何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌【ラメント】~ Ⅲ
たかが集賢殿の一学者にすぎないユンがそこまで国王に信頼を寄せられ、大きな発言権を有しているとは信じがたい。
と、ユンはまるで子どものように得意げに胸を張った。
「実は、そうなのだ。国王殿下は私を何かと頼りにされている。大切な御事をお決めになるときは、いつもひそかに私をお呼びになり、あれこれと相談されるのだ」
まったく、どこまでが本当か知れたものではない。明姫はチラリとユンを見た。
一方の彼は期待に満ちた顔だ。それが親に褒めて貰いたがっている子どものようにも見え、明姫は思わずクスリと忍び笑いを洩らした。
「あ、今、笑ったな」
「だって、今の話、どうにも信じられないもの。嘘でしょ」
ユンの男にしては白い面が上気した。
「違う、嘘などではない」
きっぱりと断言するユンに、明姫は笑いながら応えた。
「はいはい、判りました。信じれば良いんでしょう」
「何だ、無礼なヤツだな。その口調では全然信じてないだろ」
「ふふ、そんなことないわ。ちゃんと信じてる。ユンは国王さまの信任も厚い忠臣で、国の大事を決めるときは、いつもユンを頼りになさるのよね」
「ふん、可愛げのない女だな。どうして見かけは可憐で儚げな風情なのに、こんなに強情なのか」
ユンは一人で憤慨しているようだ。
そんな彼はどこまでも明るくて屈託がない。普段どおりの軽妙なやりとりを丁々発止と交わしている。
既にいつもの二人に戻っている。明姫自身はそのことにホッとしていた。彼の晴れやかな表情から、彼もまた同じことを考えているのだと判った。
これで良い。こうして一つずつ彼の言うように問題に向き合い、二人で話し合い解決してゆけばよいのだ。そうやって進んでいる中に、いつしか互いをもっと理解しあえるようになるだろう。
女官を止めることについては、すぐに解決できる問題ではない。まず伯母に相談しなければならないだろうが、すぐに話を出すには時期尚早だ。いずれ折を見計らって話を切り出すことにしよう。
明姫が黙り込んでいるのを勘違いしたものか、ユンが力強い声で言った。
「とにかく、書物程度で鞭打ったり、ましてや処刑など馬鹿げている。私から殿下に申し上げておくゆえ、明姫は心配しなくて良い」
「あなたの言葉を信じるとして、国王さまはそれで良いかもしれない。でも、大妃さまはきっと納得されないわ」
謹厳でヒステリックな大妃のことだ、必ずや大騒ぎするに違いない。
ユンが微笑んだ。
「大丈夫だ。国王殿下が言葉を尽くして説得すれば、大妃さまもお判り下さる。何とかなるさ」
それに関しては期待は薄そうだと思ったけれど、何とかしてやると自信に満ちた口調で言うユンには、そこまでは言えなかった。
ユンは後宮について詳しくはない。明姫は六歳のときから後宮で暮らしてきた。もちろん顔を見たことはないが、国王の母である大妃の人となりは女官たちの噂話で嫌というほど知っている。
とにかく感情の起伏が烈しく、気に入った者には情けをかけもするが、気に入らねば、とことんまで敵視するという。後宮で大妃に睨まれては生きていけないというのは、満更誇張ではなかった。
後宮のトップであり、王室の長でもある大妃に目下、刃向かえる者はいない。この国で最も至高な存在とされる国王でさえ、大妃には頭が上がらないといわれている。
大妃は議政府の長である領議政の同母妹として生まれ、上流両班の姫として大切に育てられた。生まれ落ちたそのときから、いずれは世子嬪セジャビン(王太子妃)になるのだと言い聞かされ、そのための教育を受けたのだ。
ゆえに、気位の高さも生半ではない。生まれながらにして王妃となるべく生まれ、誰からもかしずかれて育った彼女には〝諦め〟と〝不可能〟という文字はない。こうと思い立てば周囲がどうあろうと我意を押し通し、通らなければヒステリーの発作を起こし、後宮中に嵐が吹き荒れる。
そのため、大妃殿に配属された女官たちはいつも大妃の顔色を窺ってばかりいて、気の休まる暇はない。更に、若くして世子嬪に冊立され、先王のただ一人の王子を生み奉った。良人の王が亡くなった後は、彼女の一人息子が王位を継ぎ、今は押しも押されもしない国母である。
先代の王はこの正妃を嫌っていた。もちろん、時の権力者の妹であるから、あからさまに冷淡な仕打ちはできない。しかし、王が中宮殿(王妃の住まい)に足を向けることは滅多となく、十指に余る側室たちと夜を過ごすことが多かった。
良人に見向きもされない分、彼女の関心と愛情は当然ながら一人息子に向けられた。それもそのはず、彼女の生んだ王子は彼女の実家であるペク氏一族にとっても彼女自身にとっても、大切な世継ぎであった。
この王子に何かあれば、すべての約束された栄華も権力も露と消える。そんな心配もあってか、大妃は息子を溺愛し、いささか過剰なほど過保護に育てた。
先王はあまり子宝に恵まれたとはいえない。王妃の他にもたくさんの側室を持ちながら、生まれたのは二人の王子と三人の王女だった。しかも、その中の三人は生後一年に満たない間に早世している。結局、育ったのは王子と王女が一人ずつだったが、側室が生んだ第三王女も十三歳で二年前に亡くなった。
亡くなった王女の異母兄である現国王は、このたった一人の妹を可愛がっていた。自分が父代わりとなるのだと言い、自ら嫁ぎ先を探して、この者であればと前途有望な両班の子弟を妹婿に決めたほどであった。
婚約も済ませ、後は王女の成長を待って降嫁の日を数えるばかりであったある日、十三歳の王女は病を得て亡くなった。亡くなる前日まで嘘のように元気であったのが、食事後、急に苦しみだし、数時間で息を引き取ったのだ。
そのあまりに不審な死に方に、後宮はおろか宮殿中が騒然とした。そして、囁かれたのが
―和平翁主(ファピョン)さまの死は、大妃さまの差し金ではないか。
というものだった。実は、先代の王の御子たちが次々と儚くなったのも、すべては大妃の仕業だと言う者も少なくはなかったのである。
大妃にとって、己れが生んだ世子以外の王子王女はすべて目障りな存在にすぎない。そもそも世子は第二王子であり、生後まもなく亡くなった第一王子たる異母兄がいた。
が、年子で生まれた一つ違いの異母兄が生きていたとしても、大妃の生んだ第二王子が世子になるのは明白だったのだ。力のない家門出身の側室の生んだ庶子など、正妃の生んだ唯一の嫡子である第二王子の敵ではなかった。
ゆえに、大妃が第一王子を殺す必要まではないはずで、しかも確証もない噂の域を出ない話ではあった。が、嫉妬心も烈しい大妃の性格を知る女官たちは、あながち、大妃が先王の御子たちをことごとく根絶やしにせねば気が済まなかったというのもあり得ない話ではないと思っている。
とにかく、その真実は天のみが知っている。
ところが、そんな不名誉な噂を立てられるほどに溺愛し、掌中の玉と愛でて育てた肝心の世子は王妃に懐かなかった。あろうことか、先王の寵愛していた側室の一人をまるで母のように姉のように慕い、大妃の許には寄りつきもしない。
そこで、あの例の騒動―この殿舎にかつて暮らしていた側室が自害するという痛ましい事件が起こったのである。
作品名:何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌【ラメント】~ Ⅲ 作家名:東 めぐみ