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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】

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 その上から白い夜着を着せかけられ、更にうっすらと化粧を施されて支度が完了となる。いつもは後頭部で一つに纏めた長い漆黒の髪を横で一つに編んで垂らした姿に白い夜着を纏う。まさに可憐な白鷺が川辺に舞い降りた風情か、ひっそりと開いた白百合のようだ。
 ヒャンダンは今更ながらに、我が主人のその可憐で儚げな美貌に眼を瞠る。
―お子をお生みになってからの和嬪さまはますます美しくなられた。
 まさに?傾国の美?と讃えられても仕方のない美しさだ。最近、年若い国王があまりに明姫に夢中なので、巷では和嬪の色香に溢れんばかりの美貌を評して?傾国の美貌?というそうな。
 もちろん、明姫に仕えるヒャンダンとしては、あまり嬉しくない形容ではある。傾国とは国を傾けるとの意味で、端的にいえば亡国の兆しともいえる。しかし、明姫は別に政治に口出ししたことはないし、身内を高官に取り立てて欲しいと閨の中でねだりごと一つしたこともないのだ。
 更に実のところ、明姫には官職につけるような身寄りもいない。実家である崔家には祖母のクヒャンがいるだけだ。
 また、国王自身、幾ら明姫に心を奪われているからといって、政をなおざりにしてはいない。会議や政治に支障は一切出ていないのである。
 ならば、何故、明姫の美しさがそのように例えられているかといえば、やはり、一国の王の心をそこまで射貫いたその麗しさが人々の興味をつきることなくかき立てているのだともいえた。
 しかし、現実の明姫はどちらかといえば派手やかな美貌ではない。強いていえば、ひっそりと花咲く一輪の花のような可憐さを備えている。もちろん、美しいことに変わりはないけれど、恐らく巷の人々が思い描いているような―かの唐の玄宗皇帝が熱愛したという楊貴妃のような肉感的な美女とは違うだろう。
 聖君(ソングン)と呼ばれる英邁な国王を骨抜きにし、籠絡した傾国の美女、和嬪金氏の名はその頃、宮廷だけでなく都中で囁かれるようになっていた。時に明姫はユンとめぐり逢って六年目を迎え、二十一歳になっていた。その美しさはまさに咲き誇る花を思わせ、国王に一心に愛される稀有な女性の存在は国中の民の羨望の的であり、興味を集めた。
 明姫に関する噂は様々な憶測が語られ、大方は先述したように唐の楊貴妃の触れなば落ちん風情の艶な―俗にいえば男好きのする美女を人々は勝手に思い描いていたのである。恐らくは?傾国?というイメージもそこから来たものに違いない。
 事実はまさに相反するものであったが、まさに、明姫はその頃から既に生きながら伝説と化していたような感があった。
 身支度を整え、後は王のお渡りを待つばかりとなった時、明姫は鏡を覗き込んでいた。明姫とて、そこはやはり女である。恋しい男には少しでも綺麗だと思って欲しい。そんな純粋な女心で鏡台を覗き、いささか濃いすぎる紅を指先で拭ったそのときであった。
 折角ヒャンダンが丹念に塗ってくれたのだが、派手な化粧は元々好きではないし、自分の顔立ちには似合わないのは知っている。
 明姫は下の者にも気遣いを忘れない。そっとヒャンダンを窺うと、どうやら忠実無比な女官は褥の方で何やらしている。几帳面な彼女のことだから、皺が付いているとか、埃でも気にしているのだろうか。今の中に紅をそっと落としておこうと、明姫は手早く懐紙で唇を拭いた。
 寝室には夜具が整然とのべられている。今宵、国王と明姫が一夜を過ごす絹の豪奢な褥である。今、ヒャンダンは跪き、熱心に何かを見つめているようであった。
 と、たまぎるような悲鳴が静寂をつんざいた。
「ヒャンダン?」
 明姫は慌てて立ち上がり、ヒャンダンに近寄った。お腹が大きいため、走ることはできないのだ。
「どうかしたの?」
「和嬪さま(マーマ)、お褥に鼠が」
「え?」
 明姫は小首を傾げ、ヒャンダンの手許を覗き込んだ。ヒャンダンの視線を辿れば、絹の褥は掛け衾(ぶすま)がめくられ、敷き布団が見える状態だ。肝心なのは、その敷き布団の上に何か小さなものが転がっていることだった。
「わ、私、自慢にもなりませんが、眼があまり見えないもので。最初は何か判らなかったのです。でも、よくよく見ると」
 ヒャンダンは真っ青で、今にも倒れそうだ。明姫は落ち着いた態度で敷き布団に転がっているそれをつまみ上げた。
「和嬪さま」
 哀れなヒャンダンは蒼白で震えている。明姫は意外に思いながらも、怯え切っている彼女に微笑みかけた。
「大丈夫よ、ただの鼠の死骸じゃないの」
「たっ、ただの鼠の死骸だなんて。和嬪さまは平気なんですか!?」
 彼女らしくもなく、完全に声が裏返っている。
「ふふ、ヒャンダンは知らないでしょうけど、入宮するまでは近所の男の子たちと外を駆け回っていたくらいのお転婆だったのよ、私。だから、鼠の一匹や二匹は全然平気」
 流石に女官見習いとして後宮入りしてからは、そんな地を出すのははばかられた。明姫は素性を隠して女官となったが、今、後宮で重きをなしているやり手の崔尚宮は血の繋がった伯母である。
 入宮した当時、明姫は伯母から行儀作法を嫌というほどたたき込まれた。歩き方からしゃべり方までいちいち注意され、挙げ句には物憶えが悪いと鞭で打たれたものだ。ただでさえ淑やかさに欠けると言われ続けていたのに、伯母の前で地を出したとなれば、鞭打ちの回数は更に増えていたことだろう。
「可哀想に、迷い込んで死んでしまったのね」
 明姫は独りごちると、鼠を手巾に包み、別の女官を呼んだ。その者に事情を話し、鼠が平気かどうか確認した上で隠密裡に棄ててくるようにと命じた。
 しばらくヒャンダンも明姫も言葉はなかった。次第に密度を増す沈黙を先に破ったのは明姫の方であった。
「しっかり者のヒャンダンが鼠が苦手だなんて、意外だわ」
 しかし、当のヒャンダンはまったく別のことを言った。
「和嬪さまは本当に鼠がここに迷い込んで死んだとお思いですか?」
「―」
 明姫は応えない。ただ一点を見つめているだけだ。ヒャンダンが重ねて言った。
「私にはどうしてもそうは思えません。ただ迷い込んで死んだのなら、どこか別の場所でも良かったはずなのに、よりによって和嬪さまが国王さま(サンガンマーマ)とお過ごしになるお褥の上に鼠の死骸があるなんて、あまりにもできすぎています」
 しかも、死骸は掛け布団の下に巧妙に隠してあった。あれでは、王と和嬪が夜を過ごすために床入りした時点でなければ、気づかない。つまり、そうなるように誰かが仕掛けたのだ。 
 ヒャンダンが気づいたから良かったようなものの、見過ごしていたら、流石の明姫もユンの腕の中で甘く蕩けるどころではなく、その前に悲鳴を上げていたことだろう。
 明姫はなおも無言であったが、ややあって、小さく息を吐いた。
「ヒャンダンは誰かがわざと仕向けたことだと言いたいのね」
「私でなくとも、この状況であれば、誰もがそう思うことでしょう」
 ヒャンダンはきっぱりと言う。明姫は哀しげに微笑み、首を振った。
「確証のないことは言えないし、言うものではないわ、ヒャンダン」
「まさか、王妃さまが―」
 ヒャンダンが呟くのに、明姫は鋭い声で一喝した。