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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】

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 ユンは信じられない想いで言った。
 黄内官も首を傾げている。
「私にも何が何やら皆目判りません。ただ、畏れ多いことながら、いまだ王命が皆に広まっていないのは、大妃さまのご意向があるのではないかと拝察仕ります」
「つまり、母上が都承旨を脅して、足止めさせているということか」
 ユンは唇を噛んだ。あの母なら、いかにもやりそうなことだ。しかし、今はそんなことを言っているときではない。
「義禁府に参る」
 ユンはガタリと音を立てて立ち上がった。最早、黄内官も彼を止めようとはしなかった。

 その朝、義禁府は俄に騒々しくなった。夜半に牢内で気を失った王の側室金淑媛の拷問が急に行われることになったからだ。
 意識不明となった淑媛は一旦義禁府の別室に移され、宮廷医の診察を受けた。診立ては栄養失調と過労ということで、特に病気ではなかった。精の付く薬が処方された。眠っている淑媛に医師が匙で薬を少しずつ飲ませたお陰か、明け方には意識を取り戻したのである。
 だが、そこに大妃殿から急な遣いが来た。大妃の権限で金淑媛に対して、日の出を待って義禁府での拷問を命ずるというものだった。
 義禁府では大いに意見が分かれた。仮にも国王の熱愛する側室を大罪人とはいえ、王の許しもなしに拷問にはかけられないと主張する者、或いは国王よりもある意味強い力を持つ大妃の命を優先させるべきであると主張する者。
 結局、大妃の意向を立てる形となり、淑媛の取り調べは午前中から始まることとなった。取り調べといえば聞こえは良いが、内実は拷問である。殊に義禁府の拷問は大の男ですら気絶するといわれるほど過酷なものだ。
 義禁府の広場に引き出されてきた可憐な少女をひとめ見て、その場に居合わせた誰もが到底、拷問には耐えられまいと思った。
 おまけに、淑媛は意識を失うほど弱っていた。そんな身体で厳しい拷問を受けたら、気絶だけで済むはずがない。恐らくは今日中には、この薄幸な美少女の生命の焔は消えるに違いない。
 役所の建物の前には、罪人を取り調べるための広場がある。今、明姫は兵士たちに連行され、そこにいた。弱り切った明姫を引き立ててきた男たちも気は進まないのは本心だが、大妃の命に背くことはできないのだ。国王ですら、頭が上がらないといわれている王室の最高権力者だ。
 広場の中央には椅子が一脚ぽつねんと置かれていた。明姫はそこに座らされ、後ろ手に縄で縛られ、椅子にくくりつけられる。
 待つ間でもなく、義禁府の責任者らしい男が現れた。明姫の父親ほどの歳の男が建物の回廊に佇み、明姫を無表情に見下ろしている。
「金淑媛さまにお訊き致します。この度、畏れ多くも中殿さま毒殺を企てたのは、淑媛さまで間違いありませんな?」
 それは質問というよりは、決定事項を形式的に確認するだけという感じであった。
 明姫は椅子に縛りつけられたままの体勢ながら、真正面から義禁府長を見上げた。凜とした声音で応える。
「既に何度も申し上げましたように、私は無実です。中殿さまを殺害し奉るなど怖ろしきことを企てたりしてはおりません」
「よろしいか、私の言うことをよく聞かれよ。金淑媛、あなたの罪は既に確定しているも同然だ。あなたが認めようと認めまいと、いずれ相応の処罰をその身に受けることになるだろう。だが、あなたが強情にいつまでも自分は無実だと言われるなら、我々としては拷問をせねばならない。どうせ処罰される身であれば、これ以上の責め苦は受けたくはないのでは? 金淑媛」
「拷問にかけられようとかけられまいと、私の申し上げることは変わりません。私は中殿さま暗殺の首謀者ではありません」
 義禁府長があからさまな吐息をついた。その髭面には呆れたような表情が浮かんでいる。
「まったく、流石は国王殿下を誑かした稀代の妖婦だけはある。虫も殺さぬような儚げな風情をしながら、末恐ろしき娘よ」
 義禁府長がおもむろに傍らの副官に指図した。
「始めよ」
「はっ」
 副官が更に合図を送ると、明姫の両側にいた獄吏が頷く。刹那、両脚の間に挟まれた拷問具が太腿を無理にこじ開け、堪らない激痛が走った。
「―!」
 痛い―。あまりの激痛に、眼の裏が真っ白になり、明姫の眼に涙が滲んだ。まるで股を裂かれてしまうかのようだ。だが、けして悲鳴など上げるものか。泣いて助けなど請うものか。
 私は天に誓って何もしていない。
「いかがかな、淑媛さま。これでも、あなたはまだ自分は何もしていないと言い張るおつもりか?」
「私は天に誓って潔白です」
 明姫はもう一度繰り返した。やれるものなら、やれば良い。たとえ股が裂かれ血まみれになろうとも、やってないものはやってないとしか言えない。
「やれやれ。手間のかかるお方だ」
 義禁府長が嘆息したまさにその時、その場の空気を震わせるような冷たい声が響いた。
「義禁府長、誰の命で王の側室を拷問にかけておるのだ」
 深紅も鮮やかな龍袍を身につけた国王が現れ、皆は息を呑んだ。
「こ、これは殿下」
 義禁府長が慌てて立ち上がり、一礼する。
「予の問いに応えよ。誰の命で淑媛を拷問にかけておる」
「はっ、それは」
 義禁府長が慌てて階を降りる。広場に立った王の前で畏まった。
「大妃さまのご命令か?」
「は、はい」
 消え入るような声に、王は一喝した。
「心得違いもはなはだしいッ。そなたは朝廷の臣下か、それとも、大妃さまの使い走りなのか?」
「は、はあ。それはむろん、朝廷の臣下にございます」
「ならば、国王と大妃さまのいずれの命を重んずべきかは判るな?」
「は、はいっ」
 哀れな義禁府長は、息子ほどの若い国王の前で縮み上がっている。その場の皆が固唾を呑んでいた。いつも穏やかで怒りなど露わにしたことのない王が激怒している。
 それも火を噴くような怒り方ではなく、全身から蒼白い焔をゆらゆらと立ち上らせているような怒り方だ。その静かな怒りは烈火のごとくの怒りより、見る者に対して更に大きな威圧感を与える。
 普段は滅多に吠えない虎が吠えた―そんな感じであった。虎の咆哮は辺りの空気を震わせ、その場にいた皆を芯から震え上がらせるには十分すぎる。
「直ちに淑媛さまの縄を解くのだ!」
 義禁府長は震えながら、部下たちに命じ、獄吏たちも泡を喰らったように明姫を縛めていた縄を解いた。
 ユンが椅子に座り込んだままの明姫に近寄ってくる。
「可哀想に、私のせいで酷い目に遭わせてしまった」
 ユンの手が伸び、明姫の髪を撫でた。
「殿下」
 ユンが助けにきてくれた。明姫は嬉しさと安堵がない交ぜになった気持ちで、涙を浮かべた。
「私―」
 自由の身になったら、彼に話したいこと、言いたいことがたくさんある。明姫は立ち上がろうとして、すぐに均衡を崩した。その身体が傾いだのをユンが抱き止める。
「私、立てないみたい」
「明姫」
 ユンの端正な面が曇った。
「身体が弱っているからだ。大丈夫、私が後宮まで連れていくから」
 許してくれ。ユンは呟くと、抱き上げた明姫の髪に顔を押し当てた。