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かざぐるま
かざぐるま
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ビッグミリオン

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『東京・六本木』 四月三日


《意識を無くす前、まどかの瞳は『アルミケースに繋がれた毛深い手首のようなもの』が赤黒い傷口をみせたまま膝の上にあるのを確かに見た。車内は暗かったが、ジーンズに血の染みが広がっていく生暖かい感覚を感じる。そしてそのまま――深く暗い闇に落ちていった》

『チーム6』はロシア人二名と、日本人の常盤まどかである。
 彼女は、非常に困った問題が二つあることにスタート前から気づいていた。この身体のバカでかいロシア人の大酒飲みたちには“言葉がまるで通じない”のだ。
 彼らは、日本語はおろか英語も話せなかった。まどかがロシア語を話せれば問題無いのだが、ロシア語なんて今まで聞いたことも習ったことも無い。
 もうひとつの問題は、ゴランから手渡された手錠でニコライが自分の手首とケースの取っ手の部分をがっちりと繋いでしまったことだ。しかもスタートしてすぐに。
 何度も身振り手振りで二人に必死に抗議をしたが、全く聞き入れてもらえなかった。

 数時間前

 ゴランは携帯でロシア語で誰かと話し、運転手に電話を渡した。スタート後タクシーに乗り込んだまどかたち三人の行先は、昼の六本木だった。
 六本木に着くと、まだ開店前の外国人クラブ〈ロシアンパブ・セリゲル〉に三人は入って行った。
「Здравствуй」
 ゴランとニコライは、奥の事務所にずかずか入って行って既に誰かと挨拶を交わしている。
「ズドラーストヴィ」と、まどかにはそう聞こえた。
 部屋の中にいたスタイルの良いロシア人の女たちがニコライの合図とともに部屋から追い出され、大柄なロシアの男が身体を揺すりながら代わりに入って来た。
 アレクセイと名乗る支配人のこの男は、昼間なのにもう顔が真っ赤だった。左手にはウォッカの瓶が握られている。
 まどかは形のいい唇でふっと笑うと、抱き合って挨拶を交わしている男たちを横目にそっと店を出た。
「アルミケースは毛むくじゃらの男の手首に繋がっているわ。今夜の宿泊先が分かったらまた連絡する」
 ピンクのマニュキュアを綺麗に塗った指で電話を切ると、昼のアマンド前を行きかうサラリーマンや外国人たちを感情の無い目で見つめた。
 今年十八歳になるまどかは、高校を中退後、立川にある不良グループのリーダーであるタケシと同棲していた。
 彼女の髪の毛はミルクティ色に染められ、まつ毛にはエクステを着けている。渋谷で見かける今どきの若者の私服姿となんら変わらない。細いタバコに火を点けて大人びた顔で煙を吐き出しているが、近くで見るとまだあどけなさが残っていた。
 今になってみると、まどかにとって日本語が分からないというのは逆に都合が良かった。彼らの前で堂々と電話しても怪しまれないからだ。抗議のかいがあったのかは分からないが、スタート後にびっしり詰まった五十万ドルだけは何とか見せてもらえた。そして、彼女はそれを「奪え」と命令されていた。
(五十万ドルを二倍に増やす手段なんて考えるより、目の前の現金を奪った方がはるかに楽だ)とタケシは考えた。
 彼が率いるグループは、窃盗、恐喝、暴行、住居侵入などいろいろな悪さをしていることで警察からもマークされている。保護観察下にあるタケシがこの計画に加わるのは危険だが、成功したときの見返りは非常に大きい。
 当初はロシア人が寝ている隙に、アルミケースを奪って逃げるという簡単な計画だった。しかし、手錠でアルミケースが繋がれたことにより、事は少し複雑になってしまった。
 まどかは店に一度戻ると、自分の携帯番号をニコライに投げつけるように渡し、(いい気なものね)とぷんぷん怒りながら店を出た。奥の部屋では男三人がすでに出来上がっていた。開店前だと言うのにウォッカの瓶がテーブルに乱雑に転がっている。店の女の子たちはそんな男どもを恐れて近づけないでいるようだ。
 店を出ると、四月だと言うのに冷たい雨がまどかの髪を濡らした。手をかざし一度だけ空を見上げると、時間をつぶすために六本木ヒルズの方に歩き出す。
 その頃タケシは、後輩の春樹を連れてまどかの元に駆けつけようとしていた。しかし、急ぐ心とは裏腹に、彼らの乗る多摩ナンバーのワンボックスカーはお馴染みの首都高速の渋滞に巻き込まれていた。

 二時間後、まどかの携帯が鳴った。電話の向こうでは、ロシア語らしい言葉でニコライらしき男ががなりたてている。
 この数時間を使ってネイルサロンで、ぴかぴかの爪に綺麗なデコレーションをしてもらった。上機嫌で街をぶらぶらしていた彼女は、この電話でテンションが一気に下がったようだ。
「分かったわよ! なにグランド? ハイアット東京コイ? もっとゆっくり話しなさいよ、このクマ! 何言ってるか分からないわよ。クマ男のバーカバーカ! 今チェックインでゴーゴー?  あー、集合ってことね! あとニコライあんた声でかい!」
 電話の相手が日本語を分からない事をいいことに悪口を織り交ぜて言ったあと、電話を切った。たぶんグランド・ハイアット東京に宿泊するから、チェックインに来いという事だろう。
 実は電話の相手は支配人のアレクセイだったのだが、彼女はきっと気づいていないだろう。 
 グランド・ハイアットなら六本木ヒルズの一画にあるから、彼女の足でも五分もあれば着くはずだ。

 ホテルに歩いて行く途中でタケシに電話かけてみると、長い呼び出し音の後に彼が出た。
「今どこなの?」
 帰宅するサラリーマンにぶつかりそうになり、舌打ちまじりに携帯に向かって声をあげた。もうあたりには夕闇が迫っている。
「今、新宿だよ。春樹のバカがどうしても買い物したいって言うから、コインパーキングに入れてるとこ。しっかしこっちのコインパーキングは狭いし、たっけえなあ!」
 タケシの声はいらだっている。
「何で新宿にいるのよ。近くまで来てないといざというとき動けないでしょ? それに打ち合わせもしとかないと」
 まどかの声もトゲを含んでいる。
「はあ? 何怒ってんだよ。春樹に言えよ。終わったらそっちに向かうから!」
「――ごめんなさい。じゃあ電話待ってるね。今から六本木のグランド・ハイアットってホテルにチェックインに向かうから」
 ブツッといきなり電話は切られた。
 まどかは悲しそうな顔をしながら電話を見つめると、ホテルのロビーに入って行った。

 ロビーは広く、商談中なのかスーツ姿のおじさんたちが珈琲を飲みながら和やかに話している。しかしその奥では、その雰囲気をぶち壊すような二人組がロビーの脇で女性コンシェルジュを困らせていた。
「お客様、ロビーにお酒を持ち込んで飲むことは、他のお客様の迷惑になりますのでご遠慮ください」
 彼女はロシア語で話している。にこやかだが、身体の大きいロシア人たちを相手にあきらかに当惑していた。
「オーウ」
 腕を広げ、ゴランとニコライはニコニコしている。自分たちが何故怒られているのか理解できない様子だ。
 まどかは小走りにそこに近づきコンシェルジュに深々と頭を下げると、ゴランとニコライからウォッカの瓶をひったくった。彼らはぽかーんとした顔をしていたが、かまわずずかずかとフロントに行くと、酒びんを渡し処分してくれと頼んだ。
作品名:ビッグミリオン 作家名:かざぐるま