ビッグミリオン
早速リンダはMGMグランドホテルに向かった。煌びやかなカジノの室内は色々な人種であふれ、バニーガールに扮したカクテルウェイトレスが涼しい顔をして人ごみを歩き回っている。
広いカジノ内でモヒカンを探すのは容易では無いと思われたが、オレンジ色の目立つ髪型のおかげで意外と早く見つけることができた。
髪型はともかく、ドレスコードに引っ掛かって誰からか注意されたのか、モヒカンはいつもの趣味の悪いドクロの絵のついたパーカーではなく、茶色のぶかぶかのジャケットを羽織っていた。
「あら、その髪型に茶色のジャケットだと、羽をむしられたニワトリみたいね」
くすくす笑いながらモヒカンの隣にセクシーな腰を下ろす。
「うるせーよ! つかちょっと見てくれ。これこれ」
鼻を膨らませながら彼の指したゲームクレジットの数字は、四百五十ドルになっていた。
「よんひゃく?――ちょっと、あんた遊んでんじゃないわよ! こんなレートじゃどうやったって百万ドルに届くわけがないじゃない!」
その表情は怒ると言うよりあきれている。
「しょうがないじゃん。もうこれだけしかないんだから」
少しも悪びれずにモヒカンはつぶやいた。
「え?」
「へ?」と彼もキョトンとしている。
「まさか……。あんたひょっとして全部使っちゃったの!? ななな何をやったの?」
椅子を蹴って立ち上がり、モヒカンの肩を両手で激しく揺さぶった。その振動で、唇についている大きなピアスがちぎれそうな勢いだ。
「よ、よせって。実は俺、ほとんどのゲームはルールが分からないからルーレットをやろうと思ったんだ。さすがに赤か黒に賭けるのぐらいは知ってたからさ。そこで、どうせなら賭け金の高いところに行こうと思って」
彼が振り向いた視線の先には、金持ちの集まるVIPルームがあった。見るからに身なりのいい紳士や、キラキラとした宝石をふんだんにつけた美女たちが集まっているのが見える。
「そこまでは分かったわ。で、どうなったの?」
両手を腰に当てて顔をぐっと近づける。
「なんか、二時間ぐらいでバッグに入れた札束がほとんど無くなっちゃった。それで、少しでも取り戻そうと思ってここに来たってわけ」
へへへと照れ臭そうに笑った。
「へへへじゃねーよ、このチキン野郎!! VIPルームなんて素人が行って勝てる訳ねーだろ! 大体あそこにいるルーレットのディーラーは超一流なの! 自分の狙った目に自由に入れられるレベルなんだから! あんたには百年早いわ!」
顔を真っ赤にして怒っている。今にも襟首を掴みそうだ。
「ほー。じゃあそういうリンダ姉さんはどうなの? もちろん、そう言うからには勝ちまくってマ、ス、ヨ、ネ?」
〈見た目そのままチキン野郎〉はまさにニワトリのような小さな目でリンダをじーっと見ている。
「あ、あたしは大勝負したわよ。うん、あれはいい勝負だった! ……結局全部負けちゃったけど」
さっきの勝負を思い出したのか、また両手で頭を抱えた。
「ぜ、全部!? えらそーな事言っといて、俺と同じじゃん。まだここに残りがあるだけ俺のがましだぜ」自慢げにゲームクレジットの部分をとんとんと叩いた。
「はいはい、凄いわね。それじゃ帰りの旅費にもならないけどね。もう、後は彼に期待するしかないわ」
両手を合わせ祈るようなポーズで宙を見上げた。それを見たモヒカンも何故か釣られて同じポーズをとっている。恥ずかしくなったのかやがて二人はそそくさとクレジットを落として立ち上がると、リーマンを探すことにした。
残ったわずか四百五十ドルを固く、固く握りしめながら。
一方、リーマンのポーカーのテーブルにはチップが積み上がっていた。今、換金すれば二万ドルにはなるだろう。このテーブルの老夫婦はアツくなっているのか、ディーラーを睨み付けて「ショウダウン!」と大声をあげる。
数分後、肩を落とした老夫婦が去って行くと、〈負け犬コンビ〉が入れ替わりにやってきてリーマンの後ろに申し訳なさそうに立った。
「COOL!」
ディーラーは今来たモヒカンの頭を珍しそうな顔でちらりと見ると、自分の頭を親指で指しウインクする。
来た時はもじもじしていた〈負け犬コンビ〉はテーブルに積まれたチップを見て、ひとまず安心したようだ。
リーマンは当たり前のように次の勝負を勝ちきると、黙って百ドルチップをディーラーに滑らせる。ディーラーはコンコンとチップでテーブルを叩くと、慣れた手つきでチップボックスに放り込んだ。
チップを換金すると約二万五千ドルになった。さっきいたラウンジに戻り、全員がコーヒーを頼む。
「調子よさそうで良かったわ。ところで手ぶらのようだけど、札束は部屋に置いてきたの?」
リンダは何気なくリーマンに聞いてみた。
「ん? さっき換金したのが最後のチップだよ」
こともなげに彼は答える。
「ええええ!? じゃ、じゃあ私たちの五十万ドルは二万五千と……少ししか残ってないの?」
リンダとモヒカンは目を見合わせて肩を落とした。まるで空気を抜かれた風船のようだ。
「何だよ。君たちも負けているのか?」
「――すいません。二人合わせてもう四百五十ドルしか残ってません」
申し訳なさそうに彼女は足元に視線を移した。
リーマンは少し驚いた様子だったが、突然ポケットからドル紙幣を引っ張り出して数え始めた。
「まだ最初の勝負が終わったばかりだ。あと二万ドルしかないじゃなく『まだ二万ドルある』って考えるんだよ。今日はツイてないからこれでお終いにして、また資金を三等分しよう。私たちはチームなんだから」
言い終わるとテーブルの上でディーラーのように紙幣を配り出した。
今度は約八千ドルしかない。三時間前の札束が嘘のように減ってしまったが、リーマンの言葉で彼らは少しだけまた元気をとり戻した。
その夜
リンダはこっそりとまたMGMグランドホテルのカジノに舞い戻っていた。今度は無理をしないようにと考えたのか、低レートのブラックジャックで勝ったり負けたりを繰り返している。実際もう彼女は、もう百万ドルなどとうにあきらめていた。
(ラスベガス旅行に来たと思えばいいんだわ)と切り替え、数時間前の悪夢を忘れる事にしたらしい。
「あれは?」
テーブルの脇の通路を見覚えのある人物が横切って行く。彼女はその人物を二度見したあとカードを放り出し、あわてて彼を追いかける。
近づいてよく見ると、やっぱり……あつしだった。
でっぷり太った金持ちそうな日本人紳士と、にこやかに話しながら歩いている。あつしはびしっとしたダブルのスーツを着込み、その姿はまるでどこかの御曹司のようだった。
「あいつ――。また何かたくらんでるわね」
この時、(自分たちを騙したにっくきヤツらに仕返ししたい)と思っていたのかは分からないが、人ごみを押しのけながらつかつかと彼に近づいていく彼女の顔は、少し紅潮していた。