一縷の望(秦氏遣唐使物語)
「そもそも我ら秦一族は、流浪の民で御座いました。ですから何より求めたのは安住の地なのです。しかし安住の地と云えるのは、よそ者である我らを受け入れられる様な土地でなくてはなりません。それに、そもそも我らが流浪を繰り返すようになったのは、我らの信条・信仰・生業の所為なのですから、我らもその地に合わせる努力はもちろん致しますが、その土地の方々にもある程度変わって頂かなければなりません。しかし、その様な都合の良い土地はなかなか見つかる訳がないのです。しかしとうとう我らは、大陸の東の果て、この日本の地に辿り着いたので御座います。それは、ただ単に東へと追いつめられたのではありません。東の国に、帰化人が既に多く集まり、職人を少しも差別しないどころか尊び、その技の高さの分だけ評価してくれ、宗教的にもまだ未成熟で、個人をあれやこれや縛りつけもせず、他からの宗教に寛容などころか、良いものは積極的に受け入れようと云う姿勢も忘れない、そんな国があると聞いて、そここそが我らの神が約束してくれた地であると確信し、大勢で移住したので御座います。しかし辿り着いた日本国は、実際にはまだまだ直すべき所が数多くありました。我ら秦一族は、中興の祖である秦河勝様が日本国の国教を神道から仏教へと変換することに成功し、我らが何世紀もかけて天竺や唐で変貌させた宗教を仏教と思い込ませて日本へ導入することに成功したのです。さらにこの国に土地を得、この国の仕組みを左右する朝廷を動かす存在になり、我らの安息の地を得ようと画策しておるので御座います。その為には、今言った様な俗世の権力を得るばかりではなく、民を始めとする人そのものの心の中を支配する宗教界を、我らで牛耳っていかなくてはいけません。つまり、転輪聖王(てんりんじょうおう)と仏陀が常に必要なのです。我らはまず厩戸皇子様を担ぎ出して現世を変えようとしましたが、それは皇子一代の業で終わってしまい、却ってその死後は我らへの風当たりは一層強くなってしまいました。さらに宗教界におきましては、役行者(えんのぎょうじゃ)様と云う力のある方を中心に神仏習合の修験道を起こそうとしたですが、韓国広足と云う裏切者に邪魔をされて行者様が除かれてしまい、仕方なく泰澄大和尚様と云う後継者を新たに見つけ出し、修験道と云う我らの花郎(ふあんらん)道と密教(雑密)と仏教の華厳宗と神道を合わせた様なものを広めることに成功したので御座います。今や韓国広足は成敗し、陰陽寮も菅継様が頭となり、我らが意のままとなりました。後は転輪聖王として陛下と種継様が現世を治め、精神世界に今話の出た真魚様や広野様が、陛下(桓武天皇)の気に入る様な宗教を作り出してさえくれれば良いのです。そして遷都をするなら、そここそ我が秦氏永遠の平安の都(エルサレム)としなくてはならぬので御座います。どうです、お分りになられましたかな。」
「はっはい。何やら壮大なお話で、分った様な分らぬ様な…。ただ一つ分ったのは、我が夫、種継様が両輪の一つを担っていらっしゃるということなのですね。」
「そう、それさえ分れば十分だ。」
と真成様が言うと、周りにいた者も、
「いや素晴らしい。」
「種継様こそ一縷の望。」
と囃し立てたのですが、喜娘様はにこりともせず、こう仰ったのでした。
「何が足りないのか、今分りました。結局我らの神とは何なのですか? 先程の話にはそこが抜けておりまする。」
思わぬ質問に真成様も一瞬驚いた様子でしたが、やがて決意した様に話始めたのでした。「そのことについて何も語らぬ者が多いのですが、それはあまりに色々な宗教の姿を借りて来たので、本当の姿を言うのが怖くなってきたからなのかもしれませぬ。だが誰もそれを語らねば、やがてその神の名を忘れ果ててしまうでしょう。ですから私はそれを問う者がいれば、その者が理解しようとしまいと、なるたけ本当のことを言う様にしているのです。我らの神のことを、ある者は弥勒菩薩様、ある者は聖徳太子様、或いは景教の信ずる神(彌施訶(メシア)、キリストのこと)とか申しますが、我らの真の神は韓神曾尸(そし)茂(も)理(り)様であり、拝火教の主神毘盧遮那(びるしゃな)(アフラ・マズダ)であり、その実は真主阿羅阿(ヤハウェ)様ただお一人なので御座います。ただこの神の名は実は発音出来ぬ子音だけで出来ておりまして、阿羅阿と云う音も、無ければ不便な為に仮につけられたものなのです。だから、その土地の者によって、聖徳太子でも弥勒菩薩でも良いのだとも言えましょう。」
「良くぞ、お話し下さりました。大変良く分りまして御座います。有難う御座いました。」
と言って辺りを見回してから種継様を見ると、喜娘様はこう言ったのでした。
「種継様、私の問の為に会の終わりをだいぶ遅くしてしまいました。索餅だけでは足りないでしょうし、軽い食事の用意をしているそうですが、それが出来るまでの間、唐で習った二胡の技など、ただ今の答えに対するお礼も含めて披露したく存じます。宜しいですか。」
「あぁ良い良い。好きにせえ。」
「では母様、私が母様の曲に合わせて踊りまする。」
と言って、幼い薬子(くすこ)様が踊る姿勢を取りなさったので、一同長い会議の疲れも忘れ、大盛り上がりとなったのです。食事の出来る間、胡酒(西域の酒)と味噌(現在の招提味噌)など振る舞われて、種継様も妻と娘の余興にご満悦のご様子でした。そしてお気に入りの鷹叔斉を連れて来ると、獣の肉を与えながら客達にその見事な鷹を自慢げに披露したのです。
「確(しか)と見申したか。これが陛下の御鷹伯夷の弟鷹、叔斉てすぞ。」
「おぉ、この様な見事な鷹は見たことも無い。」
と、酔った賓客達は挙って褒めちぎったのでした。
その時、会議の間中一度しか眼を覚まさなかった梨花様が、いつのまにやら起きていて種継様を見つめながら、何やらぶつぶつと呟いていたのです。
「惜しい。実に惜しい。種継は、頭も腕っぷしも度胸も人望も金も我らが後ろ盾になって有り余る程有り、地位の後ろ盾も陛下や藤原式家がある。何でも有るのに惜しいかな、天運だけが無い。あれの天運はもう尽きかけている。秦一族の転輪聖王(てんりんじょうおう)にはなれぬわい。」
梨花様のその呟きを、踊り終わって感想を聞きに来た薬子様がお聞きになりましたが、まだ何のことやら分らずきょとんとしておられたそうなのです。
翌日の朝議で、種継様の前述した発言となられたのでしたが、発言はさらに続けて、
「遷都するのは、既存の仏教勢力や貴族勢力から距離をおけること、陛下の母方の百済系を中心に高句麗系、新羅系渡来人勢力を一つに結集すること(鷹狩で使用する交野(かたの)は、百済系氏族の本拠地の近く)、天武天皇系統から天智天皇系統に天皇(すめらみこと)の系列が完全に代わった節目であることを知らしめすことなどの意味が御座います。さらに資金におきましては、我が実家の本家でもある太秦宅守がこちらに控えておりまして、新都造営の資金の後ろ盾となることを約しております。また、こちらに控えし者は秦足長と申し、造営そのものを受け持つ者に御座います。」
と、あの宴席からそのまま連れて来た二人を紹介すると陛下は、
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊