妹
「加奈ちゃん、検温の時間よ。・・・加奈ちゃん?」
加奈は顔を田中に向けず、ベットに横たわったままだった。そして、そのままの状態で、重い口を開いた。
「・・・田中さんは隠していることって・・・ないですか?」
田中は眉ひとつ動かさずに、言った。
「ないわ。どうして?」
加奈は、思い切って言った。
「田中さんは・・・お母さんなんですよね。一也・・・お兄ちゃんの・・・伊東一也の。」
田中の表情が一気に変わった。動揺を隠しきれず、困ったような顔になった。
「・・・ええそうよ・・・。私はあなたの叔母で、一也の母です。」
「名乗り出て下さい!お兄ちゃんを・・・今のお兄ちゃんを見ていられない・・・。話して下さい・・・。」
必死な加奈に対して田中は一言、
「時間を・・・・ちょうだい。」
と曇った顔で言っただけだった。その後、すぐ田中は病室を出て行った。加奈にはなぜ、あの優しい田中が兄を裏切ったのかはわからなかった。しかし、幼くして母を失った加奈は一也に名乗り出て、後悔してほしくなかったのだ。それに今の一也に田中が名乗り出ても、どういう反応をするかは分からないが今のすさんでいる兄を田中なら救えるような気がしたのだ。
夕方、私服で田中が加奈の病室に入ってきた。先ほどと少し表情が変わっていたのに加奈は気がついた。
「・・・加奈ちゃん私・・・一也に明日仕事が終わったら打ち明けるわ。もう・・・逃げてられないものね・・・。」
「田中さん・・・!」
田中がほほえんだ。この瞬間、加奈は田中が一也を捨てた訳じゃないと確信した。
「じゃあ、明日・・・。」
田中は加奈に手を振って病室を出て行った。加奈は心の中で喜んだ。
しかし、田中を最後に見たのは、この瞬間だった。そんなこと加奈には予測も出来ないことだった。
その夜は、一階がやけに騒がしかった。急病人が搬送されたらしい。加奈はそのころ起きていた。眠れなかったからである。そこでトイレに行こうと病室を出ると、一瞬父、信二が男子トイレからでてくる姿が見えた。加奈は気になって、信二のあとを追っていった。たどり着いたのは、二階の大型集中治療室だった。のぞき込むと、確かに信二が居た。
「・・・・お父さん?」
「加奈!来ちゃいけない!」
「・・・・えっ・・?!」
その部屋で横たわっていたのは酸素マスクをして、怪我で変わり果てた姿になった田中だった。加奈はがくっと床に座り込んだ。
「・・・田中・・・さっ・・」
父は悲しそうな目で言った。
「この人はね、真樹の妹でね・・・。事故に遭いそうな子供をかばったらしいんだ。・・・もう・・永くない。」
「・・・うそっ!」
加奈は田中に駆け寄った。
「田中さん・・お兄ちゃんに話すって・・・。言ったの・・にっ」
加奈の目に涙があふれた。その時、田中がうっすらと目を開けて唇を動かした。
「・・・・なちゃ・・や・・そく・・ごめ・・ごめんね。一也を・・ささえ・・くれてあり・・ありがと・・・ね。」
それを言い切ると目を閉ざし輝く涙をひとすじながすと、動かなくなった。それと同時に心電図の音がピーッとなり、まっすぐな一本の線となり、動かなくなった。そして、田中が目を覚ますことは二度となかった。午前1時3分のことだった。
「そんな・・・。いやああああっ!!」
加奈は今までにないような大声で、泣き続けた。信二は、大声で泣き続ける加奈の小さな体を抱きかかえ、病室へと運んだ。その時に、加奈は田中の顔に白い布をかぶせられるのを見た。加奈の胸は絶望の色に染まった。
次の朝、加奈は腫れた目で窓の外をずっと見ていた。涙を流すことも、表情を変えることも何一つしなかった。ただただ、かがやかくなった瞳で空を見ていた。信二はそんな娘を部屋の外から見つめていることしか出来なかった。そんな加奈の元に一也がやってきた。
「どうしたんだよ。」
加奈は、一也の声に胸が張り裂けそうだった。なにも知らない一也に言えない。でも・・・。昨日の田中の顔が脳裏に浮かんだ。最後に必死で唇を動かし、笑みを見せたあの顔が。
「・・・田中さんが昨日亡くなったの・・・。」
「あの看護師か。・・・それで?」
あまりにも哀れな兄に加奈は涙を流した。田中は確かに最期まで一也を思っていた。なのに思いが伝わることはなかったのである。そしてとうとう言った。
「・・・おかあ・・さん」
「はっ?」
「・・・お兄ちゃんの・・・お母さんなんだよ・・・田中さんはっ!!」
一也の頭は真っ白になった。それを言い切ると加奈は胸を抑えて苦しんだ。加奈の二度目の発作だった。
3.家族
「加奈っ・・・!!」
加奈は必死に息をしている。一也は慌ててナースコールのボタンを勢いよく押した。すぐに、看護師数名と医者が駆けつけた。いろいろな機材が運び込まれ、信二も駆けつけた。一也にはなにが起こっているか分からなかった。田中が自分の母で、妹は危篤状態。こんな状況をすんなり飲み込める人間は居ないだろう。
そして加奈は緊急手術を受けないと助からないという告知を受けた。しかし、成功率の低い難しい手術であることも同時に告げられた。すると一也は医師の目の前で土下座した。
「お願いします。加奈を助けて下さい・・・!」
信二は、驚きを隠せなかった。医師は一也の肩に手をあて、笑顔でうなずいた。信二が頭を下げ、
「お願いします。」
と言うと、加奈はすぐに手術室に運ばれた。部屋の外の赤いランプが光った。一也と信二は手術室の前の廊下の椅子に座って加奈の無事を祈った。一也は信二に話しかけた。
「父さん、俺の母親って田中さんなのか?」
「・・・そうだ・・・。」
一也は表情を変えずにうつむいた。信二の話だと、昔大病をした田中は姉の真樹に一也を預けたのだが、転院に転院を重ねた田中の行方がつかめなくなったらしい。田中は何も知らない一也に真実を伝えることもできず、話しても信じてもらえないかもしれないと思った田中は、病院で十三年ぶりの再会をしても黙っていたのだった。
「・・・俺は捨てられたんじゃなかったのか・・・・・そうか・・。」
一也の頬に涙がひとすじこぼれた。そして、
「加奈・・・死なないでくれっ・・・。」
とつぶやいた。信二はそんな一也をみて涙ぐんだ。そして加奈は一也にとって本当の家族であると察した。手術の間一也は必死に妹の無事を祈った。いつも、暴力ばかりふるっていた一也は、このとき本当に生きてほしいと願った。
開始から7時間たった。赤く点灯していたランプが消えた。中から一名の医師が出てきた。一也が椅子からがたっと立ち上がった。
「加奈は・・・?!」
「手術は・・・成功です。」
「!!・・ありがとうございました。」
一也は笑わなかったが、心の底から喜んでいることは、その場にいた全員に伝わった。その後信二は医師に呼ばれ姿を消した。一也もその日は遅かったので帰ることにした。病院を去る前に病室をのぞくと、酸素マスクをして麻酔で眠っている加奈の姿があった。
次の日、学校が終わると一也は脇目もふらず、加奈の元に飛んでいった。
「加奈・・・?」
と呼びかけると、
「お兄ちゃん・・。」
と加奈が笑って、一也を見つめた。一也は加奈の方へよった。すると加奈が言った。