妹
そう言い放った父に一也は怒った。手をすごい力で握って今までたまっていた言葉を全てぶつけるかのように叫んだ。その言葉が出る前に父ははじめてみる我が子の真の怒りに何かの理由で触れたことを悟った。そして、その迫力に一歩引いた。
「てめえ・・・仕事仕事って・・それでも親かよ!」
「親に向かって、てめえだと!?」
「てめえなんて、てめえで十分だ!今日・・今日・・・加奈が倒れたんだぞ!」
「!!なんだと・・?」
信二は珍しく驚いた顔をした。一也が続けてそのままの怒り口調で今日の全てを話した。父はときどき混じる一也の自分に対する暴言を叱らずに、その言葉のひとつひとつを身にしみさせて話を聞いていた。一也は父の目つきが変わってゆくのをみていた。信二は今更ながら妻、真樹の死後、子供との接し方が分からなくなり、目の前の仕事という逃げ口に逃げてきて、背後にある家庭というものに対して振り返ることも、目を向けることさえもしなかった自分に怒り、反省をした。特に一也への接し方は信二には分からずにほぼ完全に目を背けていた。その状況でこの家庭がまだ崩壊していないのは、加奈のおかげであることに信二は薄々気がついていた。そのせいであろうか。信二はこれまでにないくらい反省をし、心の中で加奈に謝罪をし続けた。
そして、翌日信二は仕事を休んで、加奈の元に行った。こんなこと、今までになかった。たしか仕事を休んだのは、妻、真樹の葬式以来だったと思う。一方一也は、このことを神田に話した。一也にとって神田は、信頼できる相談相手でもある。神田は加奈の見舞いに今度行くと言ってくれた。
学校が終わった後一也は病院に向かった。一也自身もなぜ自分がここまでしてるのかは分からなかった。病院の2階までエレベータでいくとすぐに加奈の部屋の前についた。すると加奈と知らない女性の話し声がした。一也がノックもせずにはいると、驚いた顔で三十代ぐらいの看護師が振り返った。
「えっと・・・あなたは・・・。」
「お兄ちゃんです。・・私の・・。」
「そうなの?よかったわね、加奈ちゃん。えっと、名前は・・・。」
「・・・・・・・・・一也・・ですけど・・・。」
「そう。私は佐藤美紀です。よろしく。」
そういうと加奈に手を振り、一也に一礼して出て行った。
「あの人何なんだ?」
「私の担当の看護師さん。」
「そうか・・・父さんは?」
「買い物・・・・。」
まるで、昨日のよそよそしさが戻ってきてしまったような態度になってしまった。一也は楓が言い残していったあの真実に戸惑っていた。そして、加奈に名前を呼ばれるたびに胸を締め付けられる思いだった。昨日父にあんなことが言えたのは、このことを知っていて意識していたせいかもしれない。一也は考えれば考えるほど真実が分からなくなっていった。
「お兄ちゃん?・・・顔色悪いよ・・・。・・・お兄ちゃん?」
「お兄ちゃんなんて言うなよ!!」
一也がとうとう言った。加奈は驚きつつ、どことなく悲しそうな顔をした。一也には、あのことを一人で考え
込んで黙っているなんて出来なかった。
「・・・お・・・兄ちゃん・・?」
「・・・くそっ・・!!」
「どうしてっ・・・・。どうして知って・・・っ」
「楓から聞いた。俺とお前は兄弟なんかじゃないだろ・・・!」
「そんな・・・そんな言い方しないで!!」
一也ははっとした。恐れていた時が来てしまったと、加奈が目にいっぱい涙をためた。一也には加奈の
涙の意味が分からなかった。
「十年間・・一也お兄ちゃんは私の・・・家族だったんだよ・・・。」
その言葉を聞いて一也が泣きそうな顔になった。自分の感情が抑えきれなくなった一也はは病室を飛び出した。加奈が言った家族という言葉の意味が一也には分からなくなった。そして同時に一也の胸に突き刺さった。しかし、きっと十年間一也にこの思いを感じさせないように小さな胸にずっと隠し続け、暴力をふるわれても血のつながっているふりをし続けた加奈のほうがつらかっただろう。そこに、誰かが走る一也の腕をつかんだ。
「斉藤、どうしたんだよ!」
「神田・・・!!」
一也は今までのことを全て神田に話した。「無口」だった一也は今まで話さなかった分を全部ぶちまけたかのようだった。一也はなにかをこらえるようで、どことなく悲しそうな表情をみせた。神田は初めて見る一也のそんな顔、目を見ながら最後まできっちり話を聞いて、静かにこう言った。
「・・・知ってたぜ・・。俺。」
「はっ・・・?」
「たまたま公園にいたんだよ。あの時。買い物の帰りでさ・・・聞こえちゃったんだ・・・。」
「・・・・・そっか・・・話・・付き合ってくれてありがとな・・。」
一也はうつむいたまま顔ををあげなかった。一也は神田が居てくれることに安心を感じた。加奈にも楓にも信二にも感じたことのない安心感を神田から感じた。しばらくして、一也は加奈の病室に戻った。一也が入ると加奈ははっとした顔で起き上がった。そして一言か細い声でこういった。
「・・・・これからもお兄ちゃんて呼んでもいい・・・?」
一也は加奈のその一言に驚きと申し訳なさを感じた。加奈の気持ちなんて自分は考えず、ひどいことを言ってしまったことに気がついたのだ。しかし、一也はいつものように謝罪の言葉をいわずに一言
「ああ。」
と答えた。加奈はそれを見て少しほほえんだ。
2.真実の真実
それはあまりにも突然に唐突に加奈に突きつけられることになった。とある日の午後のことだった。信二が仕事を午前中に切り上げて、加奈の元にいた。一也は風邪を引いて家で寝込んでいたため来なかった。毎日なぜか加奈の為に来ていた一也が来ないのは初めてのことだった。信二がトイレに行き、部屋をあけてから五分もしないうちに、信二と田中の話し声が廊下から聞こえたと思ったら、足音とともにその声も聞こえなくなってしまった。加奈は二人の話の内容が気になって、こっそり部屋を抜け出し、二人についていった。気づかれないよ
うに物陰に身を隠し、立ち聞きした。
「えっと・・・田中さんでしたっけ。看護師の・・・。」
「・・・はい。旧姓を伊東美紀と申します・・・。お義兄さん・・・。」
加奈は耳を疑った。信二も驚いているようだったが、加奈は今にもここから田中の元に行き、問いただしそうな勢いだった。なぜならば・・・
「・・・一也の母です・・・。お義兄さん。」
加奈はだいぶ前から一也と実の兄妹じゃないことを知っていた。しかし、叔母がいることや、一也が自分のいとこにあたる人物であることを初めて知った。加奈の頭は混乱して、話の続きを聞ける状態ではなくなった。加奈はうつむいたまま足早にその場を去り、病室に戻った。頭はさっきの話のことでいっぱいになった。あの田中が一也の母・・・。しかし、よく考えれば一也は母に会うことができる。真実を知ってしまった一也は自分が誰の子であるのかは気になって不安になるであろう。自分はもう母に会えないが、一也は会える。その希望と同時に一也と離ればなれになってしまうかもしれないという不安もよぎった。加奈の胸は締め付けられた。そして頭の中がぐちゃぐちゃになり、早くに眠りについた。
次の日の朝。いつものように検温の時間に病室に田中が入って来た。