何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】
聡明で話していて飽きない上に、更に魅惑的な身体とこの上なく綺麗な顔立ちをしている。こんな女はもう二度と見つからないに違いない。
ユンは白い頬に乱れ落ちた髪をひとすじ、そっと撫でつけてやった。この女が自分にとっては生涯でただ一人の想い人だという想いは変わらない。どころか、二年ぶりに再会して、ますます強くなった。
「明姫、そなたは私の宝だ」
呟き、また愛おしげな手つきで髪を撫でる。半月前は明姫に逢う勇気すら出せず、すごすごと引き返していったユンだった。
―私は最早、国王殿下の側室でもお妃でもありません。
きっぱりと言い切った明姫の心を知るのが怖かったからだ。だが、あれから半月の間、彼はいつも悶々とした心を抱えながら過ごさなければならなかった。
もし、逢いにいって、明姫に拒絶されたら? あの愛くるしい瞳に嫌悪と憎悪を滲ませて、冷たく見つめられたら?
そうされても仕方ないだけの仕打ちを彼女に対してした。その自覚が嫌になるほどあるのに、逢いたくて堪らず、我慢できなかった。それでも、拒絶されたときのことを考えると、怖ろしくて二度目に観玉寺を訪れる勇気をもてないでいた。
しかし、半月が近くなろうかというある夜、ついに明姫恋しさの方が勝った。ユンは黄内官にすら告げず、夕刻から気分が悪いと大殿の寝所に引きこもった。
今頃、黄内官は蒼褪めているに違いない。幼いときから祖父とも慕った彼を心配させるのは本意ではないが、観玉寺に行くなどと言えば、また維俊を連れてゆけだ昼間に行けだなどと煩い。
だから、仮病を使って寝所に籠もり、誰にも見つからないようにそっと宮殿を抜け出してきたのだ。ユンには明姫と出会う前から、宮殿をしょっちゅう抜け出しては都を徘徊していた前歴? がある。
黄内官はもちろん、彼がお忍びで町を出歩いていたことは知っている。?民情視察?などともっともらしい言い訳を並べ立てるユンに苦言は呈したものの、止めようとまでしなかった。だが、せめて伴の内官を一人以上は連れていくようには口を酸っぱくして言っていた。
むろん、ユンは黄内官の言うことをきかず、一人で町を歩き回っていたわけだが―。ゆえに、黄内官が今更、もぬけの殻の寝所を見て、心臓発作を起こすほど動転するとは思えない。
が、今回は宮殿から眼と鼻の先の漢陽の町中ではなく、遠く離れた山奥である。しかも、半月前に観玉寺に出かけた日、意気消沈して戻ってきたこと、更にここのところのユンの沈んだ様子を考え合わせれば、そもユンがどこに行ったかを黄内官はすぐに悟るはずだ。
彼には、まだ跡継ぎたる世子もいない。そんな状態で、若い国王の身に万が一変事があれば、下手をすれば国が動乱に陥る。
ユン自身もこんな無謀な行動はけして王として褒められたものではないことも判っている。だが、今回ばかりは王としてよりも一人の男として生きる。彼は断固として決めていた。
二年前、自分は国王として取るべき道を選び、明姫を遠ざけた。この二年の年月の何と長く味気なかったことか。眼に映るすべてのものが色褪せ、鳥のさえずりも花のみずみずしさも何もかもが意味のないものに思えた。
愛する者が側にいないことが、こんなにも日々の生活を無味乾燥にしてしまうのかと明姫の存在の大きさをかえって思い知らされたほどだ。そして、知ったのは哀しみと絶望という言葉で言い換えられる後悔だけだった。
大切なものを手放してはならない。その当たり前すぎる大切なことを学んだ。だから、自分はもう二度と明姫を自分から手放すことはないだろう。
彼の大切な宝物は安らいだ顔で眠っている。烈しすぎる営みのせいで、目尻にまだ涙の雫が残っているのを見て、ユンは苦笑する。
相変わらずだ。宮殿にいる頃も、もっと優しく抱いてやろうといつも思ったのに、一方的に逸って明姫ばかりを求めて泣かせ、最後には彼女が許しを乞うほど閨で責め立てた。
何故なのか。幾度抱いても、欲望は尽きることなく、心も身体も切ないほど疼いて熱く彼女を求めている。
ユンは明姫の目尻に溜まった涙をそっと唇で吸った。涙の味はほろ苦くて心なしか甘かった。
営みが烈しすぎた割には、明姫の寝顔が安心しきった幼子のようなのが救いであった。何より、恨まれていても仕方ないと思っていたのに、明姫が心から自分を待ちわび歓んで受け容れてくれたことが嬉しい。
ユンは飽きることなく、いつまでも明姫の寝顔を見つめた。もう少し眠らせてやってから、あと一度だけ柔らかな身体を欲しいままに抱くのだ。そうしたら、休む間もなく山を下りて都に戻らなければならない。
夜明け前に出立しても、都に入るのは昼過ぎになる。本当なら、もう山を下りた方が良いのは判っていたけれど、今少しだけ愛しい女の側に寄り添っていたい。
優しく抱いてやらねばと反省する一方で、既に三度も達してしまった明姫をまた抱こうという気になる己れに苦笑いする。それでも、次に彼女を抱けるのはいつになるのかと思えば、やはりまた泣かせてしまっても、もう一度明姫が欲しいと思うユンであった。
窓から差し込む月明かりが明姫の美しい顔を照らしている。明姫、私の宝物。
ユンは心で呼びかけながら、また明姫の髪を撫でた。
涙の味
明姫は手に持った籠を一旦、地面に降ろした。籠には眼にも眩しい真白な冬大根が山盛りになっている。この山の麓には小さな農村があって、村人がたまに山頂の観玉寺まで参詣しにくる。その度に、何かしらのお供えを持ってきてくれるのだ。
今回の供物がこの大根というわけである。村人が総勢数人で運んできた野菜は他にも白菜や人参、青菜など実に多種多彩であった。
―ありがとう、助かります。
明姫が微笑むと、年嵩の男たちに紛れていた若い男は眩しげに眼をパチパチさせ、ペコリと頭を下げた。
実際、これだけあれば、観玉寺に住む者皆が食べたとて、ゆうに二、三日は保つに違いない。この寺には住職の慈慶を初め、若い修行僧たちが数人、後は寺の細々とした雑用を務める寺男夫婦とその子どもたちで五人。それに居候という形で明姫が暮らしている。
この十人余りで食べても、すぐにはなくならないくらいの大量の野菜である。
この大根を近くの川で洗ってきたばかりのところなのだけれど、いかにせん、今年は野菜の出来が良かったと村人たちが嬉しげに語っていたとおり、一つ一つがすごぶる大きい。
籠一杯に盛った大根を抱えて川まで往復するのは、華奢な明姫にはひと苦労である。昨日は白菜をすべて洗って、半分はキムチ用に取り分け、早速突けておいた。青菜と人参は寺男の妻が担当してくれることになっているから、心配はない。
「ふぅ、この重さは少し腰に来るわね」
明姫は独りごちると、握り拳でトントンと腰を叩いた。
「痛―」
強く叩きすぎたのか、腰に痛みが走った。しかし、この痛みは何も大根を運んだからではない。数日前の夜を思い出し、明姫は思わず顔を赤らめた。
あの夜、信じられないことにユン―国王殿下がこの山上の寺までやって来られたのだ。二年ぶりの再会は最初は夢かと眼を疑ってしまった。
作品名:何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】 作家名:東 めぐみ