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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】

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 毎夜、眠りにつく前のひととき、或いはふと目覚めた夜半、どれほどの涙を流したことか。自分の愛してやまない良人が他の女を抱いている場面を思い浮かべては、気も狂いそうなほどの嫉妬と哀しみと絶望を味わった。
 王に向かって差しのべようとした手はいつも途中までしか動かず、結局差しのべられない。
―あなたに側にいて欲しいのだ。
 そのひと言がどうしても言えなかった。
 最早、王の心が自分から離れ、自分たち夫婦の間が冷め切っているのは知っている。幾ら何をどう言ったところで、自分たちが世の常の夫婦らしくなるのは無理だろう。
 そう、ずっと昔、王妃がまだ嫁いできたばかりの頃は、王も彼女に心からの笑顔を向けてくれたときもあったのだ。あの頃、まだ幼い王は懸命に年上の従姉と仲良くしようとしていた。
 盛大な婚儀を挙げたその夜のことを彼女は忘れないだろう。すべての儀式を終え、大殿の寝所に二人だけになった時、王は大いに戸惑っていた様子だった。無理もない、あのときはまだ十四歳の少年にすぎなかったのだ。色々と知識は授けられていたには違いないが、現実として互いに初めての男女の交わりであったのだから。
 しばらく躊躇っていた王が覚悟を定めたように王妃の手を取り、引き寄せようとしたその瞬間、王妃は
―止めてください。
 と、固い声音で拒絶した。
 もちろん、その裏には十五歳という多感な年齢と恥じらいもあるにはあった。未知の体験ゆえの恐怖もあったろう。
 しかし、王を拒んだ刹那、しまったと後悔もした。幼い頃からくどいほど言い聞かされてきた王妃としての心得の中にはもちろん世継ぎを生むことも入っている。
 父の願いは自分が一日も早く次の王となるべく世子を生むこと。だから、勇気を出して求めてきた王に申し訳ないと思うよりは、父に対して済まないと思った。
 また、たとえ年下で従弟であろうと、相手は王である。その王の求めを初夜の床で拒絶したのだから、王の怒りを受けても仕方のないことだと思った。
 だが、十四歳の国王は怒りもせずに、にこりと笑ったのだ。
―やはり中殿も怖いんだね。実を言うと、私も怖いんだ。こんなことを白状してしまうと、情けない男だと新婚早々嫌われてしまうかもしれないけど。
 身を固くして無言を守り続ける王妃に、王は優しく言った。
―私はまだ十四、あなたは十五だ。焦らなくても、お互いがその気持ちになるまでゆっくりといこう。
 その夜、王は王妃と並んで横たわり、色々な話をした。血縁的にも従姉弟同士だったし、婚約は内定していたも同然だったから、幼い頃から互いに何度か顔を合わせていて知らない間柄ではなかった。
 それでも、二人だけで話をしたことはなく、王は初夜の床で初めて無邪気に様々な話をしてきたのだ。だが、結局、王妃は何も応えず喋らなかった。
 そんな夜がどれだけ続いたことか。その二年後、二人は夫婦として結ばれることになったが、それでも、二人の間は変わらなかった。その頃からだろうか、王の態度や視線が眼に見えて冷たくなったのは。
 当然だろうと思う。話しかけても微笑みかけても、何の反応も返さない女など一緒にいても面白くも何ともないだろう。
 だが、自分はけして王を嫌いだから、応えなかったのではない。逢えば逢うほど好きになっていったから、余計に話せなくなったのだ。彼女が身につけさせられたお妃教育の中に、恋愛したときの方法は入っていなかった。
―好きな男に見つめられたときは、どうすれば良い? 愛してやまない良人に話しかけられときには、どう応えれば良い?
 考え出すと余計に口は鉛を飲み込んだように動かなくなり、所在なさに取り澄ました表情を浮かべて、つんと顎を逸らしているしかなかった。
 もし仮に王妃の側にいる誰かが、そんなときはただ国王に?好き?と自分の気持ちを正直に伝えれば良いと彼女に教えていたなら、若き王と王妃の関係は随分と違っていたものになっていたはずだ。王妃の不幸は身近にそういったことを教えてくれる存在がいなかったことだった。
 ただ素直になって男に恋情を伝えれば良いと王妃は知らなかった。
 だが、どれだけ良人を他の女に奪われようと、これまでは辛抱できた。というのも、国王が本気で愛した女はいなかったからだ。自分はもとより二人の側室たちのどちらも残念ながら王の心を虜にはできなかった。
 側室たちの中の一人、?昭容はたった一度の夜伽で見事に懐妊を果たしたものの、月満ちて生まれた王女は死んでいた。王妃とて自分の立場は十分心得ている。領議政の娘である前に、今の自分は国母であり、王室の存続を最優先させねばならない。 
 最早、自分に王子を生む望みがなくなった今、他の女の腹を借りてでも王の御子を生ませなければならないのは判っていた。ゆえに、?昭容の懐妊については自分なりに理解を示したつもりだ。出産の日を迎えるまで時には?昭容をわざわざ見舞い、滋養のある食べ物を実家から取り寄せて贈ったりもした。
 王の心が昭容にないことは判りきっていたから、何とか平然としていられたのだ。王妃が心から憎むのは、人形のように良人に抱かれ子を身籠もるだけの女ではない。王が心底から愛し、心を傾けた女なのだから。
 ところがである。その王の心を奪った女がついに現れたのである。
 王妃が物想いに囚われていると、孫尚宮が姿を見せた。
「中殿さま。国王殿下がお越しにございます」
 孫尚宮は四十歳ほどで、実家にいる母とさほど変わらない。十五歳で慣れない宮殿に入ってきた日から、陰ひなたなく、まめやかに仕えてくれた。
「あまりお待たせしては、いかがなものかと」
 控えめに言うその表情には、ただでさえ滅多に中宮殿に足を向けない王の機嫌を損じては、余計に足が遠のくのではないかと書いてある。
 今も心底から国王夫妻の仲を案じている様子なのに、王妃は淡く微笑した。
「お通しせよ」
 いっそのこと、帰って貰おうかとも考えた。王を愛しているだけに、その男が自分ではなく他の女をその腕に抱いているのかと思えば憎い。愛しているからこそ、憎しみは余計に募るものだ。
 だが、情けないことに、嫉妬しながらも、反面では誰よりも王を求めているのだから、自分の気持ちといえども、ままならないものだ。今も逢いたいという気持ちと逢いたくないという気持ちが複雑に入り乱れている。
 ほどなく若き国王が部屋に入ってきた。孫尚宮は気を利かせて、すぐに下がってゆく。
「中殿は何をしていたのだ?」
 王は機嫌良く部屋に入ってくる。王妃は立ち上がり、一礼して王を迎えた。王が座椅子に座るのを見てから、自分は斜め向かいの一歩下に座る。
「お珍しいこと。殿下が私の許にお越し下さるとは」
 実は昨夜、寝所で明姫に
―少しは中殿さまや他のご側室たちの許にもお行きくださいませ。
 と懇願されたという経緯があったのだけれど、流石にそんな馬鹿げたことを口にはしない。
「たった今、食事を終えたところにございます。?内訓?でも読もうかと思っておりました」
 これは事実をありのままに口にすると、王は破顔した。
「そなたほど教養の備わった女人であれば、今更?内訓?など読まずとも良かろうものを」