何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】
あまり率直に訊きすぎるのもどうかと思うが、この場合、あれこれと言葉を弄しても意味がないと思えた。その傍ら、ユンを怒らせるようなことを自分が何かしてしまったかを色々と考えてみる。
と、突如として強い力で抱き寄せられ、明姫は眼を見開いた。
「殿下?」
「何故、私に言わなかった?」
そのひと言で、明姫は彼が何を言いたいかを理解した。今回の件をあれほど口止めしておいたのに、ヒャンダンがユンに報告してしまったに違いない。
「洪尚宮より聞いた。このような事件が起こったのは、何も初めてではないというではないか。何故、最初の事件が起きたときすぐに、私に話さなかった?」
「殿下、お言葉を返すようですが、最初の件は何も事件というほどのことはありません。いちいち騒ぎ立てるほどのこともないと判断して、殿下にはお話ししませんでした。ただ褥に鼠の死骸がうち捨てられていただけのことで―」
言いかけた明姫の背に回ったユンの手に力がこもった。
「愚か者! 誰がわざわざ、そなたの眠る布団に鼠を棄ててゆくものか。誰かがわざと置いていったのだ」
「それは判っております。されど、何も大仰に騒ぎ立てるほどのことではないと」
「洪尚宮はその折、そなたに申したと言っておったぞ。初回は子ども騙しの悪戯で済んだが、次回もそれだけで済むとは思えないと言うたそうではないか」
「それは」
明姫はうなだれた。そのことを指摘されては、返す言葉もない。確かにあの時、ヒャンダンは衷心から勧めたのだ。ユンにすべてを話して、悪戯程度で済む中に事をおさめた方が良いと。しかし、その意見に耳を貸さなかったのは自分だ。
明姫が黙り込んだのを見て、ユンの厳しい声音がやや和らいだ。
「明姫、私は何もそなたを叱っているのではないぞ。事を不必要に荒立てたくないと思うのは、いかにもそなたらしい心遣いだし、私に余計な心配をかけまいとしたのもそなたらしい。だが、私がそれで歓ぶとでも思ったか? そなたの身に危険が及ぶと知りながら、手をこまねいている方が私は本意だと?」
「申し訳ございません。私の浅虜でした」
明姫は消え入るような声で言った。
「私にとって、そなたは宝ぞ。それほどに大切だと思っている女を私が守りたいと思うのは当然であろう。それとも、そなたは私が惚れた女一人守れぬ甲斐性のない男だと思うているのか?」
明姫は黙って首を振った。ユンが深い吐息をついた。
「別に私は怒っているわけではない。ゆえに、そのように怯えるな。身重のそなたの食する膳に今朝、針が仕込まれていたと洪尚宮から聞いたときは、自分の心臓に針を突き立てられたような心地がした。本当に生きた想いがしなかったのだ。もし、その時、そなたが気づかずに膳のものを食べていたらと考えただけで、身体中の血の気が引いた」
ユンは明姫を閉じ込めていた腕を放し、あたかも兄が妹にするようにその髪をくしゃりと撫でた。
「ここに来る前、監察部に命じて、後宮内での今回の不祥事について逐一明るみにするようにと言ってきた。事が監察部だけで手に負えぬときは、義禁府を動かしても良いと考えている」
そのために、明姫の許に来るのが遅れたのだろう。
「殿下、それはあまりに事が大きくなりすぎるのでは」
明姫が遠慮がちに言うと、ユンは笑った。
「まったく、強情というか何というか。今のそなたは他人の心配などしている場合ではないぞ。ウンが亡くなったとはいえ、そなたは世子の母だ。仮にも一国の世子の母を狙うなど、この私の生命を狙うも同じではないか。そのような不埒な輩は必ずや探し出して、厳罰に処してやる」
二度と、そなたを危険な目には遭わせぬ。
ユンは耳許で囁き、明姫を抱き寄せた。
「それにしても、何ゆえ、罪なきそなたばかりが狙われるのだ」
ユンの表情も口調もすべてが苦渋に満ちていて、明姫は堪らなかった。自分という存在がユンを、大好きな男を苦しめているという自覚を嫌というほど認識させられていた。
ふいに、彼女の口から小さな呟きが洩れた。
「この頃、私はよく考えるのです。私は殿下を苦しめるだけの存在なのかもしれないと」
それはよくよく注意して耳を傾けていなければ聞き落としてしまうほど些細なものだったけれど、ユンが聞き逃すはずもなかった。
「何という哀しいことを申すのだ。そなたは私の宝だと何度言い聞かせたら、理解するのだ? 宝を失って歓ぶ者が一体、どこにいる? 私にしてみれば、そなたがそのようなつまらぬことで悩んでいる様を見る方がよほど辛く情けない」
ユンの心からの言葉に、明姫は瞳を潤ませてユンを見あげた。
ああ、大好きな男(ひと)、私が生涯を捧げて悔いはないと思った、たった一人の方。
そのひとが今、哀しみに満ちた眼で自分を見つめていた。
「それとも、そなたはこれほどまでに私が申しても、まだ私の言葉が信じられぬか?」
「いいえ、数ならぬ身にありがたいお言葉だと思っております」
心からそう思う。自分のように綺麗でもなく、取り立てて何もない平凡な娘をどうしてユンがここまで愛してくれるのか、明姫はいまだに判らない。もっとも、その自分の数々の美徳を意識していないところがユンを惹きつけてやまない最大の要因だと明姫は多分、ずっと知ることはないだろう。
ユンが苦笑めいた笑いを刻み、明姫の頬をつついた。
「今は二人きりの寝所だ。そのように他人行儀な言葉遣いはかえって息苦しい。昔のように、集賢殿(チッピョンジョン)の学者として接してくれ」
「殿―」
言いかけて、明姫はハッと口をつぐんだ。
「ユン」
吐息のように零れ落ちたその言葉に、ユンが待ちかねたように明姫を引き寄せ、その唇を塞いだ。最初は蝶の羽根が掠めるような軽い口づけを繰り返す。
触れるだけの口づけに我慢できなくなったのか、彼は明姫の唇を舌でなぞり始める。上唇から下唇にかけて、まるで紅を塗るように男の舌が動く度に、濡れた音が響く。
ユンの舌が忙しなく行ったり来たりするにつれて、明姫の唇から艶(なま)めかしい吐息とも喘ぎ声ともつかないものが零れ落ちる。己れの声にすら感じて、快感が四肢を駆け抜ける。
さながら艶めかしい吐息は深い漆黒の夜をつややかに彩る薄紅の花びらのようにしじまを舞い、ゆっくりと溶け込んでゆく。
いつものながらのユンの巧みな愛撫は明姫の身体の各所に小さな火を点してゆく。やがて、その小さな火は一つの燃え上がる焔となり、明姫は翻弄され尽くし、身体ごと我を失うほど快楽に溺れさせられ、官能という大きな焔に灼き尽くされる。
いつしか明姫はやわらかな絹の褥に押し倒されていた。気がついたときには、仰向けになった体勢で立てた両膝をはしたないほど割り開かれている。
「ユ―ン?」
まだ忘我の境地にさすらっている夢見心地の声で呼んでも、いらえはない。明姫はぼんやりした意識を無理に覚醒させ、上半身を起こそうと微かに身じろぎした。
「駄目だ、そなたはこのままでいろ」
まだ焦点の合わない眼に、ユンの悪戯っぽい笑顔が映った。随分と機嫌が良さそうだ。
作品名:何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】 作家名:東 めぐみ



