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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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 私が白壁王様の即位に反対したもう一つの理由は、かつて白壁王様が交野(かたの)にいた若い頃、飲んだくれてばかりいたことを秦の者から聞いて知っていたからなのでした。しかし私の後ろ盾となり情報源となる筈のその肝心の秦氏が、前述した様に将来の山部王様の擁立を画していたのでその前段階として白壁王を推していたことを、一族の代表である筈の私に黙っていたのです。私は、藤原にこの様な陰謀があることは予想していましたが、自分の味方と思っていた一族にまで足元を掬われ、何もかもが嫌になってしまったのでした。恐らく私に内緒にしていたのは、天智系の天皇が立てば藤原の思う壺であり、藤原以外の豪族の利益を代表している私に話しても、天智系の白壁王様を擁立するのに賛成する筈が無いと思われたのでしょう。
「長生きをし過ぎた様だ。お蔭でこんな恥を掻かされた。あぁ、これと言うのも、泰澄大和尚の忠告を疎かにし、一族同士の争いを自戒しつつも積極的に推し進めて来てしまった報いなのかもしれん。世に真に平和をもたらすには、まず一族の和を為さねばならぬ筈だったのに。」
と私は思わず呟き、陛下(光仁天皇)に老齢を理由に辞職を申し出たのです。それに対し、一部の職を解かれただけで慰留されてしまいましたが、宝亀二(七七一)年再度辞職を願い出て受理され、ついに政界を引退したのでした。元々学者肌の私には、政治の駆け引き等向いていなかったのかもしれません。かと言って、秦氏の利益の為に働くのを止める気になれず、その後も私は秦氏の理想の為の行動を続けるのでした。
 引退した私はやはり老齢の国栖赤檮と若い秦隼麻呂を供に、いつもの息子達も連れずまずはすぐさま下野国の薬師寺の道鏡法師の元に行ったのでした。息子達は、既にそれぞれの妻の実家に行っていて、私の元からは巣立っていたのです。道鏡法師は、柔和な笑顔を以って迎えてくれて本堂に通し、私と相対しました。宝亀三(七七二)年四月七日のことで御座います。
「良くいらして下さいました。お待ちしていました。」
とまず道鏡法師の方から口火を切られました。私はすぐに返事はせず、庭の見事な桃の花が咲く様をじっと見つめながら、懐からずっと以前延宝法師様より頂いた八名を記された紙を出してから、再び口を開きました。
「あの時の密告は、道鏡法師だったのじゃな。」
「はっ、何のことで御座いましょう?」
「ほれ、秦澄大和尚の為に完成前の元興寺に御坊等が集まった時、誰かが大和尚の行き先を韓国連広足(からくにのむらじひろたり)に教えたことじゃよ。これを延宝法師様に伺った時から、私はずっとあれが気になっていたのだ。」
「あぁ、あの時のことですか? 思い出しました。拙僧は、物部の血の方が濃いのでな、それで広足に肩入れしておったのじゃ。」
「あの様な若い時から?」
「左様、あの様な若い時から。」
 その時、本堂の中に風と共に桃の花びらが幾つか舞い込んで参りました。言葉がしばし途切れ、二人の男はただ見つめ合っております。やがて私は、しずかに懐から小さな薬壺を出すと、道鏡法師の前に押しやったのでした。
「これは?」
と道鏡法師が聞くので、
「これなれば楽に逝けまする。」
とだけ私は答えたのでした。
「これは有難い。私はもっと苦しむのかと思っておりました。」
「今さらやり方など何になりましょう。それにしても静かですな。あれほどいた取り巻き連中は、誰もおられぬので御座いますか?」
「はい。今は静かに亡き陛下との思い出に浸る毎日で御座います。」
「まさか本気で御座ったのか?」
「はい。私も若い頃より仏門に入り、女(おなご)とは縁遠き者で御座いましたし、亡き陛下も、女の身で皇位に付く定めを背負わされて、男(をのこ)と縁の無き身の上(実際はそうでも無い)で御座いましたから、純粋に愛し合えたので御座いましょう。いい年齢(とし)をしてお恥ずかしいばかりで御座います。」
「そんなことは御座いません。」
 道鏡法師様はそれを聞くと皮肉な笑いを浮かべ、ほんのしばらくの間、悪巧みをしていた頃の昔の表情に戻ったのでした。
「そう言えば、拙僧は確かめ様が無かったのですが、もう左大臣(藤原永手)様はお亡くなりになられましたか?」
 私はそれを聞くと少し驚かされて、こう返事をしたのです。
「左大臣様が亡くなられたのは、私が都を出る直前のことでしたが、良くご存じですね。まさか…。」
「左様。拙僧の法力もまだまだ捨てたものでは無かったな。何しろ左大臣は春日大社の長谷川党と云う刺客どもを使って、こちらに移った拙僧を亡き者としようとした恨みがありましてな。もちろん、長谷川党は皆拙僧の法力で討ちとってくれましたがの。第一貴殿もかの方には恨みが有ろう。まぁ、貴殿がこうして来たので、次に呪詛していた百川まで手が及ばなかったがの。その次は魚名、良継、最後に貴殿(吉備真備)であったのに、残念であった。」
 前述した様に、私が道鏡法師と長谷川党の顛末を聞いたのはこの後のことなのです。
「もっと早く、その薬を御坊に渡しておけば良かった。ん、でも待てよ。永手様の刺客の長谷川党を退けたのだとしたら、今は何故、素直に薬を受けるのですか。」
と私が言い終わるや否や、道鏡法師は渡した壺の中の液体をぐっと飲み干したのでした。
「あっ。」
「薬が効いてくる前に、お答え申します。貴方様がここに来たのであれば、覚悟を決めるしかありませんからな。じたばたした所で、そこのお付きの者に斬られてしまうでしょう。それに、陛下のいないこの世に、ほとほと愛想が尽きました。」
 法師はそう言って、しびれ始めた唇をにやりと曲げられたのでした。私はそれに対し一礼して立ち上がりながら、こう言ったのです。
「それでは失礼致します。」
「効き目を確かめないので御座いますか?」
「それは良いでしょう。あちらでも、陛下と仲睦まじくお過ごし下さいませ。」
「はい。行く先は同じ地獄道でしょうから。」
 それだけ聞くと、私はその場を立ち去りかけたのですが、あまりの桃の美しさにしばし見とれていると、背後で人が倒れる音が致しました。私は振り返らずに、
「道鏡法師、それでは失礼致しました。」
と誰ともなく呟いて、再び歩み始めたので御座います。それにしても、私は最期まで一族の争いをしてしまいました。私は暗澹たる気持ちに苛まされながら、せめて次の世代にこの平和への想いを託さんと考えながら歩みを進めていたのです。
 道鏡法師の死をこうして看取ってから大和の外れの三輪の自宅に帰ってくると、前述した様に子供達も既にそれぞれの妻の実家を婿となって去ってしまい、一人娘の由利も死んでしまったので、年老いた妻の鈿女(うねめ)と従者の袁晋卿(えんしんけい)だけが出迎えてくれました。
「あなたお帰りなさいませ。長い間お勤め御苦労様に御座いました。」
 続けて、袁晋卿が声を掛けてきました。唐から連れて来て以来、私の学校で教師をしながら日本語の学習と研究に余念が無かった唐人の袁晋卿が、私の前に上機嫌でこんなことを言い始めたのです。日本に連れて来た時はまだ少年でしたが、もう良い年齢になっておりました。