一縷の望(秦氏遣唐使物語)
「真備様、何を水臭いことを仰います。」
「私はもうここまでの様だ。秦の鬼(守り神)となって真魚を見守る積りではあるが、現世ではお主(ぬし)と隼(はや)麻呂とで見守ってやって欲しい。」
「何、私もすぐに後を追います。後のことは隼麻呂に良く頼んでおきましょう。」
「それで良い。これでようやくゆっくりと眠ることが出来る。真魚のこと、貴物(とうともの)(大切なもの)としてくれぐれも大事にして欲しい。そしてこの子に一族の対立を無くし、真の日本の平和を齎してくれる様に…。」
と、鶻(隼)を肩に留めた隼麻呂にも言いかけて、ついに吉備真備様は兜率天(天国)に先立たれたのでありました。この時以来、真魚様のことを「貴物」と呼ぶようになったのです。
さて真魚様は、実に活発な男の子に成長致しました。隼麻呂と共に野山を駆け巡り、赤檮に武芸の手解きを受け、すくすくと育っていったのです。真魚様は都言葉のお二人に育てられた所為か、殆ど讃岐訛りがありませんでした。また普通武芸や学問を習うのは数えで五歳からなのですが、三歳になるともう身体の大きさも五歳並となり、そこで武芸を習い始めたのです。その覚えの早さに、教える赤檮もまるで実の孫の様に目を細めることもしばしばなのでした。
こうして物心がついた時、国栖赤檮は真魚様を、当初逗留する積りであった香川郡に居る秦(はた)原(はら)倉下(くらじ)様の所へ、春先に挨拶に伺ったのでした。倉下様は突然の一行の来訪に驚きながら、南国人らしい明るさで出迎えてくれたのです。かの方は柔和で痩せた中年のお方でしたが、一番の特徴は、前歯が明らかに唇から常に出ていることでした。
「ほう、そちらが前に真備様の葬式の時に一度会った真魚様か。随分と大きくなったものだぜよ。」
真魚様はこれに対し、はっきりとした声でこうお答えになりました。
「秦原倉下様、お久しゅう御座います。」
「ほう、こりゃ驚いた。何とまあしっかりしておること。」
倉下様の所で歓待を受け、付いてきた秦隼麻呂が、鶻を肩に乗せたままふと見ると、この家の舎人の娘の真魚様よりやや年上の菅女(すがめ)が、盛んに真魚様に秋波を送っておりました。ただその秋波を送っている菅女の両目は、明らかな藪睨み(斜視のこと)なのです。倉下様の言うことには、
「この菅女の親はもう死んだが悪い奴ぜよ。この娘の目を見て名を付けたが(菅女は眇(すがめ)を連想させる。眇とは斜視などのこと)。回りのもんは止めたんだが、そうすると余計面白がって付けたんが。おっ死んじまった時は、罰が当たったって誰も泣かなんだが、心根の優しいこの娘だけはわんわん泣いたんぜよ。それがまた哀れで、母一人子一人となったこの娘を、村中の者で養っているが。それに父親が死んだ後、別の名に変えようかって母親が言ったんだが、父親が付けてくれた名が良いって、健気にも言うがぜよ。」
隼麻呂は秦の者は家業(後述)の関係上早熟だとは聞いておりましたが、さすがに真魚様にはその秋波は通じぬらしく、真魚様は少しも気づかず、菅女はついには業を煮やしてしまった様で、その健気な様子に思わず微笑んでしまったのです。生来社交的な真魚様は、たちまち秦の子供達と仲良くなり、大人達が酒を飲んでいる間、もう一緒に遊び始めていたのでした。その遊びの輪の中には、先程の菅女も子供らしく参加されておりましたが、健気にも何とか自分を真魚様に売り込もうと必死であります。さすがに真魚様もそれに気付き、遊びが終わる頃には、二人仲良く手を繋いでおられたのでした。
ところで赤檮がこちらにわざわざ足を延ばしたのは、自分達秦氏が将来担ぐべき方を紹介しておくだけではなく、秦氏の方々がどの様なもので生計(たつき)を立てているのか、真魚様に一度見せておきたかったからなのです。そこで翌日険しい山奥の丹生の里に足を延ばし、秦氏の行っている水銀(みずがね)の採掘をしている鉱山を訪ねたのでした。昨日遊んだ子供達、もちろん菅女もそこで額に汗して働いておりました。真魚様は、働かなくても構わない自らのことを知ると共に、水銀採掘と精錬と云う見たこともない仕事について、秦原倉下様から詳しく説明を受けたのでした。
「真魚様、この様な水銀が寺や神社、大仏様、偉い方のお墓の中、また漢方薬にまで使われ、我ら秦氏の豊富な財源となっているがぜよ。将来真魚様がどういう道を志すか存じませぬが、何をするにもまず資金が必要になりますが。しかし、それは全て秦氏に任せて欲しいぜよ。」
そこで一度大きく息を吸ってまた吐いてから、倉下様は口調を変えて話を続けました。
「だが、水銀は我らに財を齎(もたら)すだけでは無いが。水銀には毒気があるがぜよ。?(よう)と云う病になって死ぬ者が後を絶たんぜ。お宝を得る為には、やはり危険を冒さねばならぬということやで。ここで元気に働いている子供達も、いつ病にかかって命を落とすか分らんが。」
と倉下様は寂しく言ったのでした。丹生の郷の者が早熟なのは、この様にいつ死ぬか分らないので、その後継者を一刻も早く作っておかなければならないと云う悲しい里の事情があったのです。
その翌年真魚様が七歳になられた時、再び秦原倉下様の所へ行くと、あの菅女が?の為危篤とかで、使用人の娘でありながら、倉下様の舘に寝かせられて看病されておりました。
「水銀の毒で使用人が死ぬのに、いちいぢ舘を貸す馬鹿がいるかって言う者もおるけど、
死んでいく者に出来ることと言えばこんなことぐらいしか出来んが。どうか手厚く見舞って欲しいぜよ。菅女、分るか、お前が二言目には話しておった真魚様が偶然来て下さったが。お前はなんて運の良い女子(おなご)やで。この娘の病は、父親の命を奪ったものと同じぜよ。ああ、父親はこの娘の命まで奪おうとするんが。」
と倉下様が肩を落とすその向こうに、菅女は寝かされて既に虫の息なのでした。真魚様はそれをご覧になって、
「菅女、真魚だ、分るか。」
と言うと、背中に出来物を抱えて、うつ伏せにしか寝ることの出来ぬ菅女が、息も絶え絶えにこう答えたのでした。
「真魚様、本当に真魚様だか、夢でねえかいの。おら弥勒菩薩様にずっとお願えしてたが。一目で言い、兜率天に行くめえに、お前様の顔を見てえと。もしそれが叶ったら、器量の悪いおらでも、適わぬまでも一つだけ願えを言うがと。」
「何だ、俺に願いとは。」
「おらまだ未通女(おぼこ)ぜ。一度でええ、惚れたお前様のその手で抱いて欲しいが。未通女のまま兜率天に行きたくねえが。」
それを聞いた倉下様は慌てて、
「馬鹿、何を言うんが。そないことをして、大事な真魚様に病がうつったらどうするんかいの。それにその器量ではおこがましいにも程があるが。そればっかりは諦めんといかんぜよ。」
と手を振りながら仰ったのでした。真魚様は、それを聞いて何か考えておいででしたが、やがてゆっくりとこう仰ったのでした。
「倉下様、私の様な者で宜しければ、菅女の最期の願いを聞き届けてあげたいと思いまする。」
「真魚様、そりゃ無理だぜよ。」
と倉下様が言うと、赤檮もそれを受けて、
「そうだ真魚、お前は貴物(とうともの)だ。一人の少女への情けの為に全てを犠牲にするお積りか。」
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊