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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌【ラメント】~ Ⅲ

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 ユンは頭を下げると、懐から小さな巾着を取り出した。それから、上半身はいまだ乳房を露わにしたままの扇情的な明姫の姿を見つめた。彼はおもむろに自分の蒼い官服を脱ぐと、明姫の肩から掛けてやった。
「もう私になど触れられたくもないだろうが、せめて今は傷の手当てをさせてくれないか」
 優しく言い、ゆっくりと近づいてくる。
 明姫はいまだ大粒の涙を流しながら、怯えて後ずさった。
「大丈夫だから、もう本当に何もしない。これは清国渡りのよく効く塗り薬なんだ。擦り傷切り傷、火傷、何にでも効く。これを塗っておけば、治りも早いと思う」
 ユンは明姫の片足をそっと持ち上げ、自分の膝に乗せた。その際、チマの下に何も身につけていないため、どうしても下半身の秘められた狭間が見えてしまう。ユンにとって、その極めて魅惑的な場所を見ないようにすることは至難の業といえた。
 だが、あからさまに見つめては、また明姫を怯えさせることになる。彼が実は傷の手当てをしながら、意思の力を総動員させて明姫の秘所から眼を背けていたことを明姫が知らなかったのは幸いであった。
 ユンは明姫の脹ら脛に丹念に薬を塗ってゆく。明姫も抵抗する気力も体力もなく、あまりの痛みに今はただユンに身を預けていた。
 両脚の脹ら脛に薬を塗り終えた後、ユンは懐から清潔な布を出し、その上から巻いてくれた。
 しばらく二人はそのまま何も言わずに向かい合って座っていた。    
「その―、ごめん。何て謝って良いか判らないけど、とにかく、ごめん」
 そのときには既に明姫も泣き止んでいた。明姫は言葉を発する気力もなく、ただ彼の謝罪に耳を傾けていた。
「国王が相手なら、そなたは意に従って身を任せると言った。あの言葉を聞いただけで、カッとなってしまった。私を好きだと言いながら、何故、私は駄目で見も知らぬ王であれば良いのかと」
「私、そんなこと言ってない」
 明姫はポツリと呟いた。
「ユンは将来のある身でしょう。だから、あなたのためを思うなら、私から身を退く方が良いと考えたの」
「それで、あんな言い方を?」
「そう」
 明姫は頷いた。両脚を引き寄せ、膝を抱えてその間に顎を乗せる。脚を動かす度に、チマの裾から傷に巻いた白い布が見えた。先ほど、あんなに手荒く彼女を扱ったのが嘘のように、丁寧に手当してくれた。まるで壊れ物を扱うような仕種だった。
「もう、これですべて終わりだな。愚かな私自身の行いが自分を窮地に追い込んだのだから、致し方ない」
 ユンは淋しげに笑った。
「自分は今まで、もう少しは自制心があると思っていた。信じては貰えないかもしれないが、これまで女人に対して、こんな酷いやり方で迫ったことはない。自分がこんなに堪え性のない男だとは思わなかった。自分で自分が恥ずかしいよ」
 これで、完全にそなたに嫌われてしまった。
 最後の言葉はよくよく注意していないと、聞き逃してしまいそうなほど低かった。
「そうだったら良いんだけど」
 明姫は吐息混じりに言った。
 え、と、ユンが面を上げる。
「いっそのこと、あなたを嫌いになれたら良かったのに」
 明姫は小さくかぶりを振った。
 ユンの瞳に弱々しい希望の光が戻っていた。
「別にユンに身を任せること自体がいやだったんじゃない。ただ、こういうのは嫌。強引に奪われるのでは一方的すぎると思うの。もっとお互いのことを理解し合って、納得してから、ああいう関係になるのが自然なのではないかしら」
「確かに明姫の言うとおりだ」
 ユンは幾度も頷いた。
「私とあなたの間には、たくさんの問題がある。例えば先刻も言ったように、私が女官であることも大きな問題の一つよ。仮に私が女官を止めることができたら、また別の道が開けるだろうけど。それにしたって、私の実家はもうとっくに絶えたも同然なの。そんな家門の娘との結婚をあなたのお母さまが許して下さるとも思えない」
「もし、私がそれらの障害を一つ一つ、きちんと向き合い乗り越えてゆく覚悟があると言えば、そなたは私をもう一度、受け容れてくれるかい?」
 明姫はユンを見つめた。まるで科挙の合格発表を待っている受験生のような顔。先刻の欲望を剥き出しにして襲いかかってきた凶暴な獣の彼とはまったく違う。
 だが、それも彼がそこまで自分を求めてくれている気持ちの裏返しと思えるのは、あまりにも愚かすぎるだろうか。
 明姫はもう一度、ユンの顔を見つめた。男にしては整いすぎるほど綺麗な顔立ち。様々な顔を持つ男。けして底が知れず、本当の彼がどんな人間なのかも判らない。しかし、彼が明姫を焦がれるほど求めていることだけは真実なのかもしれない。
「今夜のようなことは絶対にしないでね?」
「ああ、必ず約束する。明姫が嫌だと言ったときには、無理に求めたりしないと誓う」
 ユンが神妙な顔で頷いた。
「ただ、一つだけ約束して欲しい」
 明姫が小首を傾げると、彼は彼女を眩しげに見つめて言った。
「私たちが結婚できると確信できるまでは待つけれど、晴れて祝言を挙げた暁には、もう待たない。そのときには、そなたがどれだけ拒もうとも、その身体も心も私のものにする。それで良いか?」
 引き返すなら、今だぞ。彼の瞳がそう告げている。明姫は婉然と微笑んだ。
「判った。祝言を挙げたら、そのときは、もちろん何も言わずにユンのものになるわ」
 その言葉に安心したのか、ユンの全身から漂っていた切迫した気配は完全に消えた。
「ところで、書物の表紙はどうなった?」
 突如として話題が変わり、明姫はユンを茫然として見つめた。
「表紙? 書物?」
 ユンが少し焦れったそうに言う。
「だから、私とそなたが初めて庭園で出逢った時、そなたが後生大切に抱えていた書物のことだ」
 ああ、と、明姫は漸く合点がいった。
「幸いにも、まだ破けてしまったのは誰にも見つかっていないみたい」
「そうか」
 ユンも彼なりに気にしてくれてはいたのだろう。少し安堵したように頷いた。
 明姫はうなだれた。
「見つかれば、ただでは済まないわ」
 ユンの綺麗に弧を描いた眉が心もちつり上がる。
「まさか。たかだか書物の表紙を破いたくらいで、それほどの大事にはならないだろう? しかも、よくよく注意して見なければ判らない程度のものだ」
 明姫は哀しげに微笑む。
「そういうわけにはゆかないの。あなたのような部外者には到底信じがたいかもしれないけど、後宮では国王殿下とそれに連なる血筋である王室、王族の方々は絶対なのよ。その王室の歴史を事細かに記した大切な書物を傷つけてしまったのは大罪になるわ。下手をすれば、鞭打ちだけでは済まないのよ」
「馬鹿な」
 ユンは一笑に付した。
「書物一冊と人ひとりの生命など引き替えにはできない。ましてや、人の生命で書物の破損をあがなうなど考えられない」
「ユンはそう言ってくれるけど、残念ながら、見つかれば何らかの形で罰を受けることになるでしょう」
 しばらく沈黙が漂っていた。ユンは何やら思案に耽っている様子だったが、決然とした表情で言った。
「私から殿下に申し上げておこう」
 明姫が笑う。
「以前から思っていたんだけど、あなたって、そんなに殿下に信頼されているの?」