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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】

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「一体どういうことだ? 私の邪魔をするつもりか?」
 ユンが怒鳴ると、黄内官はその場にひざまずいた。
「もとより死罪は覚悟の上で申し上げます。殿下、今、殿下が淑媛さまに逢いに監察部に行かれるのはいかがなものかと。大妃さまの仰せのように、内命婦の間で起こった揉め事は、後宮の掟で裁かれるのが通例です。かつて一度たりとも国王殿下が後宮内の揉め事について関与されたことはございません。殿下のお苦しいご心境はお察し致しますが、ここはどうかご辛抱をなさって下さいませ」
「そのような常識論を論じている場合ではない! 事は明姫の身に拘わるのだぞ?」
「さればこそにございます。今、ここで殿下が後先考えずにお動きになれば、淑媛さまのお立場はますます苦しいものになります。それでなくとも、淑媛さまお一人が殿下のご寵愛を賜っていることをけしからぬと思う輩も多いのです。国王たるお方がまだ監察部の調査も終わらない中から、淑媛さまの取り調べに口を出されたと知れれば、そのような輩がまた何を言い出すか知れたものではありません」
―王を色香で誑かした妖婦がまた泣きついて、国王を動かした!
 そう言うのは眼に見えている。引いては、女に心を奪われ、常識や慣例すらも無視して私情で動く好色で愚かな王とユンもまた悪し様に言われるのは必定である。
 ユンが思案に沈んでいると、黄内官は静謐な声で続けた。
「また大妃さまの御許に直談判にお行きになるのも明日以降になさった方がご賢明かと思われます。今、監察部の女官たちが力を尽くして調査中のとのことですから、淑媛さまにかけられた嫌疑もいずれ晴れましょう。今はなにとぞご自重下さるようお願い致します」
 暗に先走った行動はかえって明姫を窮地に追い込むことになる―と諭され、ユンは唇を噛んだ。
 自分の王としての評判などこの際、どうでも良いけれど、明姫が自分の短慮で余計に辛い想いをするのは可哀想だし我慢ならない。
「―判った。今日のところは、どこにも行かぬ」
 ユンは沈んだ声音で言い、執務机に突っ伏した。
 自分の母親が惚れた女をそこまで追いつめたと知り、改めて絶望と哀しみが彼の中でせめぎ合っていた。もう何をどう信じて良いのか判らない。大声を出して暴れ回り、そこら中にあるものをすべて粉々に破壊してしまいたい。それほど気分が荒んでいた。
 だが、今この瞬間もたった一人で監察部の取り調べ室に監禁されている明姫のことを思えば、そんな馬鹿げたことができるはずもない。
 可哀想に、明姫は今も孤独と恐怖に震えながら耐えているに違いない。王妃暗殺の罪がどれほど重いか、その先にどんな処分が下されるか判らぬほど愚かな娘ではない。身に憶えのない罪を着せられ、どれだけ不安に怯えていることか。
 今すぐにでも飛んでゆき、この腕に抱きしめてやりたい。たとえ実の母親と絶縁状態になっても、明姫を守ると告げて安心させたい。
 しかし、今は黄内官の言うように、軽はずみな言動はかえって彼女を追いつめるだけだ。ユンは大きな吐息を吐き、居たたまれない気持ちで髪の毛を掻きむしった。

 その夜もユンは大殿で眠れないままに一夜を明かした。
「殿下、もう夜も更けました。ご寝所で少しお寝みになられては、いかかでしょう」
 ずっと側に付きっきりの黄内官が案じ顔で言う。
 ユンはひっそりと笑った。
「そう言うそなたの方が今にも倒れそうな顔色をしている。そなたももう歳なのだから、無理は禁物だ。私のことは気にしなくて良い。黄内官こそ、もう下がって寝んでくれ」
 それでも黄内官は微動だにしない。ユンはまた笑った。
「爺やがいなくては、私が心を開ける人は明姫以外に誰もいなくなってしまう。だから、私の頼みだと思って寝んで欲しい」
 まだ世子であった時代に呼んでいたように?爺や?と呼びかけると、黄内官の皺に埋もれた瞳が潤んだ。
「それでは、お言葉に甘えて、これにて失礼させて頂きます。代わりに若い者を外に控えさせますので、ご用があれば何なりとお申しつけ下さい」
 黄内官は深々と腰を折り、部屋を出ていった。
 ユンは冴えない顔色のまま、椅子に背を預け天井を仰いだ。黄内官がユンの側近く仕えるようになったのは、もう十六年も前になる。
 まだ頑是ない幼児であった彼を背に負い庭を歩いてくれたのも彼だった。這いつくばった黄内官の背にまたがり、?お馬ごっこ?をした想い出も数え切れないほどある。
 いつも側にいて、彼の涙をぬぐい、また今日のように衷心から諫めてくれたのも黄内官だ。実の両親よりも近く、信頼できるのがこの大殿筆頭内官であった。
 実の母には、どれだけ温もりを求めても、けして得られなかった。その温もりを、この年老いた内官は彼にわずかなりとも与えてくれのだ。
 母の愛情に飢えて育ったせいか、ユンは明姫と知り合ってからというもの、彼女にやたらと膝枕をさせたがった。明姫も彼の生い立ちや大妃との関係を知っているから、微笑んで好きなようにさせてくれる。
「そういえば、明姫にしばらく膝枕をして貰ってないな」
 夜毎寝所を共していても、求めるのは明姫のやわらかで魅惑的な肉体ばかりだ。気がつけば、明姫が泣いて許しを請うほどまでに責め立て求めていることもあった。
 次は優しく抱いてやろうと反省はするのだけれど、二十二歳という若い肉体は一度、明姫に触れると歯止めがきかなくなってしまうらしい。気がつけば、明姫を組み敷き、幾度も刺し貫いて泣かせている。
 いつも性急に求めてばかりでは、ゆっくりと膝枕をするような心のゆとりはない。
「明姫、今、どうしている?」
 ユンはまた吐息をつき、最愛の女の顔を思い浮かべる。今、泣いていなければ良いが、心細さに震えていなければ良いがと考えるのは明姫のことばかりだった。

 翌朝になった。夜明けと同時に、黄内官がいつもどおり出仕してきた。
 やはり寝所には行かず大殿で夜を明かしたユンを見て、黄内官は不安顔を隠せない様子だ。
「殿下、やはり、昨夜はお寝みにならなかったのですか?」
 直截に問われ、ユンは曖昧な笑みを浮かべた。
「黄内官はよく寝めたか?」
「は? 私でございますか」
 黄内官は逆に質問で返され、細い眼をまたたかせた。
「ところで、淑媛の件はどうなったであろうか?」
 忠実で何よりユンの気持ちを的確に見抜く黄内官である。恐らくはここに来る前に監察部に立ち寄り、今の状況を逐一把握してきたに相違ない。
 果たして、彼の期待どおり、黄内官は頷いた。
「実はその件ですが、どうも淑媛さまにはあまり良い方向には向かっていないようです」
「というと?」
 俄に嫌な予感がしてくる。勢い込んで続きを促すのに、黄内官は一瞬眼を伏せ、すぐに事情の説明に戻る。
「淑媛さまの身柄は義禁府に移される可能性が高いかと」
「そのような!」
 ユンの激高した声が静寂に反響した。
「監察部ならともかく、義禁府に移されるからには王命が必要なはずではないか。私は何も聞いてはおらぬぞ」