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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】

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 初めから陥れるつもりで罪を着せるのだから、嫌疑が晴れるも何もあったものではない。後宮に仕える女官であれば、それくらいのことは常識として心得ている。恐らく、明姫にせよ、自分の置かれた状況がどれだけ厳しいものであるかは知っているはずだ。
 ヒャンダンの周囲からも、低いすすり泣きが洩れている。明姫は女官出身ということもあり、その気さくな人柄が皆から慕われていた。初めから選ばれて後宮に入った上流貴族の姫君とは異なり、身分で人を決めつけたりはしない。
 下っ端の女官にまでいつも親しげに声をかけ、仕事の労をねぎらうことを忘れなかった。時には国王から賜った珍しい菓子を殿舎の女官一同にふるまうこともあり、?お優しい淑媛さまにお仕えできて、幸せ?と女官たちは皆、女主人に心を込めて仕えていたのである。
 庭で明姫を見送る女官たちの大部分が、もしかしたら明姫が二度とこの殿舎に戻ってくることはないのでは―という不安を拭えなかった。
 もちろん、明姫にも彼女たちの嗚咽は届いていた。この殿舎を与えられ正式な側室として待遇を与えられるようになって、まだ四月(よつき)ほどにしかならない。なのに、皆がそこまで自分を思っていてくれたのかと思うと、正直意外でもあり嬉しくもあった。
 彼女たちの想いに応えるためにも、自分は死なない。必ず疑いを晴らして、ここに戻ってくるのだと固く誓う。
 余計に見苦しい姿は見せられない。明姫は毅然と頭を上げた。真っすぐ前を見つめて、迷いのない足取りで歩いていく。その凛然ととした様子は、到底、昨日今日、側室となったばかりの十六歳の少女とは思えない存在感があった。
 さながら凜として咲き誇る一輪の気高い花。後に楊尚宮は勇退して後宮を下がってから、後宮時代のことを振り返った日記を残している。その中に?泥中一輪花在(泥ノ中ニ一輪ノ花アリ)?と形容したほどであった。まさに、権謀術数渦巻く後宮にあって、浄らかに開く花といえた。
 監察部の取り調べ室に案内された明姫は、ゆっくりと室内を見回した。ここまで来たら、今更取り乱しても意味はないと腹を括っている。
 さして広くない室内には、簡素な机と椅子があるだけで、さしたるものはない。興味深そうに室内を見回す明姫を見て、楊尚宮は苦笑した。
「監察部の取り調べ室がそのように珍しいですか?」
「私も後宮生活はそれなりに長いですから。でも、ここへは一度も脚を踏み入れたことはありません」
 当然といえばいえた。もしユンと出逢うことがなく、国王の側室などという立場にならなければ、平凡な女官には一生縁のない場所だったに違いない。
 それでも、明姫に後悔は一切なかった。ユンとめぐり逢い、彼に愛されて幸せだったと思う。ずっと彼の側にいるという道を選んだことに誇りを持っている。
 勧められ、明姫は椅子に腰を下ろした。続いて楊尚宮も机を挟んで向かい合う形で座る。
 明姫は両手を膝の上に重ね合わせ、真正面から楊尚宮を見つめた。
「まずは今回の事件について聞かせて欲しい。私が何故、中殿さまがお倒れになった件について嫌疑をかけられたのか。監察部に直訴に及んだ成女官がどのような供述をしたのか。それが判らなくては、私も話のしようがない」
 楊尚宮が頷いた。
「淑媛さまのおっしゃるのは当然のことです」
 彼女が顎をしゃくると、傍らに控えていた若い女官が両手で抱えていた箱を机にのせた。塗りの平らな箱で、飾り気もないものだ。楊尚宮はおもむろにその箱の蓋を持ち上げた。
「これをご覧下さい」
 中から出したのは、人型を象った木札と布製の人形。人形は豪奢なチマチョゴリを纏い、無数の針が突き立てられていた。木札には文字が記され、生年月日らしい数字と?―氏?と続いている。
 ペク氏は紛れもなく王妃の姓だ。
「これは」
 物問いたげな視線を向けた明姫に、楊尚宮は頷いて見せた。
「今日の昼過ぎ、中宮殿の―中殿さまのご寝所の床下から発見されました」
「なるほど、これらを使い、私が中殿さまを畏れ多くも呪詛し奉ったというのだな?」
「真に申し上げにくいことながら、現段階ではそのような話になっております」
「では、今一つ訊きます。この証拠と成女官の話はどう結びつく?」
 ここまで立派な証拠を示されれば、もう訊ねずとも相手の描いた筋書きは判りきっている。
 楊尚宮は明姫の思惑を察しているのかいないのか、一切の感情を排除した表情で語った。
 事の発端は今日の午後に成女官が?畏れながら?と監察部に名乗り出てきたことであった。
―このことは絶対に黙っているようにと淑媛さまからのご命令でしたが、私、あまりの事態の深刻さと己れの罪深さに耐えきれなくなり、こうして監察部まで出向いて参りました。
 成女官の態度は堂々としていると言ってもよく、最初から最後まで、特に悪びれている様子はなかった。何かに怯えているようでもなく、泣きもしなかった。
 普通、それだけ罪の重さに耐えきれないほどであれば、もっとおどおどしているのものだが、涙ひと粒見せなかった。
 その態度は、楊尚宮初め監察部の女官たちにはいささか不自然に見えた。
 その合間に楊尚宮が問いただしたところ、今回の王妃が倒れた件についてはすべて金淑媛が仕組んだものだという。自分が淑媛に命じられて中宮殿に忍び込み、王妃の朝の御膳に毒を潜ませたのだと、このときだけは泣く泣く白状した。
 しかし、その泣いている様子も正直、心底から己れの罪を悔いているようには見えず、無理に空涙をを流しているのではと思える節もあった。
 国王や王妃の食事は皆、後宮の水刺間(スラッカン)という部署で作られる。そこでは人員も決まっているため、毒を入れるのは難しいと考えた成女官は御膳が中宮殿に運ばれてきてからの方がやりやすいと判断、中宮殿の女官になりすまして毒を混入したという。
 それを聞いた楊尚宮はすぐに中宮殿に人をやり、成女官の似顔絵を中宮殿の女官たちに見せた。すると、その朝、王妃の許まで朝食を運んだ女官たちの中の何人かが似顔絵に見憶えがあると証言した。
―あまり見かけない顔だとそのときは不審に思ったのですが。
 と、彼女たちは一様に申し訳なさそうに言った。
 どこの殿舎でも朝は忙しいと相場が決まっている。とりわけ王の住まいである大殿や中宮殿は少しの問題もないように朝の配膳を終えなければならず、見憶えのない顔が一人混じっているような気がした程度で、いちいち思い煩っている暇などない。
 中宮殿の女官たちの言い分はもっともといえた。この証言と成女官の言い分は照合した。つまり、明姫こと金淑媛が王妃殺害を企て、女官を使って王妃の朝食に毒を入れたという世にも怖ろしい陰謀が露見・証明されたことになる。
 それが楊尚宮の話した事件の全貌であった。
「私は誓って今回の件に一切、拘わってはいません」
 明姫は背筋をすっと伸ばし、ひと言ひと言を噛みしめるように言った。
 楊尚宮もまた、その視線を逸らすことなく受け止める。一点の曇りもない少女の澄んだ瞳には、理知の光が宿っていた。
―まさに、百年に一人の逸材。このようなお方こそ、国母となるにふさわしき御方であろう。