ビッグミリオン
血族
『日本・横浜港』 二週間後
「まさか、帰国の日の今日襲われるとは思わなかったな。しばらくここに隠れていて、夜を待って脱出するぞ。ところでモヒカンくん、ケガは大丈夫か?」
暗いコンテナの中に紫苑、モヒカン、リンダが息を潜めていた。まだ朝方なのでコンテナの中は熱を持っていないが、四月とはいえ日が昇るにつれ内部の気温はぐんぐん上昇してくるだろう。
「カチッ!」という音と共に、小さな懐中電灯の光によって三人の顔が暗闇にぼうっと浮かび上がる。光の加減なのか、みんな一様に疲れた顔をしていたが、モヒカンはその中でひときわ顔色が悪く見えた。今朝、刃渡り三十センチはあろうかという蛮刀を振り回されて腕を切られたのだ。深く切られたのか、その袖は血でぐっしょり濡れている。
「ああ、血はまだ出てるけどたぶん大丈夫だよ。ったく、あいつら俺が寝てるところをいきなり襲ってきやがって。小切手なんてとっくに海の藻屑になったっていうのに」
きっかけは、横浜港に入る前日に、娯楽室に埋もれていた雑誌の中から船員がある記事を見つけた事だった。その雑誌には〈カジノでジャックポットを当てた時のモヒカンと、その隣に立つリンダの写真〉が大きく載っていた。
瞬く間に船中にうわさは広がり、「この船には億万長者が乗っているぞ。なぜ船長は報酬をとらないんだ? きっと、ヤツらと内緒でこっそり取り引きしたに違いない。俺たちにも分け前を払え!」と騒ぎ出した。ワクチンの取り引きで既に話がついている事など、彼らには知る由もない。
これまでは船員たちとうまく溶け込み仲良くやっていたが、金が絡むと彼らは別人のように変わってしまった。咄嗟の判断で操舵室に閉じこもり難を逃れた船長は、入港を果たした後どこかに消えてしまったらしい。当然、船長を逃がした船員たちの怒りの矛先はモヒカンたちに向いた。そして入港した朝に突然、刃物を持った男たちが襲ってきたのだ。同室の紫苑がモヒカンのために戦わなかったら、ケガどころじゃ済まなかったに違いない。
「ノブさんの手引きでここに逃げ込んだのはいいけれど、今に彼も疑われるんじゃないかしら。もし見つかったら力を合わせて戦うしかないわね。その前にこの中の暑さで私たちミイラになっちゃうかも」
「こんなにたくさんのコンテナがあるんだから、時間は稼げるだろ。あとは港のガントリークレーン(積み下ろし用の木馬型クレーン)が、これを持ち上げてくれさえすれば」
「いや、紫苑さん。それはどうかな。横浜の人たちがもし感染していたら、クレーンを操作する人もいないはずだし」
傷が痛むのか顔をしかめながら、腕のタオルを縛り直した。ぽたぽた床に落ちる血のしずくを見ると、思ったより彼の傷は深いのかもしれない。
「そうだな。クレーンが動いていない様子だったら、強行突破するしかない。そういえばリンダ、足はどう?」
「もう大丈夫、全力で走れるわよ。でも、もし日本中が感染していたらここを脱出できたとしても私、どこへ行けばいいか分からないわ」
不安そうな顔をして目を泳がせている。紫苑には母親の所に向かうという目的があるが、彼女はこれからどうするのだろうか。
「ひとり暮らしだっけ? ご両親は?」
「二年前に交通事故で亡くしたわ」
「ごめん……」
「いいのよ」
悪い事を聞いちゃったなという風にモヒカンは目を伏せた。そして意を決したようにリンダをまっすぐ見つめた。
「じゃあさ、一緒に来いよ。俺の両親にも紹介したいし」
「大丈夫? 青い目をした私が突然行っても驚かないかしら」
「平気だよ。うちだって何気に外国人の血が混ざってるんだぜ?」
「ええええええ!?」
どのパーツにその血が現れているのか全く分からないという風に二人は顔を見合わせた。しかしモヒカンの暖かい言葉にリンダの表情は徐々に明るくなっていく。
「私、料理とか全然できないんですけど」
「そんなの少しずつ覚えればいいよ。ぜひ来てくれよ。そうだ! 落ち着いたら、香織さんを探しに行くのを手伝ってくれる?」
その名前を聞いたとたん、リンダは口をつぐみ少しの間じっと目を閉じた。
「ええ……いいわよ。こんな時に何だけど、あなた恋人はいるの?」
「目の前にいる人がそうなってくれればいいなって思ってるよ」
「え」
「ダメ?」
「喜んで!」
その様子を見ていた紫苑はいたたまれなくなったのか、頭をカリカリと掻きながらコンテナの隅に行って寝ころんだ。
「時間はたっぷりあるから、脱出に備えて少し眠るよ」
しかし、その言葉は手をとりあうふたりには全く聞こえていないようだった。
数時間後、隠れているコンテナの近くで男の低い話し声がした。今まで足音はしていたが、声が聞こえたのは初めてだ。
「おいノブ。おまえひょっとして、あいつらと手を組んでるんじゃないだろうな? さっきから様子が変だぞ」
「まさか。たぶんあいつら海に飛び込んだんだよ。探してもムダだと思うぜ」
英語の会話が耳に入って来る。ちょうどこのドアの前あたりにいるようだ。三人は息を潜め、話し声が聞こえなくなるまでじっとしていた。巡回の時間を計ってみると、彼らは一時間ごとに見回りに来ることが分かった。恐ろしい事に、一時間前にコンテナを舳先側から全て開け始めているようだ。
深夜二時頃、少し離れた所で、殺気立った集団の声と、ドアを片っ端から開けているような音が聞こえてきた。
「今しかないな。いずれここも見つかる。俺の合図を待っててくれ」
ドアを開け忍者のように紫苑がコンテナを飛び出ると、辺りの様子を探る。万遍なく通りをチェックして誰もいない事を確認し、モヒカンたちを手招きした。
「もうあいつらは近くまで来ている。もし見つかったら今度こそ命はないな。ここから陸側に二十メートルほど行ったところに歩み板が降ろされていたけど、そこには断続的にサーチライトが当たっているから一気に走り抜けること。じゃあ音をたてずに俺についてきてくれ」
月の綺麗な夜だった。あたりからは波の音と、男たちの怒声しか聞こえない。
傷ついたモヒカンをリンダが支えながら、一番危険な場所を一気に走り抜けると、後ろを追う人影も無く三人は無事に下船することできた。そのまま素早く埠頭を走り抜け、ゲート前で止まる。鉄の門の上にはカメラが設置されていたが、もし感染が広がっているならばそれを見る人も、後で咎める人もたぶんいないだろう。
「とりあえず病院を探そう。そのケガじゃ縫わないとダメだ」
モヒカンの唇は紫色になり、体温が下がっているのか少し震えてるようだ。
「大丈夫だよ。紫苑さんはお袋さんの所にすぐ向かってくれ」
「ダメだって! 顔が真っ青じゃないか!」
声を荒げながらも、冷たくなってきたモヒカンの腕を支える。誰もいない埠頭に反響して、思ったよりもその声は大きく響いた。船上から懐中電灯の光が、ちらちらとゲートの方に伸びてくる。だが、彼らがここに来るまでには余裕で逃げられるだろう。
「いいから! お袋さんにワクチンが間に合わなかったらどうするんだよ! 大丈夫、俺にはリンダがいる。こんなケガぐらいでくたばるもんか」
「そうよ。急いでお母さんの所に行ってあげて。病院を探してちゃんと私が手当するから心配しないで」