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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】

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「申し訳ありません。折角、蘊(ウン)を授かりながら、あのようなことになってしまいまして、お詫びのしようもございませぬ」
 明姫の沈んだ声音に、ユンは真顔で首を振った。
「何を言うのだ。ウンが天に召されたのは、何もそなたのせいではない。哀しいことだが、あの子の天命がそのように定まっていたのだ」
 ユンは手を伸ばし、明姫の手を取る。その重なり合った手をまた明姫のお腹へと当てた。
「ウンはあのようなことになってしまったが、我らには再び子が授かった。ゆえに、そなたももう過ぎ去ったことは忘れ、今は無事に子を産むことだけを考えよ」
「はい、殿下」
 明姫は素直に頷いた。また、腹の子が元気よく腹壁を蹴る。ユンに告げたのは満更、嘘ではない。胎動が判るようになったのはもう二ヶ月も前のことだけれど、日毎に強くなるそれは時として痛みを憶えるほど強いものになりつつある。
 早いものだ、ウンが亡くなって、もう三ヶ月にもなるのか。
 明姫は今更ながらに、日々の流れる速さを思わずにはいられない。我が子が亡くなっても、歳月は哀しみをあっさりと飲み込み、飛ぶように過ぎてゆく。
 よく時は忘れ薬だといわれるけれど、今のところ、わずか三月(みつき)で愛盛りのウンを失った哀しみは癒えるはずもなく、むしろ日を経るごとに愛児の様々な表情や愛らしい仕種を思い出し、涙さしぐまれることの多い明姫であった。
 観玉寺から宮殿に迎えられた明姫はその年の十一月に男児を出産した。即ち直宗の第一王子となる李蘊(イ・ウン)―恭誠君(コンソングン)である。その一ヶ月後には、早くも生後一ヶ月のウンが立太子して世子(セジヤ)となり、更に二ヶ月後には世子の生母である功績を讃えられ明姫は淑儀(スゥクギ)から正一品嬪の位に進んだ。
 嬪は中殿(王妃)に準ずる立場で、側室としては最高位である。これで、ユンの後宮には温嬪(オンビン)、賢嬪(キヨンビン)の他に明姫も含めて三人の嬪が並び立つことになる。とはいえ、後二人の側室たちは御子もいない現況では、世子である明姫の立場が筆頭であり、別格であることは周知の事実だ。
―穏やかで争いを好まぬ明姫にはふさわしかろう。
 ユンのそのひとことと共に、明姫には?和嬪(ファビン)?の職名が贈られた。
 国王にただ一人の女人として一身に寵愛を受け、今また世子の生母となった―、明姫の立場は中殿すら凌ぐほどの強固なものとなった。
 しかし、当の明姫は和嬪と呼ばれ、世子の生母になっても、まったく変わらなかった。格上であり後宮の長である王妃に日毎の挨拶は欠かさない。また、乳母に抱かせた世子を毎日、中宮殿に連れてゆき、その成長ぶりを報告するのも怠らなかった。
 王妃もまたよく出来た人である。そんな王妃とて人間だから、他の女に良人の子ができて手放しで嬉しいはずもないのに、嫌な顔一つ見せず、いつも慈愛に満ちた母の貌で幼い王子を迎えた。王妃をはばかり、世子を連れてゆく時、明姫はついてゆかない。
 王妃は保母尚宮が連れてきた世子を嬉しげに抱き取り、時には自ら抱いて庭を散策したり、離乳食の始まった王子に手ずからお粥を食べさせたりした。
―まるで、ご自分のお生みになった御子を抱いておられるようだ。 
 お付きの尚宮たちが囁き合うほど、幼い世子を愛おしむその様子に、明姫もまた自然と王妃に頭が下がる想いで一杯だった。
 ウンの誕生を境にそれまでどこか侘びしげだった中宮殿は活気に包まれ、殊にウンが訪れたときなどは王妃の居室からは笑い声が絶えなかった。
 心中はどうあれ、王妃と明姫がそんな様子だったから、後宮には波風一つ立たず、平穏そのものであった。五年前に第一王女を上げ、儚く失った温嬪はいまだに正気を手放したままだし、時の権力者領議政(ヨンイジョン)の養女として鳴り物入りで入内した賢嬪は王のお召しもなく、御子のおらぬまま鬱々として過ごしている。
 幼い世子が乳母に連れられてくると、普段はひっそりとした中宮殿が俄に色めき立つ。王妃も必ず一日に一度は訪ねてくる王子の顔を見るのを心待ちにしており、やって来た王子を腕に抱き、幾度も頬ずりするのだった。
 時には王が偶然、その場に遭遇することもある。
―そなたの父上(アボジ)と母上だ。父上(アバママ)、母上(オバママ)と呼ぶのだぞ。
 まだ物も言えない赤児に真剣に話しかける王に、美しい王妃が世子を抱きながら微笑む。
―殿下、世子はまだ生後半年にございます。幾ら何でも早すぎましょう。
―しかし、中殿(チュンジョン)。私はこの子の愛らしい口から一日も早くに?父上?と呼んでみて欲しいのだ。
 美しい王と王妃が幼い世子を囲んでの微笑ましいやりとりを繰り広げるのに、お付きの尚宮や女官たとも安堵したように顔を見合わせる。
 それまで冷淡であった王と王妃の夫婦仲は、かえってこの頃の方が和やかで夫婦らしくなっていた。側室に御子が誕生したせいで、王と王妃の仲が睦まじくなるというのも奇妙な話ではある。
 中宮殿での様子はすべて女官を通じて、明姫にも伝わった。明姫の第一の側近である洪尚宮などは
―これでは、世子邸下(チョハ)のお母君さまは中殿さまか和嬪さまか判りません。ぼんやりとなさっていては、世子邸下を王妃さまに取られてしまいますよ?
 などと歯がみしている。しかし、当の明姫はおっとりと笑っているだけだ。
―良いのよ、洪尚宮。ウンは確かに私の生んだ子だけれど、私だけの子ではないわ。世子となったときから、あの子の表向きの母は中殿さまでいらっしゃる。また、中殿さまのお子として育つ方があの子の将来にとってもはるかに幸せなの。だから、中殿さまがウンを我が子同然に可愛がって下さるのを私はとてもありがたいことだと思っているのよ。
―相変わらず和嬪さまはお人が良すぎます。
 洪尚宮はまるで我が事のように本気でやきもきしている。
 観玉寺まで明姫を慕って付いていった女官香丹(ヒャンダン)は今、明姫付きの尚宮となっている。キャリアの女官になりたいのだという夢を叶え、ヒャンダンは毎日、水を得た魚のように生き生きと立ち働いていた。やはり、ヒャンダンには都から遠く離れた山寺よりは後宮女官としての暮らしが性に合うらしい。
 王妃と国王の寵妃は互いに立場を理解し合い、後宮も穏やかであり、問題は何もなかった。更に早くも第一王子を出産後七ヶ月で、明姫は国王の第二子を懐妊した。世子もすくすくと育っていて、明姫はまさに幸福のただ中にいた。―と思われたそんなある日、不幸は突然に彼女を見舞った。
 生後十一ヶ月のウンが痘瘡にかかったのである。医療技術がまた未発達であった当時、この怖ろしい病で生命をあえなく落とす子どもは多かった。宮廷医どころか都でも名医として知られる小児科の医師たちが集められ治療に手を尽くしたものの、ウンの幼い生命の焔は燃え尽きた。
 この時、明姫は妊娠四ヶ月になっていた。そのひと月前に懐妊が判明したばかりで、身重の身体が痘瘡に感染しては一大事と病床の我が子の側にも近寄ることは許されなかった。
 痘瘡が死に至る可能性の高い病であると判っている以上、王の第二子を身籠もっている明姫の存在は最優先されるものであった。