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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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と語気を強めて言うと、真魚様はとても七つの子の言うこととは思えぬことを言い始めたのでした。
「爺、私が仏陀になるにしろ転輪聖王(てんりんじょうおう)になるにしろ、たった一人の少女の最期の願いを、自分に出来ることにも関わらず叶えて上げられ無くて、一体何の面目があろうぞ。」
 そう言うが早いか菅女の布団の中に潜り込み、かの少女の身体の下に入って強く抱きしめなさったのでした。それは、周りの者が止める間も無い程刹那の出来事だったのです。抱きしめられた菅女は、涙を流しながら、
「真魚様有難う。真魚様はほんに菩薩様ぜ。これで安心して兜率天に旅立て…。」
 そう言いかけて、菅女の息は既に途絶えておりました。真魚様は冷たくなっていく身体を抱きながら、何度も揺り動かし、こう叫ばれました。
「菅女、死ぬでない。死ぬな。まだわしは何もしておらぬぞ。」
 周りの者も誰一人泣かぬ者はなく、特に倉下様は号泣しながら真魚様を菅女と引き剥がし、こう叫んだのでした。
「真魚様、もう十分ぜ。菅女のあの安らかな顔を見なされ。これ以上抱いていて病がうつったりしたら、菅女も悲しむが。」
 真魚様はなおも抵抗しながら、
「菅女、菅女。」
と叫ばれておりましたが、力づくで引き剥がされ、ようやく落ち着きを取り戻された様なのでした。それに安堵した倉下様は、ゆっくりとこう言ったのです。
「真魚様、この秦原倉下、たとえ破産しようとも真魚様の為に援助することをここに誓いますが。お釈迦様に祇園精舎を寄進して破産した須達多(スダッタ)長者の様にぜよ。今日のこと、決して生涯忘れないが。」
 簡単な菅女の弔いが終わり、塞ぎ込む真魚様を少しでも元気づけようと、赤檮は隼麻呂と共に財田と云う所の滝に立ち寄ることとしたのでした。真魚様は、修験道にもある山修業の一つとしてそこにあった鮎返滝を上から覗き込んでいらっしゃいました。その時二人の大人がちょっと目を離した隙に、滝壺の中に自ら飛び込んでしまわれたのです。水はだいぶ温くなった時期とは言え、滝壺に落ちるとは大変なことです。驚いたお二人は、滝壺まで急いで降りいって、隼麻呂が肩に留まった『黒駒』も顧みず、水に飛び込んでお救いしたのでした。水もあまり飲まず、大事には至らなかったのですが、何故自ら落ちるような真似をしたのか合点がいかず、赤檮がその理由を問い質しますと、
「私は菅女を失った時、あの娘が私を菩薩と呼んでいたことを考えていたのだ。もしこの世に菩薩様がいらっしゃるなら、私はここで飛び降りても死ぬ様なことはあるまい。そしてもしここから飛び降りて命があったなら、この身を生涯仏に捧げよう、と誓ったのじゃ。」
とお答えになったので、濡れた身体を乾かす為の焚火の前で、裸の真魚様の小さな身体を抱きしめ、赤檮はこう言ったのでした。
「坊、坊、分りましたから、どうか命を粗末にするようなことだけはして下さるな。坊の命は、亡くなった御主人様(秦朝元(はたのあさもと))や太秦嶋麻呂(うずまさのしままろ)様、泰(たい)澄(ちょう)大和尚(だいおしょう)様、吉備真備様、その他秦氏とその志を同じうする氏族の者全てにとっての一縷の望なのですぞ。」
「爺、分ったから教えてくれぬか。今言った人達の名は初めて聞く。その人達のことをもっと詳しく教えてくれ。」
と真魚様が仰ったので、赤檮は、
「分りました。お教えしましょう。」
と言って、これまでのことを自分の知る限り詳しく、真魚様に何日もかけて語りなされたのでした。全てを語り終えた時、真魚様は目を輝かせながらうんうんと頷き、こう宣言されたのです。
「分ったぞ、爺。私がその方達の希望であり、一縷の望であること、そして私に一族の和と日本の真の平和を齎すことを託されたことを。私は今からの人生を、そのことを意識して生きようと思う。」
 ずば抜けて頭の良い子とは云え、わずか七歳の子どもにこの様なことを言われ、年齢(とし)を取って涙脆くなっていた赤檮は、傷だか皺だか分らなくなった顔に有る両目から涙をぼろぼろ零しながら、真魚様を再びその胸に抱きしめられたのでした。
「よう言うた。よう言ってくれた。この赤檮、さしたる人生を歩んできた訳では御座りませぬが、今ようやく報われた様な思いで御座います。」
 横に居た隼麻呂やご家族の方も、思わず貰い泣きをする有様なのでした。
 そして真魚様が十四になられた時、ついに国栖赤檮にも最期の時が訪れました。季節は春真っ盛りで、花が一斉に咲き誇り始めた時期のことです。当時真魚様は都の大学に入学する為、それまで入っていた国府に在る国学を辞めて調度実家に帰っていたのでした。臨終の席には真魚様とその兄や弟と共に、その父である佐伯直田(さえきあたいた)公善通(ぎみよしみち)様、母でいらっしゃる阿刀阿古屋(あとのあこや)様、秦(はた)原(はら)倉下(くらじ)様や鶻を肩に乗せた秦隼(はや)麻呂夫妻(現地で嫁を貰った)、地元の薬師(くすし)(医者)も集まっていたのです。真魚様は、吉備真備様に対する記憶は無くとも、赤檮に対しては実の祖父以上に慕っておりましたから、臨終の別れの悲しみはひとしおでありました。
「爺、死ぬな。死んではならぬ。」
「坊、人はな。花が皆咲けば散る様に、皆死ぬるものじゃ。坊は覚えも無いかもしれぬが、坊の生まれた時に吉備真備様と云う大変偉い方がお側におってな。すぐに亡くなられてしまったのじゃが、坊を守護する鬼神となってくれたのじゃ。坊が滝に落ちても無事なんだは、その方のお蔭かもしれぬ。わしもその方のお供となって、これからも坊の行く末を見守っておる故、父や母や、隼麻呂の言うことを良く聞いて来年の元服の式を迎えるのじゃぞ。分ったな。」
「分った。分ったから爺死ぬな。」
「ははは。何も分らなかった様じゃの。ところで坊、その吉備真備様が今わの際に仰ったことには、坊は転(てん)輪(りん)聖(じょう)王(おう)(俗世を統べる者)か仏陀(信仰によって世をまとめる者)かどちらかになられると予言されたのじゃが、坊も来年元服じゃ、もうどちらを選ぶか決めても良い頃じゃろ。わしの見た所、坊の武の才はとてもわしの及ぶ所ではない。前に鮎返滝に飛び込んで仏になることを決めていた様じゃが、個人的な好みで言えば、坊には転輪聖王の方が向いとると思うがの。」
 真魚様は、少し首を傾けて考えてらっしゃったのですが、やがて思い切った様な顔をして口を開かれたのでした。
「爺、武や知によって人に抜きんでることでしか俗世をまとめられないのだとしたら、私は武芸や知識による栄達には向いていない様だ。確かに爺の教えてきた武や、文において学ぶべきことは全て会得してきた。でも、私は目的の為に人を殺めることも負かすことも好かぬ。まだ何も習ってはいないが、仏の道を進もうと思う。」
「そうか、やはりそうか。わしのこと等気にせず坊の好む道を進むが良い。これで爺も思い残すことは無くなった。坊、さらばじゃ。私の遺骸は火葬にして欲しい。坊、一族の和を、日本の平和を…。」
「そうか、やはりそうか。わしのこと等気にせず坊の好む道を進むが良い。これで爺も思い残すことは無くなった。坊、さらばじゃ。私の遺骸は火葬にして欲しい。」
「爺、爺。」