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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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「良い男(をのこ)が御座います。陛下の皇子の一人でいらっしゃる中務卿(なかつかさきょう)(山部王)様は、三十路を過ぎた分別盛り。それに年上の方への配慮も弁えております。義理の息子とは言え、男であることには変わりありませぬ。かの方を皇后陛下にご紹介なさったらいかがでしょう。陛下さえ御承知下されば、当方で段取りをお付け致しますが。」
「ほう、そうか。それは有り難い。良きに計らえ。」
と陛下が仰ったものだからたまりません。早速百川様から山部王様が、皇后陛下にご紹介されたのでした。山部王様は当初官吏志望でしたが、肝心の叙爵が二八になってからで、三十になってやっと大学頭なられ、吉備真備様の長男の泉様の上司でもあったのです。そして大学頭の地位を泉様に譲って、この時中務卿となって父陛下を補佐しておりました。なお皇子様は百川様からよくよく因果を含まされており、ご自身も良くその辺の道理をわきまえておりましたから、皇后陛下はもうかの方に夢中になってしまわれたのです。また義理の息子ではさすがに食指も動き様が無く、それでいて約束は果たされていたのですから、皇后陛下としても異論をお挟みになる余地も有ろうはずが無かったのでした。この様にして、第二夫人の子であった山部王様は、見事その名を売ることに成功されたのです。自ら言い出したことが原因とは云え、ただでさえ押しつけられた正妻と云う思いが頭の隅にお有りになるので、せっかく仲睦まじくなりかけてきた二人の仲は、皇后陛下の山部王様への御執心振りに、冷え切ったものとなってしまわれたのでした。この機会を見逃す百川様ではありません。
 ところで宝亀三(西暦七七二)年正月、山背国の秦忌寸刀自女(はたのいみきとじめ)様以下三一人が得度(正式に僧になること)を申し出、その許可が下りると、全員で悔過修福(けかしゅうふく)の行(過去の罪業を懺悔し福を積む為の仏事)をそれから二十年間の長きに渉って山部王様の為に行ったのでありました。亡き朝元様の舘に学問を習いに足繁く通っていた山部王様とその御学友であった種継様への秦氏一門の期待は、この様に長きに渡るものだったのです。まさに聖徳太子様と秦河勝様の如く、山部王様と種継様を転輪聖王と云う車の両輪が如く見做していたのでした。秦忌寸刀自女様が、亡き朝元様の妻梨花様の訴えにより本家の太秦(うずまさ)宅守様の命で動いていたことは言うまでもありません。何故これほどまでに秦一族が山部王様に肩入れしていたのかは、その母親である和史新笠(やまとのふびとのにいがさ)様改め高野新笠(にいがさ)様とも関係してくるのです。高野新笠様は百済系帰化人ですが、その母親は土師氏の出です。土師氏は元である出雲氏の代より秦氏と婚姻関係にあり、本拠地とする所も交野(かどの)で太秦や葛野のすぐ隣であって、仕事仲間でもあり、秦氏の起こした伏見稲荷も、土師氏の土地に造られた位密接な関係にあったのでした。つまり肩入れの理由は、両氏が一心同体に近い程の関係にあり、山部王様を一族の代表の様に思えてしまっていたからだと言えましょう。
 話を元に戻しますと、百川様の陰謀は次の様な形で実行されるのです。これは元々、他戸親王様の後ろ盾となっていたのが北家永手様、魚名様兄弟で有った為、さすがの百川様もこの兄弟の反対を押し切ってまで傍系の山部王を皇太子にすることまでは出来なかったのでした。その時、兄弟でより有力な左大臣の永手の方が道鏡の呪詛により死去した為、この陰謀を実行出来たのです。同年三月二日、皇后が陛下を呪詛したとの訴えがあり、現皇后が廃されたのでした。この話を密告した裳咋足嶋(もくいのたるしま)(女官)は、謀反に自らも加わったからこれが判明したと言いながら、罰せられるどころか官位を上げられたのです。次に同年五月二七日、母親の罪で他戸(おさべ)親王様も皇太子を廃され、さらに翌年陛下の実子の難波親王様が病死したことが呪詛が原因だと藤原百川様等に言い掛かりを付けられ、十月十九日、井上(いのえ)内親王、他戸王(もはや皇太子では無いので)母子は、宇智郡(大和国)の没収した舘に幽閉されてしまったのでした。代わりに立太子されたのが山部王様です。この一連の事件全てが、陛下(光仁天皇)と違い完全な天智天皇系の山部王様を立太子する為に、天智帝の側近の鎌足の子孫である藤原式家の良継様、百川様の陰謀であったのでした。例によって計画は百川様がお立てになられたのですが、かの方は母親の実家が山部親王様と同じ百済系氏族であった為、山部王様とまだ雄田麻呂様と名乗っていた若い頃からつきあいも有り、特に思い入れがあった様なのです。そこでまず陛下と皇后陛下を不仲にし、さらに山部王様のことを動機らしく見せかけ、廃后しても陛下から如何にも当然と思える様に工作してから、この陰謀を実行したのでした。
 母子が幽閉されてから一年余りして、夜半覆面をした者が侵入し、まず寝ていた他戸王様を一突きで殺害すると、その物音に目が覚めた井上内親王様が、
「な、何奴。だ、誰か、曲者ですぞ。」
と叫ばれますと血だらけの曲者が、筋肉質の腕で付けていた覆面を自ら取り去りました。見ると、細く三白眼の眼に、四角い顎をした裳咋足嶋の色黒の顔が浮かび上がったのです。
「ほ、ほ、ほ。今から死ぬ身なんだから名位教えといてやるか。裳咋足嶋よ。かつてはお前さんとこの使用人だったが、今は出世して外従五位下になりましたよ。でも、お前さんが幽閉なんかで生き長らえてちゃ私も困るし、私の雇い主(百川)もお困りなんだ。だからここで死んでもらうこととします。それから私がここに忍び込めたのは、見張りも皆仲間だからですよ。助けを呼んでも無駄で御座います。観念するのですね。」
と裳咋足嶋は言うと、内親王様は驚愕の表情を見せながら、こう答えたのでした。
「な、何故お前が私達を裏切るのですか? 女ながらに武芸の達人と見込んで、あんなに待遇も良くしてやったのに。」
「ほ、ほ、ほ、分かりませぬか? 私の雇い主は、私を生まれて初めて女として可愛がって愛しいと仰ってくれたのですよ。男の様な私をね。」
「馬鹿な。お前は利用されているだけなのが分からぬのか?」
「そんなことは分かっていますよ。例え利用されているだけだって構わない。あの方の為なら、私は何でもするのです。ではさようなら。」
と言うが早いかが早いか、裳咋足嶋は刀子(とうす)(短刀)を振りかざしていたのです。
「お助け。」
と井上内親王様が後ろを向いて逃げようとすると、裳咋足嶋は夜着の裾を踏みつけて、親王様がうつ伏せに倒れた所を背中から刃を突き刺したのです。親王様が痛みの余り仰向けになられると、今度は正面から心の臓目掛けて突き刺したのでした。