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何でも、あなたに恋をする~後宮悲歌【ラメント】Ⅳ

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 後宮では国王夫妻の仲はかなり前から修復不可能なほど冷え切っているといわれてきた。だが、今日、遠巻きに拝する二人は、寄り添い合い、王が話しかける度に王妃は美しい面に眩しい微笑みを浮かべて頷いている。どこから見ても似合いの美しい一対の夫婦ぶりであった。
 そんな姿を見るにつけ、やはり噂ほど当てにならないものはないと思えてくるのだった。
 もちろん、その気持ちの中には、ほんの少しだけ羨ましさも混じっている。明姫には今、ユンという恋人がいる。しかも、その恋人とは既に将来を誓い合った仲だ。ずっと彼の側にいられるようになりたい。今のように人眼をはばかって逢うのではなく、晴れて皆に認められて堂々と逢いたい。
 この上なく似合いの国王夫妻の姿は、明姫にその一抹の淋しさと憧れを抱かせた。
 掌楽寮の楽団が得も言われぬ調べを奏でる中、宴は和やかに進んでいった。宴もたけなわになった頃、王妃が大妃に言った。
「母上さま(オバママ)、このお庭の牡丹は殊に見事にございますね。これだけの牡丹が一度に咲き揃うと、流石に圧倒されます。まさに天上の楽園を見る心地です」
 姪にして嫁の王妃は、大妃にとって息子である王の次に可愛がっている存在である。その王妃に褒められ、大妃は上機嫌であった。
「中殿は、本当に口がお上手だこと。天上の楽園とはいささか褒め過ぎではありませぬか、主上(サンガン)」
「いいえ、もし真に天上の国があるというのなら、その天上の園も母上のこの牡丹園には及びますまい。それほどの眺めにございます」
 王は秀麗な面に穏やかな微笑みを浮かべ、妻の傍らに座した大妃に応える。
 すべてが茶番ではあるが、王、王妃、更に大妃といずれもが演技達者な役者だ。このような宴はつまらぬと態度に露骨に出し、その場をしらけさせる者はいない。
「ホホ、主上も中殿に劣らずお口が上手い。流石は夫婦、夫唱婦随で美しい」
 大妃は鷹揚に頷きながら、満足げな面持ちで庭園をひとしきり眺めた。庭には品種の違う牡丹が数えきれぬほど植わっており、それらが皆、一斉に咲き乱れている。あながち天上の楽園と王妃が称したのもお世辞ばかりともいえないだろう。
 と、大妃が突然、思い出したように言った。
「そのように気に入ったのであれば、中殿、幾つかお持ち帰りになると良い」
 その言葉に、真実はどうか判らないが、王妃が白皙の面を輝かせた。
「さようにございますか。母上さまのお心遣い、嬉しうございます」
 大妃は後方に控えていた尚宮を手で差し招いた。
「あそこのとりわけ見事に花開いておる牡丹を数本伐らせ、中殿に差し上げるのだ」
「かしこまりました」
 尚宮は恭しく頭を下げ、すぐに女官に大妃の命を伝えた。大妃が指定したのは、庭園の入り口近くに咲いている牡丹であった。国王夫妻たちからは最も離れた一角である。
 そして、そのすぐ側には明姫が控えていた。明姫もまた、急きょ宴の手伝いに駆り出された一人だったのだ。宴が始まるまでは、酒肴の支度や配膳に大わらわで時間が過ぎたが、今は忙しさもひと段落ついた。こうして、やんごとない方々と共に花を愛でる余裕もある。
 もちろん、その間も常に何か急な用事はないかと注意を怠ってはいなかったけれど。
 尚宮に命じられた女官は入り口近くまで駆けてきて、丁度その場所にいた明姫に声を掛けた。
「大妃さまがこの一角の牡丹を伐って中殿さまに差し上げるようにと仰せだ」
 格上の先輩女官なので、当然ながら物言いも横柄である。大妃殿や大殿で働く尚宮や女官はやはり他部署の一般の尚宮・女官たちと比べると、気位が高い、自分たちは上宮に仕えているという意識が強いのである。
「判りました」
 明姫は頷くと、すぐに鋏を持ってきて牡丹を伐った。とりわけ見事に咲いている牡丹だけを選ぶ。緋色も濃く花も大ぶりなので、数本束ねただけで豪華な花束になった。
 その花束を恭しく捧げ持って上座に向かう。もちろん、今も演奏をしている楽団の背後を回って人眼につかないように移動しなければならない。
 いよいよ国王夫妻や大妃の側近くまで来たときのことだった。数本の牡丹の中の一つから、ポトリと花が落ちた。
「―!」
 明姫は息を呑んだ。
 周囲にいた女官たちも異変に気づき、ひそひそと囁き始める。大妃の後ろに控えていた女官―明姫に花を摘むようにと依頼した―がまず眼を瞠り、その前にいた尚宮に事の次第を耳打ちした。
「何と、中殿さまに献上する牡丹の花冠が取れたと?」
 とんでもない失態である。国王夫妻や大妃に知られる前に極秘裏に処理しようと動き出そうとしたまさにその時、大妃が尚宮を振り返った。
「中殿に差し上げる花はまだか?」
「は、はい。ただ今」
 尚宮は色を失い、傍らの女官に小声で告げた。
「花冠の取れた花を大妃さまにお見せしてはならぬ。すぐに持ち去り、できるだけ早く代わりの花を用意してくるのだ」
「どうした、何か子細があるのか?」
 しかし、大妃も鈍くはない。振り向いた大妃の眼がスウと細められた。美男で知られる国王によく似通った切れ長の眼(まなこ)が妖しく光る。
「その花束を見せよ」
 尚宮の咽からヒュッと息が洩れた。万事休す! その場の誰もが一様にそう思った。
「聞こえぬのか。その花束を見せよと申しておる」
 その言葉がそも誰に向けられたのかは一目瞭然であった。一同の視線が一斉に明姫に集中する。明姫はその場に立ちすくんだ。あたかも皆の視線が同時に自分に突き刺さってくるような恐怖と圧迫感を憶えた。我知らず身体が震える。
「いかがしたのだ、お前は耳が聞こえないのか? 手に持っている花を見せろと申しているのだ」
 大妃が苛立ったように甲走った声を上げた。
 最早、これまでと観念したらしい。尚宮が明姫に言った。
「大妃さまにお見せしなさい」
 はい、と、明姫はか細い声で応え、両手に捧げ持った花束を前方に掲げた。それは少し離れた場所に座る大妃からも、はっきりと見えた。
 忽ち大妃の顔色が変わった。
「これは、いかなることだ! 中殿に差し上げる花に、何ゆえ、花がついておらぬ」
 尚宮がその場に平伏した。
「申し訳ございません。私の失態にございます。どうぞ私を死刑に処して下さいませ」
 尚宮の側で、明姫もくずおれるように座り、手をついた。
「私はそなたに訊ねておるのではない。これ、その方、お前に訊ねているのだ」
 大妃が業を煮やしたのか、立ち上がった。
「朴(パク)尚宮、その者をここに連れて参れ」
 朴尚宮が明姫を見た。
「大妃さまがそなたをお呼びだ」
 こうなっては明姫を庇いきれないと咄嗟に判断したのだろう。我が身に大妃の怒りが及ばないためにも、明姫の身柄を差し出した方が賢明だと考えたのは間違いなかった。
 朴尚宮に引き立てられ、明姫は大妃の御前に進んだ。その場に土下座させられる。数え切れないほどの人が集まる中では屈辱に相違ないが、自分が犯した失敗がどれほどのものか判るだけに、恥ずかしさや情けなさよりも恐怖の方が大きかった。
「お前は今、自分が手にしている花がどのような意味を持つものか判っておるのであろうな。何故、そのような失態となったのか、それを我らに納得できるように説明するが良い」