一縷の望(秦氏遣唐使物語)
「えぇ名どす。わてに異存は御座んせん。」
「これで決まりや。梨花さん、有難う。」
「いえ、かつての采女に梨花さんはお止め下さい。どうか梨花とお呼び捨て下さい。」
と、梨花は恥ずかしそうに答えたのです。牛麻呂様はそれに聞こえ無い振りをして、話を先に進めてしまいました。
「それでは広間の方にお戻りやす。宴の支度も整っておます。一族の主だった者も来る予定どす。朝元さん達の無事到着とこの子が産れたこと、名が決まったことも伝えねばいけませんやろ。」
「はい、有難う御座います。宴会になる前に一つお願いがあるのですが。」
「へぇ、何でっしゃろ。」
「はい、我ら秦一族の中興の祖、秦河勝様の像か肖像画がどこかに御座いませんか。」
「ほう、それならこの近くの蜂岡寺に確か河勝さんの等身大の立像がある筈どす。」
「あの、いつでも宜しいのですが、それを見せに連れて行っては下さいませぬか?」
「ほう、それは良い心掛けどす。頼まれなくてもいつか近い内にお連れしようと思っておったんや。宜しおま。何か事情もある様子やし、明日早速朝駆けで見に行きまひょ。」
「有難う御座います。」
「かまへん、かまへん。宜しければ梨花さんも一緒にどうやろか。」
梨花は、呼び方が相変わらず「〜さん」付けになっているのをもう諦めたのか黙って頷き、部屋を移ってそのまま宴が始まったのです。
「さあさ、今日は目出度いことが幾つも重なったんどす。酒は滅多に口に出来ぬ特上の浄酒(すみざけ)を、一族の倉元から用意させたんや。今日は弥勒様の祭どす。御禁制の四足の肉も供物としてあるんやで。今日はそれを朝元さん歓迎の意味も込めて、またわての嫡男の誕生と命名も記念して、牛の乳を入れた飛鳥鍋にしましたんや。さっさ遠慮のう御賞味下さい。責めは全てこの牛麻呂が負いましょう。さあさ、乾杯どす。」
牛麻呂様が音頭を取り、唐式の乾杯で楽しい宴が始まったのでした。
「そうじゃ皆の衆、弁正さんの下の息子朝元さんが、ここにいる女子(おなご)連れではるばる海を越えて日本へと渡って参ったんや。こちらは、梨花さんと言わはります。たった今産まれた我が子の名付け親にもなって下さったんどす。命名、嶋麻呂。どうや、良い名でしゃろ。さっさっ二人とも、皆に紹介するさかいこちらに来ておくれやす。」
私共が宴会の和の中に入ると座はわっと盛り上がり、二人分の席も空けてくれたのです。
「杯は持たはりましたか。それでは乾杯と行きまひょ。二人の帰国とわての子の誕生を祝って乾杯や。」
「乾杯。」
一同声を合わせて杯を空けると、途端にまた喧騒が戻ったので御座いました。
「ほれほれ皆の衆、二人に自分達を紹介するのどす。まずは長老、お願いしまっせ。」
話を振られた者はかなりの年で、白い髭を顔中に生やし、耳が悪いのか、かなりの大声で話し始めたので御座います。
「わしはこの近くの稲荷大社の秦伊侶具(はたのいろぐ)じゃ。ここにいる都理(とり)の兄でもある。この日本に居る秦の農民は皆わしの子みたいなもんじゃ。お前(朝元)とは随分血も離れておるが、秦は秦じゃ。おのれでおのれのことを秦だと思えば皆秦なのじゃ。わっはは。」
そのすぐ隣で飲んでいた、やはり相当年配の方が、紹介されて次に話し出したので御座います。
「わしの名は、今兄者の言われた通り、秦都理と申す。やはりこの近くにある松尾神社のまとめをやっておる。秦は神社ばかりでもないぞ、寺を作るのも秦じゃ。それじゃ次は、今回牛麻呂も世話になった客のあんたが良かろう。おい、大丈夫か。」
と指名された御仁は、前のお二方程では無いにしろかなりお年齢(とし)を召した方らしく、先程からげほ、げほと咳き込んでおられましたが、ようやく落ち着いたらしく、その間を逃さぬ様に急いで話し始めたのでした。
「どなた様も初めてお目に掛かる。わしが、太安万侶じゃ。そう言われても分からん者は、牛麻呂に頼まれてわしの作った古事記(ふることぶみ)と日本書紀の草稿の写しを、立場を利用して横流しした者と言えば分かるじゃろう。」
とここまで言った所で、牛麻呂様が慌てて口を挟まれたのでした。
「そら言ったらあかん。あんたはんの手が後ろに回りまっせ。」
それを聞くと、太安万侶様は破顔一笑、こう答えられたのでした。
「構わぬ、構わぬ。門外不出の書をもらして授刀舎人(じゅとうとねり)の小役人に捕まりそうになったら、迷わず自害してやるわ。わしは古事記を完成させ、続く日本書紀を作った舎人親王様や百済者の右大臣(藤原不比等)様を散々誑(たぶら)かして、思う存分秦氏の立てた聖徳太子様の伝記や秦河勝様のことを挿入してやった。それに柿本人麻呂様から引き継いだ万(よろず)の言の葉を集める仕事(万葉集のこと)は途中だが、ここにいなさる葛城王(後の橘諸兄)が後を引き継いでくれるそうなんじゃ。これでもうこの世にもう未練は無い。ごほっごほっごほっ。咳き込み始めると止まらなくていかん。わしはもういいから、次の方どうぞ。そうだ、さっきから話したそうなあんたが良い。ごほっ。」
高名な聖徳太子様は、この様に秦氏の関係者によって創り上げられた架空の聖人だったのです。例えば前章の舞台の一つとなった元興(がんごう)寺は聖徳太子と蘇我馬子の創建と記しましたが、これはこの寺の住職義淵僧正によって広められた創られたお話という訳なので御座いました。
顔や手のひら等全身に赤い刺青をして、髪に紅白の木綿で作った耳形鬘(ばん)(髪飾り)を付け、赤い肩(ひ)布(れ)を身に付けた大きな色黒の男は、そう安万侶様に指名されると居住まいを正して話し始めたのです。
「本日はまこて目出度か。おいどんは隼人ごわす。都で宮仕えしている隼人どもの束ねばしておる大衣(おおきぬ)の大隅直(おおすみあたい)でごわす。何やらまたも大隅の隼人は暴れ出しそうで肩身が狭くなって困りもんす。さあ、飲むど、飲むど。」
と言って酒を注ぐと、犬の様な声で遠吠えを始めたので御座います。
「すまなか、突然で驚いたでごわそう。こいはおいどんらの風習ごわす。お目出度い席で叫びもんす。次はほれ、皇族の方、お願いしもんす。」
皇族と呼ばれたもの静かな中年の男は、静かに語り始めたので御座います。
「私は、葛城(葛城山は役行者縁の山)王と申します。本日はお目出度う御座います。実はお忍びで御座いますので、どうか無礼講で宜しくお願い致します。私は名を見ても分る通り、秦氏の皆様とは浅からぬ縁がある家柄です。いつの日か私が出世しました時には、この地の人の為に尽くしたい、と常々思っておりまする。それからたった今お話が有りました通り、太安万侶様から大事業(万葉集のこと)を引き継いで、張り切っている所に御座います。それでは次に、備前から遥々いらっしゃったとか云うお客人、そなたの番じゃ。」
と葛城王様に促された若い田舎風の客人が、話し始めたので御座います。
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊