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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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「本日はほんま(本当)に目出度いのお。それでは失礼して自己紹介するけん。わしぁ備前国で、秦氏の隣人の磐梨別乎麻呂(いわなしわけのこまろ)じゃけん。秦の皆さんはわしの家族思っておるけん。お招きのついでに、奈良の都の見物でもしようかと思っておるけんのお。次は御坊、締めを頼みますけん。」
 最後に指名された二十代後半らしい僧は、おもむろに両手で合掌してから頭を軽く下げ、こう言ったのでした。
「拙僧の名は延豊と申します。行基集団を代表して参りました。宜しくお見知りおきの程を。今日はまことに目出度き日に御座います。ところで私は、私度僧故、般若湯(酒のこと)も遠慮のう頂きまする。申し訳御座いませんが、獣肉はさすがにご遠慮申し上げます。」
 酒が入って軽く冗談も出た所で、延豊法師様は一息ついてから本題に入られました。
「拙僧が参りましたのは、つまらぬ冗談を言う為だけでは御座いません。実は二つ大事なことが御座います。まずは遣唐使として我ら秦氏からは、元興寺(がんごうじ)から玄ぼう法師様、審祥法師様、ここにいる磐梨別乎麻呂様の推薦で備前・備中・備後の秦氏の代表として大学寮に入られていた下道真備(しもつみちまきび)様、我が師の出資者寺史乙麿様が見出し、難波の秦氏を代表して大学寮の試験を受け、抜群の成績で最年少の遣唐使に選ばれた阿倍仲麻呂様が、今どうしているのか、今日ここにいらっしゃるとお聞きした秦朝元様に尋ねる為に御座います。」
 私は、初対面の僧に質問され、私ですか、と自らを指差しながら、何とかお答えしたのです。
「はい、四人の方は私の父の秦弁正がお世話をし、唐でそれぞれの使命を果たすべく、ただ今奮闘努力しておられると思います。不肖私朝元めも、短い間では御座いますが、我が舘で下道真備(しもつみちまきび)様、阿倍仲麻呂様のお世話を致しました。」
 それを聞いた延豊法師様は、満面の笑みを浮かべられて、こう続けられたのでした。
「朝元様、ありがとう御座います。二人に成り替わりまして御礼申し上げます。それにここまで来た甲斐が御座いました。師匠にも良い報告が出来ます。ところで後一つ大事なご報告が御座います。我が師行基の師、元興寺の義淵住職が見出した法澄様が、我ら秦氏の教え、修験道を広めるべく、越後・富山・美濃の三国のちょうど国境に当たる白山で活動を始められた由に御座います。それに付きまして、法澄様が白山の頂上に着かれました時、役行者様を害した韓国連広足の手の者と思われる者達に襲われましたことを報告しておかなければなりません。幸い、刺客どもは返り討ちにされ、法澄様一行は無傷に御座いました。しかし韓国連広足は、やがて我らと決着をつけねばならぬ相手、各々方、どうかこの名を今一度心にお刻みになって下され。」
 こうして出席した秦氏の主だった者と客人が紹介され、宴も酣(たけなわ)となっていくのでした。
 さて次の朝、昨日の大宴会の後だけに、早朝とでまではいきませんでしたが、朝三人で轡を並べて蜂岡寺(今の広隆寺)へと馬で向かいました。一氏族の造った寺にしてはかなり広い境内を過ぎ、馬駐(うまとどめ)(馬を預ける所)に馬をつないで三人は馬を降りました。出迎えてくれた、何故か肩に黒い鶻(こつ)(隼)を乗せた隠坊(おんぼう)(寺男の事。名は国栖(くずの)調子(ちょうし)麻呂(まろ))に挨拶をすると、
「お早う御座います。旦那様、今日はお早いお越しで。只今寺の者をお呼び致します。」
とそう答えました。牛麻呂様は、
「えぇがな、えぇがな、調子麻呂。それより勝手に本堂に入りま。」
 そこへ寺の僧も駆けつけ、三人を本堂へと誘い、そこで一礼して去って行きました。目の前の中央の高い所には五芒星が輝き、その下には本尊の聖徳太子三十三歳像と美しい黄金の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)とがあり、その両脇には大輪の黄色い菊が活けられ、香とその花の香りが混じり合って三人の鼻をつきました。私が、 
「これが唐にまで聞こえた弥勒菩薩様の像で御座いますか。唐の物とは違い、物思いに耽っている様で大そう美しゅう御座いますね。」
と聞くと、牛麻呂様がこうお答えになりました。
「おう、そうどしゃろう。まずは本尊さんに帰国の挨拶をしはって、それからその横の河勝さんの立像をじっくり見るが良ろしやろ。」
 私は手を合わせて聖徳太子像と弥勒菩薩様に一礼すると、その横に隠し様も無く大きな立像をしげしげと見つめました。それは眼をかっと見開いた像で、夢に何度も見たあの黒い影に間違い無い、と何故か確信出来たのです。夢の中で見えなかった顔の表情が、今ははっきりと見えていました。牛麻呂様は続けてこう仰います。
「昨日の宴でも言ってはったな。夜同じ夢を見てそこに黒い影が現れて、日本へはよ来んかい、とか言わはるんやそうやな。そしてそれが河勝さんなのではないやろかと。どうやら、その顔ではその通りの様おますな。」
「はい。私はこうして日本に来ましたが、それでどうせよと言うのでしょう。」
「朝元さん、そらたぶん我ら秦氏の悲願をはよ果たさんかい、と云うことやないやろか。」
「悲願?」
「そう悲願どす。良い機会でおます。あんたはんにそのことを伝えよと思うんやが、よろしおますか?」
「はい。」
「えぇか、わてら秦氏の悲願とは、かつては秦氏の安住の地を見出すことだったんどす。それをこの日本に定めたからには、次に目指すのは、わてらにここまで付いてきてくれはった秦の民ともどもこの日本に受け入れてもらう為に、わてらの中から名を挙げる者が現れて、この世を徳を以って統べる転輪聖王(てんりんじょうおう)さんとなりはるか、いやそれが適わずとも、わてら秦氏の神をこの日本の神とし日本国の心とする為に、仏教の仏さんの様な存在となってもらうことなのでおます。中興の祖である秦河勝さんは、上宮(厩戸)皇子さんを担ぎ出し、転輪聖王にされることに成功されまった。また修験道を編み出された役行者さんと云う方が、わてらの仏さんとも云うべき方として現れたんどす。しかし、役行者さんは百済者の韓国連広足(からくにのむらじひろたり)と云う一族の裏切り者に陥れられ、命を縮められてしもうたんや。また上宮皇子さんの死後は、蘇我入鹿に皇子の一族が滅ぼされ、自らの身にも危険を感じた河勝さんは、自ら都を逃げはって遠く播磨国の赤穂まで逃げたんや。河勝さんはその地で無念のまま亡くなられたのどす。その無念の思いをそちに引き継いでもらいたいんでっしゃろ。秦河勝さんの死後蘇我氏も倒れ、わてら秦氏もようやく力を取り戻しつつある中、古事記(ふることぶみ)を編纂して、日本国の歴史を支配者に都合良く統一することにしましたんや。その支配者とは、宇合さんの父親の藤原不比等さんどす。都合良くそれに関わることに成功したわてら一族の太安万侶さんは、不比等さんの野望を満たす為と称し、上宮皇子さんの名を厩戸皇子さんとし、さらにその諡を聖徳太子さんとして、その事績の中にこっそりとわてら一族の伝説を織り込むことにしたんでおます。あんたさんは安万侶さんの成し遂げたことを受け継ぎ、さらにわてら一族を栄えさせる役割があると見たんや。」
「はい。具体的には私は何を。」