一縷の望(秦氏遣唐使物語)
と真成様がお聞きになっても返事は無く、そのまま寝息を立てられ始めたのでした。
「いや、案外長岡はいけるやもしれぬぞ。」
と種継様が、身を乗り出して仰り始めました。
「長岡なら奈良よりそれ程遠くは無い。またここ葛野からも近い。大河もある。平城京の最大の弱点である水の便も有り、飲み水も排水にも利があろう。第一、陛下の母上である高野新笠(たかののにいがさ)大夫人のご実家、つまり陛下の生家和(やまと)氏の本拠地だ。さらに大夫人の実家は土師氏で、土師氏は本拠地もやはり我らの隣なばかりか、我ら秦氏の仕事仲間で我らとも縁(えにし)が深い。また陛下は何も仰っておられなかったが、この度の遷都は、井上内親王母子等の怨霊から身を護るのが目的だ。その為には風水にも適っていて、霊的防御も優れていなくてはならぬ。その意味でもこの地は相応しかろう。これは行けるぞ。」
と種継様は続けられ、和気清麻呂様も、
「ふむ。ここに造るより損はしないか。」
と仰り、朗らかな筋肉質の秦足長様も、
「これは名案だ。もう決まりだな。」
とはしゃぎ出しました。種継様はそれに対しこう仰って締め括りました。
「良し。この議題はもうこれで良いだろう。次に最初の議題と関連していることなのだが、
陛下(桓武天皇)が遷都の理由は、実は他にある。これは内々にお話されたことなのだが、陛下は道鏡法師の暴挙をひどく憎み、この様に世が乱れるのは皆奈良にいる官寺の僧、そしてその後ろ盾の藤原の責とお考えだ。この場に私をも含めて三家の方もいられるので言い難(にく)いことなのだが、事実は事実としてお聞き願いたい。そこで陛下は、遷都によって七大寺(東大寺・西大寺・元興寺・興福寺・薬師寺・大安寺・法隆寺)から距離を置き、既存の仏教(南都六宗、法相宗・三論宗・倶舎宗・成実宗・華厳宗・律宗の六つ)では無く新たな仏教を国の宗教とし、官寺から私寺に肩入れを移そうとお考えなのだ。しかし我らも藤原同様、既に奈良の仏教に相当肩入れしている。今ここで遷都となれば、今までの苦労が水泡に帰してしまうも同然なのだ。そこでだ。我ら秦氏の故泰(たい)澄(ちょう)大和尚(だいおしょう) (かつての法澄)様が完成させた教え、修験道の元となる密教を国教に仕立てあげてしまおうと思うが、まずは亡き吉備真備様の一番弟子だったと云う藤原刷雄様、今のこと、いかがお考えか。」
「うむ。お話は分ったが、それは修験道と云うより密教として、仏教の一種とした方が提案しやすのではないですか。それには泰澄大和尚の様に要(かなめ)となる方が必要ですな。」
と刷雄様は落ち着き払ってお答えになられました。種継様はすかさず、
「その様な方、つまり泰澄大和尚の後継者とも云うべき方が見つかりましたかな。」
とお聞きになると、刷雄様はこうお答えになりました。
「そのことに関しては、実忠法師様の所に讃岐より報告が来ております。実忠法師様、ではどうぞ。」
指名されると、黒く彫の深いお顔に髭を蓄え、大きな黒い眼をした実忠法師様が語り始めました。
「お初にお目にかかります。東大寺の実忠と申します。讃岐に行った故吉備真備様、故国栖赤檮(いちい)、秦隼麻呂からの報告によれば、讃岐の多度都の阿刀の舘に、佐伯真魚様と云う明らかに後継者と思われる方がお生まれになり、我が秦氏を挙げて後ろ盾となるべし、とありました。また比叡山で現在山籠り中の最澄様は修験者の間で評判となっており、また我ら秦氏の行表様の保証も有り、我らが後ろ盾となるに十分なお方と心得ます。取りあえずここにいる勤操法師に、その者共の人となりを見に行かせようかと思っております。」
この時突然、祖父が驚いた声で叫んだのでした。
「比叡山の最澄と云うとあの広野のことか?」
実忠法師様は、その声に驚きながらこう返事をしたのでした。
「左様ですが、良く最澄様の幼名をご存知ですね。」
「いや、わしには何番目かの妻の撫子(藤原北家庶子)と云う者がおってな。この者の姉の自慢の息子が広野と言って、撫子も日枝のお山の申し子とか言って自慢していたのに、近頃出奔して修行僧になってしまったとか言って嘆いておったが、そうかあの広野がの。いや世の中狭いものだ。」
我ら秦氏と無縁と思われていた最澄様が、実は深く関わっていたことが知れた瞬間なのでした。
「そうですか、それは驚いたでしょう。しかしそれは楽しみな話ですな。その二人の内どちらを我が秦氏の支援する者とするか、引き続き良く観察し、必要に応じて大納言(小黒麻呂)様にも報告を怠らぬように頼みましたぞ。それでは他に議題もなければ…。」
と種継様が言いかけた時、喜娘様が突然声を挙げられたのでした。
「あの、もし。」
「何じゃ。」
と、種継様は面倒臭そうにお答えになりました。すると喜娘様は続けて、
「私は新参者で、秦氏の使命とやらが何か良く分らぬのですが、どなたか教えては下さいませぬか?」
すると辺りはざわざわと騒がしくなり、秦真成様が喜娘様に口を開かれたのです。
「御主人の前で失礼しますが、その問には私が答えるのが一番相応しいかと思われます。」
「はい、有難う御座います。」
「色々な人が色々な言い方で語っておりまするが、私は私なりに次の様に解釈しております。何か不足な点が御座いましたら、どうか皆様補足をお願い致します。」
と言って真成様は辺りを一通り見回し、一人一人に目で確認してから語り始めたのでした。
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊