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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌【ラメント】~ Ⅲ

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 舌と舌を絡ませ合い、烈しく吸い上げ合う。唇は何度も離れてはすぐに重なる。しまいには二人の唾液が混じり合い、ピチャピチャと淫猥な水音が聞こえるのが堪らなく羞恥心をかき立てる。しかし、今はその恥ずかしさや居たたまれなさですら、明姫の下半身に溜まってゆく妖しい微熱をいや増すものでしかない。
 おかしい、私の身体、どうしてしまったんだろう。
 ユンにきつく舌を吸われる度に、その大きな手が唇を合わせながら乳房を包み込み優しく揉み込む度に、下腹部にしっとりとした蜜のようなものが滲み、その部分だけが切なく熱くなる。―それがユンの巧みな愛撫によって、女として身体がめざめ始めているのだと、この時、まだ明姫は知りもしなかった。
 それから四半刻後、二人はそっと殿舎を出た。立ち上がった時、床に落ちていた灰簾石(タンザナイト)のノリゲをユンが拾った。黙って差し出すままに明姫はそれを受け取った。
―一生、そなただけを愛し抜く。
 先刻のユンの誓いが耳奥で甦る。
 これがユンの心。彼の心をこの時、確かに受け取ったのだと思った。
 明姫はまだ半裸の上にユンの官服を引っかけただけの姿である。まるで眩しいものでも見るかのように眼を細め、ユンはまた明姫を抱きしめた。
「済まなかった。だが、そなたを一日も早く私のものにしたい。できるだけ早く、祝言を挙げられるように努力するよ」
「私も時機を見て、崔尚宮さまに女官を止めたいと話してみるわ」
 視線と視線が絡み合う。二人は淡い闇の中で、しっかりと頷き合った。
「それにしても酷い格好だな。見つからないように戻らないと」
「それこそまた鞭打たれるもの」
 明姫の言葉に、ユンは心底面目なさそうに頭をかいた。
 殿舎をぐるりと囲む回廊から庭へと短い階段が続いている。明姫は階を降りながら、改めて月夜に浮かぶ庭園を眺めた。ささやかな広さだが、桜草がまるで薄紅色の絨毯のように庭の一面を埋めている。
 銀の月にひっそりと照らし出された小さな花たちが光の衣を纏い、淡く銀色に発光しているように見える。愛らしい花なのに、何故かドキリするほど艶めいて見えるのは気のせいだろうか。
「ソルさんの家に持っていった花は、ここで摘んだのね」
「まあ、そういうこと」
「勝手に国王さまのお庭を弄ったりして大丈夫なの? 見つかったら、私が本を傷つけたどころでは済まないかもしれないのに」
 心底から心配して言ったのに、ユンは笑っている。
「憎らしい男。本気で心配してあげたのに」
「そなたが私の身を案じてくれるのは嬉しいが、それは心配ない。私は国王殿下よりこの上になく頼りにされている忠臣なのだ。ゆえに、ちゃんと殿下にお願いして花を摘む許可を頂いている」
「なんだ、それならそうと早く言えば良いのに。余計な心配して、損しちゃった」
 軽く睨むと、ユンが〝こいつめ、生意気だぞ〟と明姫の頬を人差し指でつついた。
 更にしばらく桜草を眺めていた二人だったが―、ユンの声を合図とするかのように殿舎の前で別れた。
「名残は尽きないが、そなたはそろそろ殿舎に戻った方が良い」
「そうね」
 今度はいつ逢えるの? ふいに訊ねたい衝動に駆られたけれど、明姫はそのひとことを飲み込んだ。
 ユンだって集賢殿に詰める官吏であり、学者なのだ。こんな風に宮殿内で密会を重ねるのが容易ではないことは判っている。万が一、露見すれば、ユンも明姫もただでは済まず、重い罰を受けることになる。
「それでは、また」
 ユンが背を向けて足早に歩いてゆく。思わずその背に向かって、〝ユン〟と呼びかけた。
 ユンが立ち止まり、首だけねじ曲げて振り返る。明姫は駆けていって、彼の背を抱きしめた。
「また、逢えるわよね?」
 ユンはくるりと身体を回し、その腕に明姫を抱きしめた。
「私だって、今すぐにでも、そなたを抱きたいよ。そなたを早く妻に迎える方法がないわけではないんだ、明姫。だが、その方法を取れば、周囲の反対を押し切って、事をかなりごり押ししなければならない。私はできるだけ皆に祝福され認められて、そなたを晴れて妻に迎えたい。その方が後々、そなたにも無用の風当たりがなくて良いからね。私の独断で事を推し進めて結婚すれば、そなたが辛い想いをするかもしれない。だから、もう少しだけ辛抱してくれ。必ず、そなたと祝言を挙げられるようにしてみせる」
 明姫はユンの腕の中で頷いた。
「良い子だ、私を信じていて欲しい」
 ユンが明姫の髪を愛おしげに撫でた。まるでこの上なく大切なものにするように。
「あなたを信じて、私、いつまでも待つわ」
 ユンが優しい笑みを浮かべて頷き、今度こそ二人は離れた。ユンは片手を上げ、踵を返して歩み去った。
 その足取りが速いような気がするのは、気のせい? 私だけがあなたから離れたくないと思っている?
 たった今、逢ったばかりなのに、もう顔が見たい、逢いたい、あなたに触れたい。
 いつもあなたの側にいて、その笑顔を見ていたい。私は、あなたに逢う度、抱きしめられる度に、我が儘で欲深くなっていく。
 ほんの少ししかあなたと共有できない時間を、もっともっとたくさん一緒に過ごしたいと願ってしまう。
「ユン、どうしよう。私、本当にあなたを愛してしまったみたい。どんどん、あなたを好きになる」
 明姫の瞳に新たに涙が滲んだ。涙混じりの呟きは春の夜気に溶けて消えていく。
 見上げた月は、彼と眺めたときは煌々と曇りなく輝いていたのに、今は涙に滲んで朧にぼやけている。
 ユンが消えたのとは反対方向に向かい、明姫もまた緩慢な足取りで戻り始めた。
 
 蜜月と裏切り 

 幸いなことに、その夜、明姫は誰に見咎められることもなく自室に戻った。部屋に帰り着いたときは、既に夜明けが近くなっていた。思いの外、ユンと長い時間を過ごしたのだと今更ながらに気づいた。
 夜明け前のひととき、まだ夜の名残をとどめた菫色の空を眺めながら、切なく思い浮かべるのはユンの面影ばかりだ。人眼についてはまずいため、まずは手早く蒼い官服を脱ぎ、女官のお仕着せに着替えた。
 袖に忍ばせていたノリゲを取り出し、手のひらに乗せて、ひとしきり見つめた。ひとめ見た瞬間、夜明けの空の色のようだと思った玉は灰簾石(タンザナイト)というそうだ。その石が桜草に似た小さな花の花片ひとひら、ひとひらに填っている。
 今度、逢えるのはいつなのだろう。たった今、彼の胸に抱かれ別れてきたばかりなのに、もう逢いたくなっている。明姫は桜草のノリゲを胸に抱いたまま布団に入った。少しばかりなら仮眠を取る時間くらいはありそうだ。

 明姫が崔尚宮に呼ばれたのは、数日を経たある午後のことだった。崔尚宮は大妃殿の近くの小さな殿舎を住まいとして与えられている。むろん、明姫もその殿舎で起居している。
 朋輩女官から崔尚宮に呼ばれていると伝言を受け取り、明姫は急ぎ崔尚宮の居室に向かった。時間には煩い伯母の気性はよく心得ている。
「尚宮さま、明姫です」
 廊下の外から控えめに声を掛けると案の定、すぐにいらえがあった。
「入るが良い」
 両開きの扉を開け、部屋に入る。上座の崔尚宮に一礼してから座った。