一縷の望(秦氏遣唐使物語)
「もはや万策尽きた。この都にはおれぬ。だが死んだ種継の為にも奈良に戻るわけにはいかぬ。とは言うものの既に何度も遷都を繰り返し、東大寺の大仏を作り、蝦夷征伐の戦をしてきて、いくら何でももう予算があるまい。朕はどうしたら良いのだ。弟よ、兄を許してくれ。」
この陛下の言葉を祖父小黒麻呂が聞き、我ら秦一族も秋も深まる中、太秦の館で祖父(小黒麻呂)を中心に前後策を話合ったのでした。集まったのは、亡き朝元様の息子の真成様、太秦宅守様、秦足長様、種継様の長子仲成様、北家より我が祖父の藤原小黒麻呂は元より、その息子の我が父葛野麻呂、仲成様と父の友人の北家藤原宗成様、式家菅継(すがつぐ)様はこの前年仲の良かった従弟の種継様暗殺の責任を感じて自害されてしまい、その代わりに出席したのはかの方の地位の陰陽頭を受け継がれた南家藤原刷雄(よしお)様、客人として民部卿の和気(わけ)清麻呂(かつての輔治能(ふじの)真人清麻呂)様、阿倍満月麻呂様・最澄様の最初の師である近江国大国師行表法師様(秦氏)、実忠和尚様と勤操(ごんそう)法師様、そしてその時点ではどうしてそこにいるか知らされていない式家の藤原縄(ただ)主(ぬし)様と云った面々でありました。祖父は開口一番、次の様に述べたのでした。
「本日皆様に急ぎお集まり頂いたのには二つある。一つは遷都をするとして、我らとしては長岡の次にどこを考えるか、そしてもう一つは早良親王の怨霊をどう払うか、怨霊を払ったとて陛下の遷都の意志は変わらぬものと考えねばならぬだろうがな。」
和気清麻呂様は、たまりかねた様に語り始めました。
「舅殿、遷都のことに関しては、もはや避けられぬことと言えましょう。陛下の早良親王の怨霊に対する怯えは尋常ではありません。我らとして避けねばならぬのは、平城京に逆戻りすることです。ここで遷都の一番の障害となるのは、何と言っても資金でしょう。国庫は既に尽きています。聖武天皇ではあるまいし、そう何度も遷都ではありますまい。奈良に戻るのが一番でしょう。だが、それでは陛下(桓武天皇)の気が済みますまい。それに、長岡京造営の為に使った木材がまったく無駄になってしまいます。」
そう言ってから清麻呂様は一息付き、自殺した太秦嶋麻呂様の子、宅守様の方をご覧になりました。宅守様は笑いながら手を振り、
「わてのことなら構しまへん。お父はんと違って、遷都が中止になることなど織り込み済みでおます。わてが思うに、この事態を打開する為にはここ葛野への遷都を願うしかないと思うのでおます。」
と云ったので、清麻呂様はご自分の膝を軽く叩かれ、
「そなたからそう言ってくれれば助かります。ここ葛野ならば長岡京からも近く、そこで使った木材や瓦を転用できるし、資金も秦氏から提供出来ましょう。また水害に関しても、ここ葛野は十分工事が進んでいます。それから資金を提出するとなれば、造成工事もまた秦氏とその一派で請負うことが出来るはずです。長岡京同様大河もありますから、水運にも飲料水にも排水にも不便はありませぬ。この場に陰陽頭の藤原刷雄様がいらっしゃるのでおこがましいのですが、第一唐の陰陽道の風水的に言えば、この地は四神相応の地(諸説あるが、京都においては東に青龍を表す小山の大文字山、西に白虎を表す小山の嵐山、南に朱雀を表す湖沼の巨椋池(おぐらいけ)、北に玄武を表す高山の丹波高地がある地形のこと)でこれほど縁起が良く、尚且つ怨霊への備えの整った所は、天下広しと言えどもここしかありますまい。ちなみに陛下への提案は私から致しましょう。長岡京を推薦した同じ者が、別の場所を薦めるのもおかしいかと思われますからな。」
と一気に捲し立てたのでした。祖父(小黒麻呂様)は、
「婿殿、そうして下さると大助かりだ。」
とこう言うと、それを横で聞いていた秦真成様が、突然こんなことを言い始めたのです。
「それならば、こうされてはいかがでしょう。」
「何かな。真成様。」
「葛野の中心は我が舘です。それに母も甥の種継も菅継も身罷り、私だけではいささかあそこは広過ぎます。どうでしょう。あそこを御所として提供されては。その方が遷都の工事もぐっと早まりましょう。」
「よろしいのですか。真成様はどこへ移られるのですか。」
「なあに、私はもっと葛野の山の方にでも移ります。それよりも我らの河勝様の舘が、この日本の天皇(すめらみこと)の宮になる等、痛快ではありませぬか。」
「それはそうだが、真成様さえ良ければ、それもあわせて陛下に言上致しましょう。皆皆様も宜しいか。それでは次の議題、早良親王の怨霊の件に移っても宜しいかな。」
と言って面々を見回すと、新たに蓄えた顎鬚を片手で撫でながら、藤原刷雄(よしお)様がまずこう仰ったのでした。、
「私が思うに、怨霊が諸々の変事の原因だとしても、あまりにも効果的です。これは誰かが早良親王の怨霊の力を利用して、術を使っているに相違ありません。これほどの術を操る者は、ただ一人しかいないでしょう。早良親王の遺体が流された所が淡路であることから考えても、これは不破内親王の仕業と考えて間違いありません。」
「さすがは刷雄、見事な推理です。」
と祖父が合いの手を挟むと、刷雄様はさらに続けられました。、
「やはりあの時、親王様を殺めておくべきでした。そうすればこの様な苦労は…。ともかく至急私が淡路へ行って…。」
「あいや、待たれよ。」
と刷雄様の言葉を、黒く彫の深い顔、高い鼻、大きな黒い瞳の実忠和尚様が遮りました。
「刷雄様はお役目でも無いのに、そうそう宮中を空ける訳には行かないでしょう。それに前回の時は、喜娘(きじょう)様や阿倍満月麻呂様がいらっしゃいましたが、今回喜娘様は夫(藤原種継)を失った悲しみからまだ脱してはいませんし、満月麻呂様は年齢的に淡路までの船旅はきついと思われます。本当なら、早良親王様は一時は故良弁僧正様の後継者とも言われ、私にとっては弟弟子(おとうとでし)に当たるわけですから、その不始末は私自ら当たるべきなのですが、私も年齢的に足手まといになりかねません。ここは私よりは若い勤操法師と、先日話に出た最澄、佐伯真魚とその従者秦隼麻呂にお任せしたらいかがかと思うのですが。そしてこの機会にお二人の力量を試されてはいかがでしょうか?」
その時祖父は、一味のまとめと云う立場も忘れて思わず、
「あの広野(最澄)を試すのか。」
と呟いてしまいました。刷雄様は、それを横目でちらりと見ていたので、慌てて祖父は手を横に振りながら、
「いや、お気になさいますな。」
と言ったので、刷雄様は安心してこう続けられました。
「いやそれは良いのですが、勤操法師と秦隼麻呂はともかく、若い最澄、真魚で大丈夫でしょうか?」
と刷雄様は、いぶかしげにお聞きになりました。
「勤操法師の雑密(ぞうみつ)の力と秦隼麻呂の武力があれば心配ないでしょう。吉備真備様からの便りによれば、真魚様は泰澄大和尚様以上の器だそうです。最澄様は良い経験となるでしょう。御心配なら前回も使われた宝剣を、刷雄様の代わりに赴かせてはいかがですか?」
と実忠和尚様が答え、また逆に提案されると、刷雄様は渋々承諾なさったのでした。
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊