ビッグミリオン
エピローグ
『横浜・海辺の教会』 二年後
「今日は、俺たちの結婚式に来てくれて本当にありがとうございます!」
腕を組んでチャペルの階段を降りながら、俺とあずさは集まった仲間たちのフラワーシャワーをたっぷりと浴びていた。ウエディングヴェールを海辺からの風になびかせたあずさの横顔は、女神の彫刻のように美しい。
くるりと後ろを向いた花嫁の白いレースの手袋からブーケが放たれる。大ジャンプしてそれを受け取ったリンダの顔はぱっと輝き、その隣に立つ男性の元に小走りに駆け寄って行く。そこには涙ぐんだモヒカンが立っていたが、サラサラヘアーの会社員風の髪型になっていて俺は最初は誰だか分からなかった。
日本でのウイルスの嵐も過ぎ、一年前に俺とあずさは帰国していた。あずさの両親も避難が早かったのでなんとか無事だったようだ。山奥に自治体のコミュニティが作られ、その閉鎖された場所でひっそりと暮らしていたらしい。
今日から俺とあずさは一緒に住むことになり、横浜に部屋を借りていた。そして、これを機に小さな結婚式をあげようと思ったのが半年前の事だ。
「謙介さん、そしてあずさ、おめでとう! 本当に良かったな。二年前はこうして結婚式ができるなんて考えもしなかったよね」
礼服をぴしっと着こなした紫苑が、両手を広げて感慨深げに俺たちに近づいて来る。その姿は、まるでファッション誌のモデルのようだ。
「よく来てくれたな。嬉しいよ」
差し出されたその手に二人の手を重ねた。
「ありがとう、紫苑。あなたはいつも私を守ってくれたよね。船から飛び込む時に『俺も飛び込むぞ!』って言ってくれた時は本当に嬉しかったわ。背中に勇気を与えてくれた」
照れて頭を掻く紫苑の後ろには、礼服姿の春樹が立っている。その隣には春樹の妻が目をうるませて手を叩いていた。二人はあれからまもなく再婚し、幸せに暮らしているようだ。その横には俺たちの両親が立ち、何か話しながら目を細めてこちらを見ている。
「あずさちゃん、超きれいだよ。今日は呼んでくれてありがとー。今度は俺たちの結婚式にもぜひ来てくれよな」
「えーと。どなたでしたっけ?」
「あずさちゃんまで……。ここをこうして――はいだーれだ? って近藤だよ! はい、近藤って誰だよって顔しない。モヒカンやめた俺を見て、ひとり一回ずつボケるのはやめてくれええ!」
両手で頭の中心に集めていた髪の毛を直しながら、モヒカンは地団駄を踏んだ。あれから鍛えているのか、身体つきはかなり男らしくなっている。
「冗談よ、ふふ。必ず行くわ。来年やるんでしょ?」
「そうだよ。紫苑さんも来てくれるらしい。場所はやっぱラスベガスがいいかなって。その時は旅費やらなんやら全てまかせてくれよな」
「いい? リンダさんにはもう賭け事やらせちゃダメよ?」
内緒よと唇に手を当てながら首をふる。
「大丈夫。あいつ俺と付き合ってから、ギャンブルはすっぱりとヤメたからさ」
リンダの尻に敷かれるものと思っていたあずさは、少し意外な顔をして微笑んだ。
プリンセスラインのウエディングドレスを纏ったあずさの周りには人だかりができ、写真のフラッシュが絶え間なく焚かれている。今は化粧で隠れているが、あの事故が原因で彼女のほっぺたには斜めに小さな傷が残ってしまった。しかし、俺も彼女もそれを全く気にしていない。なぜなら、それは生きて帰れたという事の証なのだから。
「ゴリラくんの分までしっかり俺たちは生きないとな。あいつも今日の事、きっと喜んでるよ」と耳元でささやくと、その傷を愛しむように指先で撫でながらあずさは「うん!」と答えた。彼はペドロさんの牧場で一番見晴らしのいい丘の上で、静かに眠っている。
「あら! おじいちゃんも来てくれたのね?」
すーっと教会の正面に黒塗りのリムジンが停まった。続いて白いオープンカーがその後ろに停車する。運転手が回り込みリムジンの後部ドアを開けると、礼服を着た武蔵を連れて鬼頭小次郎が降りてきた。次に綺麗な足に良く似合う真紅のピンヒールがコツンと地面に着くと、赤いドレス姿のエリザベートが笑いながらこちらに手を振った。
「なんとか間に合ったか。バカもん! 知らせるのが遅すぎなんじゃ!」
杖をついた小次郎に武蔵が手を貸し、あずさの所まで連れて行く。
「ごめんなさい。今日はわざわざワシントンから来てくれたの?」
「ちょうど仕事で日本に来ていたのじゃ。しかしますます綺麗になったの。どうだ、わしの秘書にならんか?」
眩しそうに目を細めて、花嫁にハグをする。
「お尻噛まれるみたいから遠慮しとくわ。……ねえおじいちゃん、私たち幸せになれるかしら」
「なれるとも。謙介くんが隣にいればな。彼はちょっと無鉄砲な所があるが、心配いらんよ。おっと、少し遅くなったが、わしからのご祝儀じゃ。あの車を持ってけ」
「えええええ!?」
リムジンの後ろに止まっている車をプレゼントすると言うのだ。
「本当にいいんですか? 俺、もらっちゃいますよ?」
思いがけないサプライズに目を丸くした。
「武士に二言はない! そしてこのまま新婚旅行に行け」
「それは無理ですが、ありがとうございます」
「親父、あんた武士じゃねえじゃん。つーか俺たちにもくれよ、再婚したし」
このやりとりを聞いていた春樹は、俺の頭に大量の花を降らせながら珍しく小次郎に甘える。この親子も今回の騒動がきっかけで長いわだかまりが解けたようだ。
「いやじゃ。二度目のヤツにはやらん」
みんなが爆笑する中、俺たちはゆっくりと階段を降りて行った。
「やっと見つけたぜ。あの野郎、髪型まで変えやがって」
「待て、今は人目がある。後でゆっくり捕まえればいい」
この結婚式の様子を、向かいのビルの影から伺っている二人組がいた。一人はやくざ風で鋭い目をした男、もう一人はスーツをびしっと着こなしたサラリーマン風の男だった。
「あいつ、俺たちの金を勝手に使いやがって。絶対に許さねえからな!」
あつしの眼は殺意を含んで暗く光っている。
「まさか私たちが生きてるとは思ってもいないだろうね。実際、あの爆発で私も大けがを負ったし」
リーマンの首から頬に掛けて大きな火傷の跡が見える。
「そいつの慰謝料もふんだくらないとな。おっと、隠れろ。あのおっさんがこっちを見てるぞ」
さっと頭を隠したが、ほんの少しだけ遅かった。
それとは別に、道の反対側に停まった黒塗りのセダンの脇には、イヤホンを付けスーツを着た二人の外国人が立っていた。彼らはしばらく参加者の顔ぶれを伺っていたが、やがて春樹に近づいて行った。
「鬼頭春樹さんですね? このような時に申し訳ありません。新種の致死性ウイルスがカナダで発見され、流行の兆しを見せています。よろしければお力をお貸し願いたいのですが」
流暢な英語で春樹に話しかける。そしてポケットから政府機関のバッジを取り出して見せた。
「あのさ、見れば分かると思うけど今結婚式の最中なんだよ。もう少しだけ後にしてくれないかな? もちろん協力はするつもりだ。ただしひとつだけ条件がある」
「なんなりと。ところで、あなたの他にもう一人『鍵穴』が存在するという噂がありますが、何かご存知ですか?」