する男の声が彼女の耳に突き刺さる。
「お腹の子は愛する恋人の子供じゃないって嘘をね……」
耳を澄ますと、ブライアンが誰かと話しているのが聞こえてきた。その話の続きを聞いたまどかの顔はみるみる青くなり、唇を血が出るほどにきつく噛む。
(私は騙されていたんだ! この病院からすぐに逃げなくては!)
自由にならない足をもがくようにして出口を探す。足の傷口が開いたのか、包帯から滲みだした血のしずくが廊下に転々と落ちていった。
「この子は春樹の形見かもしれないんだから! この子を死なせるわけにはいかないんだから!」
抑えきれない程の母性が傷ついた身体を動かすのか、獣のような唸り声をあげながら一歩一歩進んで行く。手負いの母獅子の唇から顎にかけて、赤い糸が筋をひいている。
幸いなことに、誰とも出くわすこともなく日差しが差し込んでいる出口をくぐった。彼女の眼にはきっとこれが未来への出口に映っていたのだろう。
「この香り……いったいここは?」
――視線の先には、見渡す限りの大海原が彼女を嘲笑うかの様に広がっていた。