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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】

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 明姫の許を訪れた時、たまに思い出したように小花の様子も見にいった。相変わらず、人懐こい犬は彼を認めると、尻尾をちぎれそうなほど振り立てて歓迎の意を表した。
 彼は寄ってくる小花の頭を撫で、ついでに咽を撫でてやると気持ち良さげに眼を閉じて、されるがままになっていた。
―国王殿下は和嬪さまだけでなく、その愛犬にまでお甘い。
 などと陰口をたたかれる有様であった。本当はもっと頻繁に顔を見せてやりたかったのだけれど、国王自らが現れると、世話係の若い女官は気の毒なほど狼狽える。
 それに気が引けて間遠にはなっていたものの、けして小花を疎んじていたわけではなかったのだ。
 ユンは心の中で今はいなくなった愛犬に呼びかけた。
―お前は生命がけで明姫を守った。犬のお前にできたことが私にはできるだろうか。
 それはまた彼自身に問いかけた言葉でもあった。
 
 その夜、ユンのお渡りはなかった。明日から数日の行程で郊外の治水工事の様子を視察に行くのだ。そのため、翌朝は早くに都を発つとあって、明姫の方から夜伽は辞退した。
―つまらぬな。しばらくそなたの顔を見られないのだから、共に名残を惜しみたかったぞ。
 ユンは明姫の唇に軽く触れるだけの口づけを落とし、悪戯っぽく笑った。
―これだけにしておかないと、私の方が我慢がきかなくなりそうだ。
 と、明姫を赤面させる科白を残していった。
 夕刻訪れたユンと少し早めの夕餉を取り、彼は早々に大殿に帰っていった。
 ユンが帰った後、ヒャンダンが明姫お気に入りの石榴茶を淹れた。普通はお付きの尚宮と一緒にお茶など飲まないものだが、ヒャンダンは特別である。ユンの来ない夜はいつもヒャンダンが淹れた石榴茶を二人で他愛ない話をしながら、ゆっくりと愉しむのが日課となっている。
 大抵は王のお渡りがあるので、普通は午前中か昼下がりに愉しむことが多い。
「ところで和嬪さま、お話があるのです」
「なあに?」
 明姫は両手に持った茶器を包み込むようにして、ゆっくりと回す。透明な美しい液体は紅玉(ルビー)のようで、これがほんのりとした甘みがあって美味しい。
 殊にヒャンダンの淹れる石榴茶は格別であった。
「先ほど国王殿下からもお話があったと思うのですが」
 腑に落ちないような表情の明姫に、ヒャンダンはいつになく歯切れ悪く続けた。
「この度は宮殿の外でご出産してはいかがでしょう」
「ああ、やっぱり、その話なのね」
 明姫は納得したように頷き、ヒャンダンを見つめる。
「和嬪さまのご出産もいよいよ近づきましたことですし、昨日は私もその段取りなどについて幾つか疑問があり、国王殿下にお伺いして参りました。そのときに話が出たのです。和嬪さまがそのおつもりなら、殿下も別邸でご出産なさるも良いとの御意でおわします」
「―」
 明姫はしばらく押し黙り、ヒャンダンを見た。ヒャンダンの視線がわずかに逸れたところで、次の言葉を続ける。
「それはおかしいわね。もし出産について相談事があるのなら、殿下にではなく、私の方に訊ねるべきではないの?」
「和嬪さまは大切なお身体です。些末なことでお心を煩わせてはと殿下にご相談申し上げたのです」
 明姫は微笑んだ。
「そんなに気を遣わなくても良いのよ。何も初めてのことではないのだし」
「いえ、お腹の御子さまは王室にとっても、この国にとっても大切な和子さまです。ここは用心に用心が必要かと思われます」
 ヒャンダンは熱心に別邸での出産を勧めてくる。
「再入宮されて、もう二年になります。その間に、和嬪さまの御身には様々なことがありすぎるくらいありました。この度は別邸でご出産なさり、産後もしばらくはのんびりとなさってお子さまと水入らずで、そちらでお過ごしになってもよろしいのでは?」
 明姫が黙っているのをヒャンダンは良い意味に受け取ったらしい。ここぞひと押しとばかりに、力説する。
「殿下はまたこうも仰せでした。和嬪さまがかねてからお望みであったように、この度お生まれになる御子さまは乳母もつけずに和嬪さまおん自らのお乳でお育てしても良いと」
 明姫は石榴茶をひと口含み、ゆっくりと飲み下す。時間をかけてゆっくりと飲み終えてから、今度は自分が茶器を引き寄せ、茶を淹れる準備を整え始めた。
「まあ、そのようなことは私が致します」
 ヒャンダンが狼狽えるのに、彼女はうっすらと微笑んだ。
「たまには良いでしょ。私のはヒャンダンほど深い味は出ないけれど、今日は私の淹れたお茶も飲んでちょうだい」
 そのひと言にヒャンダンも引っ込み、神妙な面持ちで明姫の淹れた石榴茶を湯飲みごと押し頂いた。
 ヒャンダンが黙したまま石榴茶を飲み終えたときを見計らい、明姫はおもむろに口を開いた。
「私は殿下のお側を離れるつもりはない」
「和嬪さま!」
 ヒャンダンは悲鳴のような声を上げ、慌てて口を押さえた。
 やはり、何かがある。この時、明姫は実感した。小花の不審な死に方といい、ユンとヒャンダンの申し合わせたようなこの話といい、あまりにも不自然だし、できすぎている。
 先刻、訪れたばかりのユンもいやに熱心に別邸での出産を勧めてきたが、もとより、明姫は丁重に辞退した。そのときはまだ、何故、彼がそこまで宮殿の外での出産に拘るのか理解できなかった。
 が、今のヒャンダンの話とユンの勧めは申し合わせたかのように一致する。やはり、自分の知らないところで、二人が何事かを相談し合って決めたのだろう。
 もしや小花の死は病ではなく、何か他のことが原因だったのではないか。恐らくは毒殺に相違あるまい。身重の自分に衝撃を与えまいと二人とも黙っているのだろう。
 小花は哀れにも、自分の身代わりとなって死んだのだ。今回は小花が犠牲になったが、今度はそれだけでは済まない。見えない敵は明姫にそう警告している。 
 だからこそ、毒殺の危険性は伏せて宮殿を出て、どこか安全な場所で出産せよと勧めているのだ。
 明姫は微笑み、静かな声音で告げた。
「殿下とそなたの気持ちはありがたいけれど、ここを離れる気はないの」
 二人が自分に打撃を与えないようにと気を遣ってくれているのなら、やはり、ここは真相には気づかないふりを通す方が良い。
「たとえ殿下のご命令であろうと、私は宮殿を去るつもりはないのよ」
 明姫はもう一度繰り返し、ヒャンダンをじいっと見つめた。そして、この刹那、忠実無比な尚宮は悟ったのだ。
 和嬪さまは既に小花が毒殺されたことをご存じなのだ! 考えてみれば、明姫ほどの聡明な女性が小花のあの酷(むご)い死に方に不審を抱かない方がおかしい。所詮、この方の前では隠し通せることではなかったのだ。
 自分が甘すぎたのだとヒャンダンもまた思い知らされた瞬間だった。
―あなたの気持ちは嬉しい。でも、私の居場所は宮殿にしかない。
 明姫は想いのたけをこめてヒャンダンを見つめる。そして、ヒャンダンも明姫の気持ちを正しく理解した。
―それで本当によろしいのですか、和嬪さま。このまま宮殿に居続ければ、遠からず怖ろしいことが起こるような気がして、私は不安でならないのです。
 ヒャンダンの視線が問いかけてくるのに対して、明姫はゆっくりと頷いて見せた。