ビッグミリオン
『ラスベガス』 四月二日
ラスベガスの空港に降り立った俺たちは驚いた。なぜなら、空港の中にスロットマシンが当たり前のように設置してあるからだ。日本人観光客の姿も思ったより多く、気のせいだろうがこれからのカジノ勝負にみんなが心が躍っているように見えてしまう。
「さっすがラスベガスだね。三人で十セントずつプレイして、まず運試ししてみようか」
サングラスを頭に小粋にひっかけた紫苑がニヤニヤしながら提案する。
「バカね、つまんない所で運を使っちゃダメよ。まずホテルにチェックインしましょう」
あずさがふくれっ面で答えた。ここまでの飛行機の旅で、もう俺たちはかなり打ち解けていた。
「とりあえず時差ボケは我慢して打ち合わせどおり動こうって、コラコラ、いきなり免税店に行くなってオイ!」
豹柄のトランクを重そうにゴロゴロ引っ張ったまま、さりげなく免税店の方に歩き出したあずさを俺はなんとか止めた。あちゃーという顔をしながら戻って来たが、その顔もとても可愛く思えた。
俺は一体どうしちまったんだろう。きっとこれは〈ラスベガス熱〉に違いない。
飛行機の乗り換えを合わせて十数時間以上貴重な時間を消費してしまったのだから、いかに効率的に勝負するかが、このラスベガスでの肝になる。
外はすでに夜が明け始めていたが、『眠らない街』ラスベガスはそんなことを全く意に留めていない様子だった。
パラッツォ リゾート ホテルにチェックインした俺たちは、二手に分かれて勝負できるカジノを探しに街に出かけることにした。紫苑は英語が達者なので、ディーラーを直接買収するためにひとりでこれから動くつもりらしい。
俺とあずさは、まずダウンタウン地区のホテルのカジノを回ってみたが、まず賭金が庶民的すぎて話にならなかった。ストリップ地区に入ると賭金が高いカジノもちらほら見受けられたが、この程度では今回の勝負には足りない。
だが、半ば観光気分でモノレールの駅に近いフラミンゴ・ラスベガス、ウォータースライダー付きの〈サメがいるプール〉があるゴールデンナゲット、巨大エレキギターが有名なHARD ROCKホテルなどの有名どころを次々に回った。その間、あずさの眼はきらきらと常に輝いていた。
中でもあずさが気に入ったのは、ルクソールホテルらしい。ここは一階から 三十階まですべて吹き抜けの広々とした空間で、ピラミッドの内部には支柱が一本もなく、その作りに二人とも圧倒された。
「いつまでも口を開けて上を見てないで、そろそろ行くぞ」
「えー、まだ写真撮り終わってないからちょっと待って」
可愛いトートバッグからデジカメをもそもそと取り出すと、通りがかった観光客に写真を頼みに走る。
「ほらほら、時間が無いんでしょ? こっち来なさいよ」
いたずらっぽい目をして、笑いながらくいくいと手まねきする。
「何で俺とのツーショットを撮るんだよ。ピラミッドだけ写せばいいじゃん」
こうは言ったものの、俺は悪い気がしなかった。いや、むしろ嬉しかった。終いにはテンションが上がってしまい、二人でポーズを変えつつ何枚も撮ってもらう。
「ありがとうございましたあ」
二人で並んで頭を下げた瞬間、はっと気づいた。
しまった――今回は観光ではない。少し反省しつつ、それから数時間カジノ巡りをそのまま続行した。
結局、地元の人が教えてくれたMGMグランドホテルで勝負することで俺たちは意見が一致した。何でも、VIPルームでの高額勝負が交渉次第で可能らしい。
疲れ果てて、宿泊しているパラッツォに戻ると紫苑はまだ帰っていなかった。身体はくたくただったが、ベガスの街の雰囲気だろうか、身体がまだ興奮している。
紫苑は「ディーラーを買収するかもしれない」と言っていたが、手持ちの約五十万ドルは、セーフティーボックスの中にそのままそっくり入っていた。
「ホテルで食べると高いからね。なるべく節約しましょう」
意外とあずさは経済観念がしっかりしているようだ。そこで俺たちは、近くにあるフォーラムショップスまで買い出しを兼ねて出かけることにした。こんな時間にもかかわらず観光客が溢れ、キャラクターグッズを身に着けた子供達が楽しそうに走り回っている。
「スケベ!」
「ゴファッ!」
俺の目が水着を着たモデルさんのような肢体のお姉さんに釘づけになっていると、あずさは何故か脇腹にいいパンチを入れてきた。
脇をさすりながらもファッションショーモールを覗きつつ、食料品を大量に買い込む。
「紫苑が帰って来るまであたし少し寝るわね」
部屋に帰り両手いっぱいの食糧をテーブルに置くと、どっと疲れが襲ってきた。俺たちはそれぞれの部屋で短い眠りに落ちた。
その頃、紫苑は〈シルクドソレイユ〉のショーで有名なトレジャーアイランドホテルのカフェにいた。彼は彼で情報を集め、ディーラーのよく集まるというこのカフェで“落ちそうな”ディーラーを探していた。その涼やかな眼差しを意識した女性の中には、ウインクや笑顔を返すものもいた。
しばらくすると、赤いディーラー服を着た女性が食事をしに来た。寝起きでまだ頭がはっきりしていないのか、目元がまだ少し眠そうだ。
まだ若く、ブロンドの髪をひとつにまとめている。目の覚めるような赤いマニュキュアを塗った指で、運ばれてきたコーヒーに口をつけた。
「ご一緒してもよろしいですか?」
紫苑は自然な仕草で自分の席を立つと、女性の向かいの席の背を指でとんとんと叩きながら聞いた。
その女性はOKを出すとニッコリ笑いながら前髪を直した。制服に着いている名札にはNancyと書いてある。
「初めまして、ナンシー。俺の名前は紫苑。さっき日本から来たばかりなんだ。さっそくだけど、評判のいいカジノを知らないかい?」
彼女のコーヒーのおかわりを頼むため、手でボーイを呼びながら質問する。
「もちろん知ってるわよ。こーこ」
指で下を指し、ウインクしながらにこりと微笑む。
「ははは! そりゃそうだ」
紫苑もつられて白い歯を出して笑った。
その笑顔が気に入ったのか、ナンシーは自分の事を話し出した。彼の女性に対する魅力は、外国人にも通じるようだ。
彼女の話では、ラスベガスにはディーラーを養成する学校があり、自分はそこを卒業したばかりらしい。この学校を出てカジノのディーラーになれれば、かなりの収入を稼ぐことができるというものだった。
「ところで、仮にいま君が十万ドル持っていて倍に増やしたいとしよう。てっとり早くそれを増やすのには君ならどこのカジノに行く?」
紫苑はさりげなく訪ねてみた。
「そうね……これは誰にも言わないでね。MGMのVIPルームで交渉すればMAXBETの額が凄いらしいわ。MAXで数十万ドルを受けるって話よ」
形のいい下唇を突きだして肩をすくめた。
「それは凄いな。おっと、もうこんな時間だ。今日はありがとう。出会った記念にこれを……」
紫苑がスーツのポケットから出したものは一輪のバラだった。掘りの深い顔じゃなかったら決して似合わない事を、紫苑は自然に行うことができた。
「ありがとう。大切にするわ。後でカジノにも顔を出してね」
出勤時間が近いのか、彼女も同時に席を立った。