ビッグミリオン
ハンヴィーのライトに照らされた事故直後の現場は、目を覆うほどであった。蜘蛛の巣のようなヒビが入ったフロントグラスは外れて、道路の真ん中に転がっている。大きくひしゃげたエンジン部分からは、黒い煙と小さな炎まで上がっていた。
「この男はもう手遅れね。息をしてないわ」
エリザベートは気持ちの悪いものに触れるように、足元に転がるデカい男の太ももを赤いピンヒールのつま先でつつく。反応はやはり微塵も無かったが、その男は若い女性を大事に包み込むようにように腕にしっかりと抱きかかえていた。
後ろでは、頭から血を流したまま拘束された春樹が、ハイエナの手によって車に運ばれていく。拘束を解こうと暴れている様子を見ると、どうやら命に別状はないようだ。
「あとはこのまま、放っときなさい。この様子じゃいずれ感染者たちに襲われて記憶を無くすか、勝手にくたばるでしょう。あいつらは、もう近くまで来ているわ」
煙を上げて横転しているバンの周りには、血まみれの人間がばらばらに転がっていた。運転席していた男の頭の包帯は真っ赤に染まっていて、もう既に死んでいるように見える。そのすぐ近くでは、道路脇の花壇に覆いかぶさるようにして紫苑が倒れていた。
モヒカン頭の男もまた女性を庇うような恰好で倒れていた。その腕の中にいる女性は痛みで意識を取り戻したのか、足を押さえながら呻き声をあげている。つぶれたトランクから這い出てきたと思われる短髪の若者は、唯一どこにもケガをしていないように見えたが、その場で失神しているようだ。
「じゃあ出発するわよ。これで全てがうまくいくわね。万能ワクチンを世界中に販売すれば、巨万の富が築けるわ。もちろん、取り引きは貴金属のみだけど。うふふ」
エリザベートの顔には達成感があふれ、勝者特有の笑みが浮かんだ。
ぱぱぱぱぱんっ!
突然アサルトライフルの乾いた音が商店街に響き渡った。ハイエナが口から血を噴きだしながら、膝から崩れ落ちる。
「な! なにを!」
エリザベートの顔から一瞬で微笑みが消えた。少しうろたえながらも音のした方に拳銃を構える。そこには左手を包帯で吊ったアーノルドが、右手に銃を構えて仁王立ちしていた。その顔は憎悪で歪み、唇を噛みしめすぎたからだろうか赤い糸のような物があごの先まで線を引いている。
「――汚いな。お前ら汚なすぎるよ。何だよ! 結局は金もうけのためじゃないか! DOLLを殺したのはこんな結末を迎えるためだったのか!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい。DOLLをブライアンに殺させたのは、私の命令じゃ……」
「同じことだ! おまえら権力者が、寄ってたかって自分たちだけが助かるためにしたことだ。あの娘には何の罪も無かったんだよ! なにより僕は……僕はDOLLを愛していたんだ!」
自分にケガを負わせたヤツらへの恨みなんかよりも、どうやらアーノルドの怒りの原点はDOLLを殺されたことにあるようだ。
「え? だってブライアンとDOLLは愛し合っていたじゃない。あなたの入る隙なんてなかったはずよ」
「そんなことは百も承知だ! DOLLは最後までブライアンを信じていた。彼の姿を見て駆け寄って行った時の! DOLLの顔が! 寝ても覚めてもずっと頭から離れないんだ! ここで『鍵穴』が消えてしまえば、助かる人は本当に少なくなるだろう。だがそんなことは知ったこっちゃない。おまえを殺したあと、俺もすぐに彼女の元に行く」
ケガの影響だろうか、重い銃を持つその手は次第にブルブルと震えはじめた。
「あなたがまた私の元で働きたいって頼み込んできたのは、このためなのね? この裏切り者!」
ぐらっとバランスを崩した瞬間、、チャンスとみたのかエリザベートは勝負をかけた。
プスッ! プスッ!
消音器付きの銃のくぐもった発射音が二度した。
その銃弾は、偶然なのかDOLLと同じような場所に二つの血の花を咲かせた。それに気づいたのかは定かでは無いがその傷を見下ろすアーノルドの口元は、不可解な事に少し満足したように微笑んでいた。リーマンの暴力により最初から片目もろくに開けられない状態で、彼は良く戦ったと言うべきか。
「あーら残念、もう一息だったわね。じゃ、さようなら」
虫の息で倒れているアーノルドの足元から銃を回収すると、ハンヴィーの運転席に乗り込んでエンジンをかけた。後ろの席では、春樹が猿ぐつわをされたまま激しくもがいている。ちょうどその瞬間に、横転したバンが真っ赤な炎に包まれていく様子がバックミラーに映った。
「終わったわ。今からそっちに向かう。すぐに離陸準備をしておきなさい」
片方の頬を炎の明かりに染めながら無線機を助手席に投げると、満足したような顔で煙草に火をつけた。