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かざぐるま
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ビッグミリオン

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『タイ・バンコク』 四月二日



『チーム5』のタイ人の男、ソム・チャイとチャワリットは水谷琴美を引き連れて新バンコク国際空港に降り立った。空港から一歩出ると、琴美ら三人はむっとする空気とギラギラ光る太陽の熱に容赦なく包まれた。
 この国では四月が最も暑くなる。湿気は思ったより少ないが、太陽の照り付けは日本と段違いに強い。そのためか、タイの学校は三月半ばから五月の半ばまで夏休みになっている。
 長袖の上着を着ていた琴美は、一言も発せず上着をむしり取るように脱いでしまっていた。
 
 二十二歳の琴美は夫の暴力に辟易していた。結婚して一年も経たないうちにひどいDVが始まった。結婚当初はリスのようにふくよかな愛らしい顔をしていたが、今では不眠症のため顎は尖り、目の下に化粧でも隠せないクマがにじんでいる。
 誰にも見られないように注意しながら、脱いだ上着で左の二の腕をそっと隠した。夫から出発前に着けられた、指の形をしたひどい痣を隠すためだ。今回のチャレンジは琴美にとって“人生を変える”チャンスであり、その一文字に結んだ唇には決死の覚悟がにじみ出ているように見えた。
「あら。入れ忘れたかしら」
 彼女は、ギラつく太陽に手をかざしながら二人に待つようにジェスチャーで伝え、たどたどしい英語を駆使して売店で日焼け止めを買って来た。初めて聞く言語であるタイ語に、彼女は戸惑っている様子だ。
 ソムは機内ですでにオレンジ色のタンクトップに着替え、故郷の空気を胸いっぱいに吸い込んでいる。彼は色違いのタンクトップに着替えたチャワリットと、何やら難しい顔をして相談していた。
 三人は空港からタクシーに乗りバンコクを目指す。タクシーの車窓からは、寺院ばかり見えるかと思われたが、バンコクに入るとすぐに大きなビルが姿を現す。タニヤ通りにはいろんな店が立ち並び、日本語の看板もちらほら目に入ってきた。
 チャオプラヤー川の近くでトゥクトゥクに乗り換えると、渡し船の乗り場を横目で見つつ〈ハンサー バンコクホテル〉を目指す。チャオプラヤー川はミルクティ色に濁り、渡し船乗り場は、乗船を待つ外国人でごった返していた。
「この辺は本当に変わらないな」
 ソムのこの言葉に、チャワリットは返事の代わりに白いタオルで顔を拭う。五十万ドル入りのアルミケースは、大柄でやたら声のデカい彼がひざに大事そうに抱えていた。日焼け止めを丁寧に腕と脚にすりこんでいた琴美は、不安と期待の混ざった眼でこの二人を横目で観察していた。
 ノーヘルのバイクが沢山走っている大通りでは、信号待ちで止まるやいなや周りをバイクで囲まれてしまう。排気ガスと騒音と暑い太陽の日差しで、琴美は頭がおかしくなりそうだった。
 彼女が一番驚いたことは、現地の人は駐車している自分の車を出そうとする時に、周りの車をバンパーで構わず押しのけることだ。日本でこれをやったらきっと大ゲンカになるだろう。
 ホテルにチェックインすると、三人は荷物を部屋に預け慌ただしく街に出た。ソムが先頭になり大渋滞になっている大通りをずんずん歩いて行く。今夜の地下闘技場の場所を確認するためだ。
 琴美の聞いた話では、ソムはムエタイの地方チャンピオンになったことがあるらしい。その関係から大金が動く地下闘技場で勝負することにしたようだ。彼は笑うと白い歯が見え優しそうに見えるが、時々見せる感情の無い冷たい目が時々琴美の言葉を奪った。その目の奥には、夫の目に潜んでいるものと同質なものを感じたからだ。        
 チャワリットは相変わらず大事そうに太い腕でアルミケースを抱え、琴美の後ろを歩いていた。女性だけが感じるであろうなんとも言えないイヤな視線を、時々彼女は後ろから感じていた。
 地下闘技場の位置を確認すると、三人はタイに着いて初めての食事をとるために、ソムのお勧めの店に向かった。そこはガソリンスタンド前にある〈クイティアオ ガイ マラ サムンプライ〉という屋台だ。路上には無人のタクシーが所狭しと並び、運転手だろうか、沢山の人々が大声でしゃべりながら食べている。日本では嗅いだ事の無い異国の食べ物の匂いが、アスファルトに染み込むほどに充満していた。
「コトネ、ココオイシイヨ!」
 ソムは片言の日本語でそう言うと、琴美の手を引いて空いている席を目指して引っ張って行った。チャワリットは鋭い視線を周りに注ぎながら二人の後を歩く。彼の首に入った大蛇のタトゥーも周りを威嚇しているように見えた。
「わあ! 美味しい」
 ここはさすがにソムのおすすめだけあって、特製スープが絶品であった。ハーブであろうか、鼻に抜ける何とも言えない香りが琴美の食欲をそそる。大盛りでも五十バーツ(日本円で約百六十円)もいかない。タイ風のラーメンなどいろいろ食べたが、琴美には全てが新鮮で美味しく思えた。何故なら夫と外食すると、気を使い過ぎて料理の味など分らなかったのだ。
 身体の大きさから分かるようにチャワリットは大食漢で、テーブルには空き皿の山が次々に築かれていく。しかしいざ会計をしてみると、五百バーツもかからないので日本とは根本的に物価が違うと気付かされる。
「シカシ、コトネモヨクタベタネ」
 額から大粒の汗を吹き出しながら歩く彼女を見て、ソムは感心したように頷く。満腹になった三人はホテルに戻ると、今夜の地下闘技場での勝負に備えそれぞれ仮眠をとった。
作品名:ビッグミリオン 作家名:かざぐるま