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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌【ラメント】~ Ⅲ

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 この時、明姫はよほど伯母にユンとのことを相談してみようかと思った。自分の初恋のこと、相手の男が集賢殿の学者であること、できれば早くに女官を止めてユンと結婚したいと考えていること。
 この伯母以外、ユンとの将来について相談できる存在はいない。
 明姫が口を開きかけた時、崔尚宮が機先を制するように言った。
「そなたが女官の仕事にも飽きて、もう宮殿を下がりたいと思うのなら、それも良かろう。女官を止めて相応の家門の男に嫁ぐというのなら、それでも構わぬ」
「伯母上さま、実は」
 だが、と、崔尚宮はすかさず言った。
「相手の男は分相応でなくてはならない。間違っても、己れの分に合わない相手と添い遂げたいなどと考えてはならぬぞ」
「伯母上さま、それはどういう―」
 今日の伯母の話には理解できないことが多すぎる。明姫は困惑して崔尚宮を見つめた。
 崔尚宮は静かな瞳で姪を見つめ返した。
「私がそなたに言ってやれるのは、ここまで。後はそなた自身が私の話の意味をよく考えて、行動するしかないのだ」
 もう良いから、下がりなさい。そう言われて、明姫は立ち上がった。
「この服は折角の頂きものゆえ、そなたが持っていなさい」
 その言葉に、風呂敷に包み直した衣装を手にして頭を下げる。
「それでは、これにて失礼します」
 もう一度深々と頭を下げて扉を開けた。出てゆこうとしたその瞬間、崔尚宮の声が追いかけてきた。
「そなたは国王殿下とお逢いしたことはあるか?」
 え、と、明姫は立ち止まる。
「いいえ。私のような一介の女官がどうして国王さまのご尊顔を拝し奉ることができましょう。国王殿下にお逢いするなんて、畏れ多いことです」
「そうか」
 崔尚宮は頷き、力尽きたように座椅子に寄りかかった。
「私の言い聞かせたことをゆめ忘れぬように。分不相応な恋だけはするな」
 その真摯な瞳は、こう告げていた。
―今の言葉を忘れたら、生命取りにもなるぞ。
 明姫は頭を下げて部屋の扉を閉めた。
 
 三日後の朝、明姫は再び崔尚宮に呼ばれ、用事を言いつけられた。その内容は公用ではなく、崔尚宮の私用であった。要するに、崔尚宮の実家まで届け物をして欲しいというものだ。
 崔尚宮の実家は当然ながら、今は明姫の実家でもある。
―お祖母(ばあ)さまもお歳ゆえ、どうなさっているか様子を見がてら、これを届けてくれ。
 と持たされたのは、ずっしりと持ち重りのする巾着であった。むろん中を見たりはしないけれど、その固い感触や動かすと中でしゃらしゃらと涼しげな音を立てるところから察するに、玉の装飾品であることは間違いない。
 祖母は六十近くなった今でも、まだ派手好きで、若い娘が着るような華やかな装いをしている。身を飾る装飾品も大好きで、両手指には幾つもの指輪、やや白いものが混じり始めた髪にも数々の簪がきらめいていた。
 そんな祖母のために、伯母はこうやって時々、宝飾品を贈る。仕送りするより、祖母はこちらの方が歓ぶ。また、装飾品であれば、金が入用なときは売れば換金できる。
 流石に後宮でも最高位の尚宮ともなると、一般の女官のように気軽に外出はできない身なのだ。
 また、今日の外出には三日前、渡された衣装―例のきらびやかなチマチョゴリを着ていくようにと命じられた。何故なのか理由も思いつかないまま、明姫はあの華やかな衣装に身を包み、宮殿を出た。
 そこはやはり若い娘のこと、全体的にピンクを基調とした衣装を纏えば、自然に心も弾んでくる。正門を出てしばらく歩いた頃、ふいに後ろから抱きしめられた。
 次いで、男にしてはやわからな手で目隠しをされる。あたかも深い緑陰を思わせるような清々しい香りに包まれたのは、抱きしめてきた男が好んで身につける香りだから。
「―ユンね?」
 すぐに目隠しが外れ、軽やかな笑い声が聞こえた。
「何だ、つまらない。こんなに早くに判るなんて、面白くも何ともないじゃないか」
 言葉とは裏腹に、ユンの顔は機嫌良さそうに笑っている。
「だって、声だってもう憶えてるし、あなたの手の感触だって、匂いだってすぐに判るわ」
「へえ、意外に嫌らしいんだな、明姫は」
「―!」
 かなり失礼な言い方をされ、明姫が眼を丸くした。
「何で私が」
 上目遣いにユンを睨むと、彼は肩を大袈裟に竦めて見せる。
「だって、私の手の感触や匂いを憶えているだなどと。他人が聞けば、妙な誤解をされかねないぞ?」
 そこで、意味深な笑みを美麗な面に刻んだ。
「まっ、確かに私たちは既にあんなこともこんなことも色々とし合った深い仲ではあるがな」
「へ、変なことをこの人の多い町中で口走らないで。嫁入り前の娘なんだから、これでも」
 明姫が狼狽すれば、ユンは艶然とした笑みで応える。
「そうなのか? 私とあんな風に濃密な一夜を過ごしたというのに、そなたはまだ他の男に嫁ぐ気でいるとでも?」
「だ、だから、こんな往来でそんな恥ずかしくなるようなことを言わないでって」
 ユンにいきなり抱き寄せられ、明姫は熟れた林檎のように紅くなった。
「そなたには既に売約済みの札がついている。往生際の悪いのは認めてやるが、良い加減に諦めて私の妻になる覚悟をしろ」
 耳許で熱い吐息混じりに囁かれるものだから、堪ったものではない。ますます顔に血が上り、今にも倒れそうだ。
「だから、この間も言ったでしょ。私はあなたのお嫁さんになるって。そのために二人で力を合わせて進んでいこうって決めたばかりじゃないの。疑り深い男は女にモテないって、知ってるの?」
「こいつ、しばらく逢わない間に、ますます生意気になったな。よし、お仕置きだ」
 いきなり唇を塞がれ、明姫はもがいた。ユンはしばらく柔らかな明姫の唇を堪能した後、漸く解放してくれた。
「なっ、何するの? こんな人通りの多いところで、酷いわ」
 憤慨して拳を振り回す明姫の側を、腰の曲がった老婆がゆっくりと通り過ぎてゆく。その他の大勢の通行人も興味津々といった体で、こちらを見ながら歩き去っていくのだ。
 中には庶民の格好をした若い娘たちが、〝きゃー〟と歓声を上げて、自分たちを指さしている。
 まったく、穴があったら入りたい。
「若い人は良いねぇ。あたしも死んじまったお爺さんと出会ったばかりの頃を思い出すよう」
 木綿のチマチョゴリを着た老婆はにこにこしながら明姫とユンを見ている。
「祝言はまだ? 早く済ませちまわないと、祝言の前に赤ん坊ができて、慌てて式を挙げないといけない羽目になるよ」
「い、いえ、お婆さん。違うんです。私たちは別にまだ」
 いちいち説明しようとする明姫を制し、ユンが愛想良く微笑む。
「ありがとうございます。忠告は肝に銘じますよ」
「ああ、若いって良いねぇ」
 老婆は人の好さげな丸顔を赤らめて遠ざかっていった。
「―だってさ。あのお婆さんの勧めに従って、いっそのこと、このまま祝言を挙げようか?」
「馬鹿言ってるんだから」
 明姫は頬を思いきり膨らませ、プイとそっぽを向いた。
「あなたとの結婚、考え直そうかしら」
「おいおい、そんな酷いことは言いっこなしだ。私は夜も昼もそなたのことばかり考えて眠れない日々を悶々と過ごしているというのに」
「何かユンが言うと、真実味がないのよね」